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メリトクラシア  作者: Lancer
第6章:紅茶と影の牢獄
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【第51話】★鎖と軍靴★(本編)



鎖が床を擦る音が、ひどく遠くで鳴っているように聞こえた。

 戦闘の熱はもう消え去り、広間には焦げた匂いと涙の余韻だけが残っていた。

 砕け散った瓦礫の影の中で、カールの身体が無様に拘束されている。


「……拘束を続けて。油断は禁物よ」


 ユミナの声音は、氷で覆った刃のように澄んでいた。

 命令と同時に近衛たちが動く。鋼鉄の拘束具が、ひとつ、またひとつと噛み合わされ、鈍い音を響かせる。

 まるで広間そのものが、彼を閉じ込める檻へ変わっていくかのようだった。


(……終わった、のか)


 ジェイドは息を吐いた。

 胸の奥に張り詰めていた弦が、ゆっくりと緩んでいく。

 その証拠のように、アイリスの肩が小さく上下しているのを見届け、指先から力が抜け落ちた。


 だが――安堵は一瞬だった。

 石床を踏む靴音が、背後から静寂を切り裂いた。



乾いた音が、規則正しく石床を叩いた。

 一歩ごとに広間の温度が下がっていく。

 それは威圧でも怒号でもない。むしろ淡々とした歩調――だが、誰ひとり声を発することができなかった。


 扉口に、影が立つ。

 深緑に染められた軍服。肩章と襟に刻まれた金の意匠。

 胸元で鈍く光る徽章は、教範の挿絵でしか目にしたことがない紋章だった。


(……軍服? いや、まさか――)


 喉が勝手に動き、ジェイドは息を呑んだ。

 その答えは恐ろしいほど明白だった。

 ――オーク帝国。

 敵国の影が、今この場に立っている。


「場は収まったようだね。……煙たいな」


 男は軽く鼻を鳴らし、指先で空気を払うような仕草をした。

 笑みを浮かべている。だがその笑みは、床に影を落とさない。


「来訪を確認……オルフェス=ヴァルド中佐、ですね」


 ユミナが、迷いなく名を告げた。

 声色は淡々としている。感情を削ぎ落とした冷静さ。

 その一言が、広間全体の意味を変えた。


(ユミナは……知っていた?)


 安堵は砕け、疑念が胸を占める。

 ジェイドは初めて知った。

 そして読者も同時に知る――カール=ベレヒトが帝国と繋がっていたという事実を。




「紹介は要らないよな。……まあ一応言っておこうか」


 扉口に立つ男は、気楽そうに両手を広げてみせた。

 軍服の重さをものともしない仕草。その場に集まった全員を軽くあしらうような態度。


「オルフェス=ヴァルド。帝国の“連絡役”だ。今日は味方ってことで来てる」


 声は軽やかだった。だが、笑みの裏で一瞬だけ、氷のような視線が走った。

 その一閃に、広間の空気がわずかに凍る。


「……評価は不要です。本件については、規定どおり私たちの管理下で処理します」


 ユミナはわずかに顎を引き、冷たい声音で返す。

 言葉に余計な飾りはなく、鋭い刃のように整然としていた。


「お堅いなあ。いや、嫌いじゃないけど」


 オルフェスは肩をすくめて笑う。その目がふと、拘束されたカールに流れる。

 一瞬、刃物のような光が宿った。


「これが交渉材料になると踏んだんだが……期待外れだ。

 ――彼はただの“個人”だな。帝国の正規ラインとは無関係。そう書いておけば、余計な霜は降りない」


 軽口のように聞こえる言葉。

 だがその端々には、冷気が紛れ込んでいた。


(……軽く笑っているのに、心臓が締め付けられる)


 ジェイドは知らず、拳を握りしめていた。

 表向きは柔らかい。だがその奥に潜む冷酷さを、誰もが直感していた。



「――ジェイド・レオンハルト」


 名を呼ばれた瞬間、肺が縮んだ。

 声は柔らかい。だが、その瞳の奥には氷の刃が立っていた。

 笑みと目が一致しない――それだけで、背筋を凍らせるには十分だった。


「噂は少し聞いている。君は運が良い……あるいは、選ばれやすい」


 その言葉が胸に沈む。

 視線が肌を撫で、骨の奥まで届く錯覚。

 心を覗かれている――ジェイドは無意識にアイリスの前に立ち、拳を固く握った。


 オルフェスはわずかに肩をすくめ、声色を変える。


「……ただし、その前に一つ謝らせてほしい。

 帝国の使者が、この場で無礼を働いた。――国家の立場は別としても、形式として謝罪を示す必要がある」


 そう言うや否や、彼は片膝を床に付き、軍人式の作法で頭を垂れた。

 硬質な床に響くその動作は、誠意ではなく儀礼そのもの。

 「大変申し訳なかった」と低く告げる声には、温度がなかった。


 ユミナは微動だにせず、淡々と応じた。


「……承りました。処理は規定どおりに」


 一瞬、彼女の睫毛が震えた。それは感情ではなく、規律の強張り。

 形式と形式が擦れ合う音を、ジェイドは肌で感じ取った。


 オルフェスは再び立ち上がり、ジェイドへ視線を戻す。


「警戒は悪くない。……今日は観察の範囲内だ」


 笑みを深め、そして浅く引く。

 まるで糸を引くように、場の空気の重心が彼の掌へ吸い寄せられていく。


(……やはりこいつは、ただの軍人じゃない)


 ジェイドの喉に、言葉にならない熱がこみ上げた。



「――本件は我々、メリトクラシアの審問庁にて裁定を行います。

 詳細は追って文書にて送達いたします」


 ユミナの声は硬質な刃のように響いた。

 冷ややかだが、揺るぎない国家の意志がそこにあった。


 オルフェスは一瞬だけ目を細め、すぐに薄い笑みを浮かべる。

 返答はない。ただ、靴音を刻んで広間を後にした。

 去り際、背を向けたまま片手を軽く振る。その仕草が挨拶か、冷たい合図か――誰にも判別できなかった。


 扉が閉じる。

 残されたのは、鎖の軋む音と、沈黙だけ。


(……カールが帝国の使者だった。その事実に、驚きを隠せなかった。

 だが――これで全てが終わるはずがない。

 このざわめきは、影を形に変える。牙となるのは、その時だ)


 オルフェス……嫌な目つきだった。もしアイツがアイリスを傷付けようものなら――。


 静寂の中で、不穏な影が音を立てていた。

 やり場のない怒りは、どこにぶつければいいのか。


 ジェイドは拳を開いたり閉じたりして、白くなった指の節を見つめた。


 鎖は沈んだまま、影を引きずっている。

 それが誰のものなのか――まだ、誰にも言い切れはしなかった。


 ――つづく――


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