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メリトクラシア 処女作  作者: Lancer
第6章:紅茶と影の牢獄
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【第49話】★追い詰められる牙★(本編)



広間の光が一気に落ち、闇が視界を覆った。

 残ったのは、床下から響く低い機構音だけ。重機の鼓動のように、一定の間隔で鳴り続ける。


 ジェイドは影に絡め取られ、胸に抱えた紙袋を落としかけた。

 琥珀葉の茶と蜂蜜菓子の香りが、血と鉄の匂いにかき消されていく。

 ――それは、さっきまで二人で分け合った日常の象徴。

 彼は必死に握り直し、腕に力を込めた。


「立てよ、少年。舞台はまだ二幕目だ」


 芝居がかった声が闇に響いた。

 カール=ベレヒトが指先で黒い糸を弄びながら、照明の残光を背に笑みを浮かべている。

 その笑顔は舞台役者の仮面のようで、目だけが深い闇に沈んでいた。


 ――その頃、外の路地。

 ユミナは仲間とともに影の痕跡を追っていた。

 赤黒い染みが石畳に滲み、波紋のように揺れている。

「反応が強い……この先だ!」

 彼女は息を切らせながら叫び、駆け足で暗い街路を抜けていく。

 その先に何が待つか、まだ誰も知らない。


 広間の中では、ジェイドの鼓動が機構音と重なり合い、胸の奥で重苦しく鳴り響いていた。




剣を振り抜いた瞬間、確かに影は裂けた。

 だが、切れ目はすぐに液体のように塞がり、波紋を残して足元に広がっていく。


 その波紋がジェイド自身の影に触れた。

 ――次の刹那、影が立ち上がった。


「っ……!」


 自分の足元から伸び上がった影が、剣を握る形を取っていた。

 振り下ろした自分の動きと同じ軌道で、逆方向から喉を狙う。


 鋭い刃の冷気が頬をかすめた。

 ジェイドは咄嗟に身を捻る。影の剣先が石床を裂き、火花が飛んだ。


「自分自身と踊る気分はどうだい?」

 カールが声を弾ませる。黒い糸を指で鳴らし、影を操る手つきは指揮者のようだ。


 影は再びジェイドの剣と同じ動きをなぞる。

 斬れば斬るほど、己の刃が裏切って逆襲してくる。


 胸の鼓動と、鎖の機構音がぴたりと重なった。

 影の動きはリズムに合わせ、規則的に襲いかかってくる。


(同じ拍子……!)


 ジェイドは息を飲む。剣を振るうタイミングを半拍だけずらした。

 ――その瞬間、影の攻撃が空を切り、鎖のしなりもわずかに遅れた。


「影と鎖が同じリズムで襲う……なら、遅れて動けば軌道は食い違う!」


 ジェイドは足を滑らせるように踏み換え、半歩外に出る。

 影と鎖の二重攻撃が、わずかにずれた。

 そこに剣をねじ込み、絡みつく影を断ち切る。


 しかし裂けた闇はすぐに再生し、再び拍子を合わせて迫ってくる。


 カールは笑みを深めた。

「いいねぇ……舞台が少しずつ形になってきたじゃないか」




床下から響いていた機構音が、突如として高鳴った。

 石畳が裂け、歯車と肉を合わせたような異形の頭部が現れる。

 鉄で組まれた顎が、ゆっくりと開いた。


 ――シャドウギアハウンド。通称“シャドウ”。


 四肢の関節は逆に折れ曲がり、骨のような金属が肉片じみた軋みを立てる。

 尾の代わりに伸びた鎖が、床を這い、壁を打ち、広間全体を揺らした。


(……影と機械を掛け合わせた猟犬……。オーク帝国が造り出した兵器……これが“シャドウ”か)


 鎖が鳴るたび、ジェイドの心臓の鼓動とぴたりと重なった。

 まるで胸の奥の鼓動を外に奪われ、鎖と同期させられたようだった。


「――ッ!」


 シャドウの尾がしなる。鎖がジェイドの腕に絡み、獣の咆哮と同時に壁へと叩きつけた。

 肺から空気が一気に抜け、視界が白黒に潰れる。

 鉄と血の味が喉に広がり、世界が遠ざかっていく。


 揺れる瞼の向こうに、縛られたアイリスの姿。

 唇は声を失って震えるだけ。

 ――だが心の奥では、叫んでいた。


「こんな怪物……ジェイド様がひとりで相手するなんて……」

「私が……何かできれば……」


 彼女の視点から見た広間は、鎖の網に閉ざされ、ジェイドがその中心で押し潰されているようにしか見えなかった。

 目を逸らせば楽になれる、それでも逸らせない。


 鉄の顎が再び開き、ジェイドへと迫る。

 空気が震え、広間そのものが咆哮する。




ジェイドは必死に剣を振るい、迫る影を裂いた。

 だが切れ目はすぐに繋がり、黒い繊維が再び形を作る。

 その隙を狙い、シャドウの鎖が横から襲いかかる。


「ぐっ……!」


 鎖に弾かれ、体勢が崩れる。

 次の瞬間、影の刃が背後から振り下ろされた。

 ジェイドは咄嗟に剣で受け止めるが、衝撃で膝が震えた。


 カールは黒糸を弄び、観客に語る役者のように声を響かせた。

「キミは誓ったんじゃないか? もう二度とその涙は流させないと。

 残念ながら、キミの大切な“フィアンセ”は今にも泣き崩れそうじゃないか」


「黙れ!」


 その一言が、石柱に縛られたアイリスの胸を突き刺した。


 アイリスは必死に声を振り絞る。

「逃げて……!」


 震え声は影に呑まれそうにか細い。

 それでもジェイドの耳には鋭く届く。


「ジェイド様、こっちを見て!」


 次の瞬間には声が途切れ、唇が震えるだけになる。

 けれど、その瞳は必死に訴えていた。


(負けないで……あなたはここにいる……)


 彼女の心の声が、鎖の轟音の隙間を縫って届いた。


 だがその刹那、足元から伸び上がった“自分の影”が踵を掴んだ。

 骨の髄にまで冷たさが染み込み、脚の感覚が鈍る。


 影とシャドウ、二重の敵が同時に襲いかかる。

 ジェイドの呼吸は荒れ、握る剣の感覚さえ遠のいていった。



影が蠢き、黒い手がジェイドの胸に抱えた紙袋へと伸びた。

 琥珀葉の茶と蜂蜜菓子――ささやかな日常の証が、血の臭いに押し潰されていく。


「やめろ……!」


 ジェイドは必死に腕を回し、紙袋を抱え直した。

 鎖が肩を裂き、血が滴る。それでも離さない。


「まだ……折れない!」


 その姿を見て、アイリスの胸が張り裂けそうになった。


(どうしよう……このままじゃジェイド様が……!

 どうして私は、こんなにも無力なの……! お願い……!)


 縛る封印の鎖が軋み、微かな光が彼女の胸から零れる。

 広間を覆う影とシャドウの動きが、一瞬だけ止まった。


 ジェイドはその隙に、腕に残る力を振り絞る。

 ――抱えているのはただの紙袋じゃない。

 本当に守りたいものは、目の前の少女そのものだ。


 剣を強引に構え直し、迫る黒を断ち切ろうと踏み込む。


 だが光はすぐに途切れた。

 影は再生し、シャドウの鎖が再び迫る。


 カールは糸を操り、低く呟いた。

「幕引きは俺が決める」


 影とシャドウの二重攻撃が同時に迫り、黒い刃と鉄の顎がジェイドの喉を狙った。



影の網が四方から伸び、ジェイドの体を絡め取った。

 同時にシャドウの顎が開き、鉄の牙が喉元へと迫る。


 世界が白と黒に潰れ、音が消える。

 残るのは胸の奥で鳴る太鼓のような鼓動だけ。


 呼吸音が異様に大きく響く。

 影の腐臭が充満する広間で――ほんの一瞬だけ、別の甘い香りが空気を上書きした。

 それは、静寂を破る予兆のように漂う。


 石柱に縛られたアイリスは声を失い、涙だけを流した。

 それでも瞳は必死に叫んでいる。


(お願い……まだ終わらないで……!)


 ジェイドの首に影の輪が食い込み、呼吸が途絶える。

 シャドウの顎が開き、鉄の歯列が喉を食い破らんと迫った。


「さて、終わりにしようか」

 カールの低い声が広間に落ちる。


 その瞬間――白い閃光が闇を裂いた。

 影の織目が一斉にほどけ、シャドウのレンズに亀裂が走る。

 広間を満たしていた機構音が断ち切られ、拍動のリズムが途絶える。


 無音の余白。

 白に塗りつぶされた世界に、ただ一つ――

 足音ともつかぬ響き、存在の圧だけが忍び寄るように残っていた。




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