【第42話】★赤瞳残響と偽装再会★
鐘の乱れが告げるのは、日常の終わりか、それとも始まりか。
闇に浮かぶ赤い瞳、そして響いた「資格者」という言葉。
仲間と共に歩むはずの階段で、少年ジェイドは初めて“裏側の気配”と対峙します。
石段を下る空気が、突如として凍りついた。
湿った闇に沈むはずの空間に――赤が、瞬いた。
それは瞳だった。
だが形は曖昧で、見た瞬間にはもう揺らぎ、残像のように闇へ溶ける。
錯覚か、それとも現実か。判断が追いつくより早く、心臓が脈を乱す。
次の瞬間、鐘音が裂けた。
規則を保っていたはずの響きが歪み、ねじれ、胸郭の奥を直接かき鳴らす。
ジェイドは喉の奥がひきつり、呼吸を奪われたように声を失う。
鼓動は鐘音と同調するかのように乱れ、脈打つたび全身が後ずさる。
「――っ!」
背中に冷たい汗が走り、指先はこわばり、逃げる意思などないのに脚が勝手に震える。
その腕を掴んだのはアイリスだった。
強く握りしめているはずなのに、細い指は小刻みに震えている。
「助けて」と言えず、ただ縋るしかない――そんな切実さが伝わってくる。
フィーネだけが、じっと赤光を見据えていた。
耳に届かないはずの異音を、彼女は確かに感じ取っている。
「……ノイズ、違う……これ、誰かの声……?」
呟きは微かに震え、聞いた者の背筋をさらに冷たく撫でた。
鐘音はなおも乱れ続ける。
侵入者を拒むのか、それとも誘うのか――答えは闇に沈んだまま。
鐘音の乱れが収束する刹那、その赤光を裂くように影が立った。
長い外套に包まれた人影――否、ただの人間には見えない。
闇そのものが形を与えられたかのように、輪郭は不鮮明で、しかし確かに“そこに在る”と知覚できる。
ジェイドの喉がひとりでに鳴った。
息を吸ったのか、それとも飲み込んだのか。恐怖と警戒と怒りがないまぜになり、声へと変わる寸前で止まる。
その存在は、ただ一言だけを放った。
「――資格者」
低く、湿った声。
問いでもなく、呼びかけでもなく、ただ“断定”の形で。
意味を置き去りにする言葉は、鐘音の残響よりも深く胸に沈み込んだ。
「資格者……だと?」
ジェイドの口から押し出される声は掠れていた。
怒りより先に苛立ちが走る。
なぜ赤瞳が現れたのか。なぜこの存在が彼らを前に立ちはだかるのか。
答えが欲しいのに、返ってくるのは沈黙だけ。
視線がぶつかる。
輪郭の定まらぬ影の奥に、確かに目がある。だが、それは人間のものではなかった。
深淵の底を覗き込むような――反射のない闇色。
そこには敵意も慈悲もなく、ただ選別者の冷たさだけが宿っている。
「何を意味している……答えろ!」
ジェイドは声を張り上げる。
胸の奥で燻る“暴きたい”衝動が、恐怖をねじ伏せて前に出る。
だが影は動かない。
鐘音が再び乱れる。返事の代わりに。
アイリスが小さく身を竦ませ、フィーネは唇を噛んで視線を逸らさなかった。
圧力は確かにそこにある。
しかし“説明”は一切ない。
――暴くしかない。
沈黙の中で、ジェイドの胸に決意だけが強く刻まれていった。
重苦しい沈黙を破ったのは、あまりに場違いな声だった。
「――なぁに? こんなとこで震えてたの?」
軽やかに、嘲るように。
闇の奥から姿を現したデイジアは、片手をひらひらと振りながら近づいてきた。
赤瞳の残光を背に、まるで遊戯の駒を弄ぶような笑みを浮かべて。
ジェイドの胸がざわつく。
さっきまで張り詰めていた恐怖が、別種の苛立ちへと変わっていく。
「……デイジア」
「んふふ、偶然よ? 偶然。……ま、私が来てあげなかったら、怖くて泣いてたんじゃない?」
わざとらしく首を傾げ、覗き込む。
挑発めいた上目遣いは、からかいと挑戦の入り混じった色を帯びていた。
アイリスは怯えてジェイドの腕を掴む。
対してデイジアは、その様子を見てわざと鼻で笑った。
「へぇ、守ってもらってるんだ? いいなぁ。……あんたに、そんな余裕あるの?」
視線が突き刺さる。
笑っているのに、目の奥は笑っていない。
軽い言葉の裏に、得体の知れない何かが潜んでいる。
「何の用だ」
短く吐き捨てるジェイド。
だがデイジアは肩をすくめ、あざとい仕草で口元を隠す。
「さぁ? 秘密。……でも、“偶然”って信じてくれると助かるな」
唇に浮かぶ笑みは、まるで“挑発そのもの”。
そして闇に滲む赤の残響が、その背に重なった瞬間――ジェイドの疑念は確信へと変わった。
デイジアの笑みが闇に溶けていった。
彼女が立ち去った後も、場の空気は軽くならない。むしろ胸に刺さるざらつきだけが残っていた。
赤瞳の残響はまだ漂っている。
目を閉じても消えない、網膜に焼きついたような赤。
鐘音は静まったはずなのに、鼓膜の奥で余韻が脈打ち、心臓の鼓動と重なって響いてくる。
アイリスは怯えたまま、ジェイドの袖を握りしめていた。
フィーネは唇を噛み、何かを言いかけては飲み込んでいる。
仲間の存在が確かにそこにあるのに、先ほどの影と赤光の印象が、すべてを上塗りしていた。
「……資格者、か」
ジェイドは低くつぶやく。
言葉の意味は分からない。だが、放置できない。
暴かなければならない――その確信が胸に刻まれる。
恐怖は残っている。だが、それ以上に燃えていたのは誓いだった。
自分を試すかのように現れた赤い残響に、応えるために。
――必ず暴く。
何者が裏で糸を引こうとも。
仲間と、自分自身の未来のために。
闇は静けさを取り戻した。
だが赤の残響だけが消えず、次なる一歩を促すように階段に漂い続けていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第42話では、ジェイドたちの前に「赤瞳残響」と「資格者」という謎が姿を現しました。
さらに偶然を装って現れたデイジア――その挑発と笑みは、彼女の軽さか、それとも裏にある意図か。
本話のテーマは「違和感」です。
行動ではなく余韻、真実ではなく影。
何かが“始まりつつある”という予感を残して、次話へと続きます。
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