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メリトクラシア 処女作  作者: Lancer
番外編5
41/88

★檻の外で、ふたたび②★

まだ、少年は何者でもなかった。

それでも、あの夜見た光を、もう二度と消させたくはなかった。

王都へ向かう馬車の中、揺れる想いと冷たい風。

ジェイドはまだ迷いの中にいる――

そして、檻の外の風は、彼女にも届き始める。


馬車の揺れが心地よい眠気を誘うはずなのに、

ジェイド・レオンハルトの瞼は少しも重くならなかった。

 窓の外には、王都へと続く街道の風景が流れていく。

木々の隙間から差し込む冬の陽光は弱々しく、

冷たい風が隙間風となって頬をかすめた。

(……あの夜の光景が、まだ頭から離れない)

 怯え、恐怖に縛られたあの瞳。

けれど、ほんの一瞬宿った淡い光。

(あれは……俺が奪っちゃいけないものだ)

 両手を握りしめ、ジェイドは息を吐いた。

村を離れた今、ようやく一人になれたはずなのに

胸の奥がまだざわついている。

(アイリス……あの子は、今どこで……)

「……っ、考えるな」

 小さく頭を振る。

 想えば想うほど、何もできなかった自分が情けなくなる。

 ガタン、と馬車が石畳に乗り上げた音がした。

パンの焼ける匂いが、薄い寒気と共に鼻腔をくすぐる。

視線を上げると、王都手前の街路が近づいていた。

人々の話し声、商人たちの呼び声、焼きたてのパンの甘い香り。

 その平和な光景に、ほんの少しだけ心が緩む。


 だが、その時だった。

「……やめろっ!放せ!」

 甲高い声が街角に響く。

ジェイドは無意識に足を止めた。

 数歩先、屋台が並ぶ路地で、

痩せた少女が男に腕を強く掴まれている。

男は使用人の服装をしていたが、

その目には奴隷を見下す冷たい光があった。

「仕事もできねぇ半端者が……この耳が気に食わねぇんだよ!」

 少女の褐色の肌と長い銀髪が陽に揺れた。

耳の形が、ジェイドにははっきり見えた。

(……エルフ族)

 男が手を振り上げる。

少女は怯えたように身を縮めた。


(見なかったことにしろ)

 頭の奥で、冷たい声が響く。

(お前はまだ何者でもない。関われば、自分が潰される)


「……っ」

 ジェイドの指先が震えた。

それでも、あの夜の光景が脳裏をよぎる。

怯えた少女の瞳。

そして、一瞬だけ宿った淡い光。

(また……見捨てるのか?)

 息を飲み、拳を握る。

(いや……!)


「おい、待て!」

 ジェイドは駆け出していた。

「やめろって言ってるだろ!」

 ジェイドの声が通りに響いた。

男が振り返る。

その目は、一瞬で“平民の少年”を値踏みする冷たい色に変わった。

「なんだお前は……どこのガキだ?」

「その子を放せ」

 ジェイドは短く言った。

声が震えている。けれど視線は逸らさなかった。

「チッ、調子に乗るなよ!」

 男が掴んでいた少女の腕を強く引く。

その瞬間だった。


 カツン。

 街路の石畳に響く、軽い靴音。

どこか優雅で、そして威圧感を帯びた足取り。

「少年、もう下がりなさい」

 その声は穏やかでありながら、

通りの空気を一瞬で凍らせる力を持っていた。


 振り返ると、そこに立っていたのは

ノウス近衛の副官――ユミナ・ヴァルトールだった。

白銀の髪を緩やかに結び、整った軍服の裾が風に揺れる。

「……ユミナさん……」

 ジェイドが小さく息をつく。

ユミナは微笑を崩さず、ゆっくりと男に歩み寄った。

「この子は、ここで解放されるべきです」

「貴族様の命令で――!」

「その貴族様に、私が後で直接お話しましょう」

 男の顔が青ざめ、震える手で少女の腕を放した。


 少女はその場に崩れ落ちそうになったが、

すぐに自分で踏ん張り、下を向いたまま立ち尽くす。


【アイリス裏視点】

 視界が揺れていた。

呼吸が苦しい。

心臓の鼓動が、耳の奥でうるさいほど響く。

(また、こうして……何もできないまま……)

 けれど、ほんの一瞬だけ見上げた先に

少年の後ろ姿が見えた。

 ──小さな背中。

 けれど、あの日見た誰よりも

 強く、温かい背中だった。

(……あれは、夢じゃない……)

 ジェイドは何も言わず、振り返らなかった。

ただ一歩、また一歩と街路を進んでいく。

(……名前を、まだ知らない)

 少女は小さく唇を噛み、

それでも、胸の奥が少しだけ温かいのを感じていた。



──あの日、確かに感じた温もりは、希望の名を持つ焔だった。

ジェイドの背中を見送る少女の胸に、小さな光が灯る。

【お知らせ】

お待たせしました。この続きから再び物語が動き出します。

これからも少年と少女の物語を、ぜひ見守ってください。



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