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メリトクラシア  作者: Lancer
番外編3
24/88

【第20話】★静かなる導火線★

静寂は、戦いの始まりよりも深く──。


グローリア模擬戦、本戦第一試合。


少年ジェイドは、“剣を抜かずに”決闘の場へと歩みを進めます。


すべての視線が集まる中、語られるのは言葉ではなく、沈黙と呼吸、そして視線。


「動かない」その一瞬に、何が燃えはじめたのか。


静かに、“導火線”が火を吹きます。


観客席が、異様な熱気と共にうごめいていた。

 決闘試験、本戦第一試合。出場者名が読み上げられるその瞬間まで、誰もが“あの少年”の姿を探していた。

「……注目のウンフェーイグ、来るか?」 「まさか落ちてなかったとはな……」 「さっき奴隷女連れてたよな。あれ、どこの出だ?」

 皮肉と期待と、蔑み。  そのすべてを背負いながら、ジェイド・レオンハルトは、白い砂の闘技場に姿を現した。

 真上から降り注ぐ日差しが、彼の影を細く伸ばしていく。  その一歩一歩が、空気の膜を割るように重く響いた。

 観客席の最前列。ノウス近衛の一角で、アイリスが小さく息を呑む。  不安げな紫の瞳は、ジェイドの背中を必死に追っていた。

(ジェイド様……どうか……)

 彼女の祈りは、届かない。けれど確かに、視線の中に宿る“想い”は、少年の歩みに寄り添っていた。

 その上層席では、審問庁の記録官たちが魔力スコープを調整している。  高位貴族、選定官、そしてグランフェリア・ロータス。  彼らの沈黙が、場の空気をより張りつめさせていた。

 試合前。  ただそれだけの時間に、息をすることさえ難しい。

 だが、少年は止まらなかった。

「……来たか」

 もう一人の出場者、ライナルト=グロースが静かに歩み出る。  端整な顔立ちに、余裕の笑み。  彼は腕を組んだまま、ジェイドを見下ろした。

「これが下層の“希望”か。案外、まともな靴を履いているな」

 侮蔑でも、怒りでもない。  それはあくまで“当然”という顔の正当化。

「君の奴隷、けっこう綺麗な顔をしていたけど──泣き叫ぶのも似合いそうだ」

 笑いながら、彼は言った。  その言葉に、観客がどよめく。  ジェイドの眉が、一瞬だけ震えた。

(黙れ……)

 怒りの熱が、胸の奥で脈打つ。  だが、ジェイドは剣の柄に触れながら、ゆっくりと息を整えた。

(……そんな言葉に、揺らぐものか)

 彼の手が、柄を握る。  剣を抜く。  沈黙の中にある、確かな“決意”。

「さあさあ、始まりますよ〜! 貴族様と平民クンの“社会的処刑”♡」

 軽やかな声が、空気を切った。  実況を担当する少女、エス=ミュール。  金の髪に小さな体躯。だが、その目には異様な光が宿っている。

「さすが吸血鬼の姫……わざとだろ、これ」 「ふふ、私、こういう“構造”大好きなんですよねぇ」

 傍らで冷静に記録を取るユミナが、ため息混じりに応じる。

「この少年は、表情に頼らず心を隠す。あれは……剣で語る者の眼」

 解説役として、ユミナの声はあくまで理知的。  観客席の“狂騒”とは対照的な、冷静な分析だった。

 互いに歩を進め、距離が詰まる。  砂塵が舞い上がる。

 ライナルトは笑っていた。  手を背後に回し、余裕の構え。

「どうした、剣を振るだけで精一杯か?」

 ジェイドの目が細くなる。

 そして。

 静かに、世界が“静まり”始めた。

 空気が重い。  観客席のざわめきが、まるで幻聴だったかのように薄れていく。

 魔力感知機が、一瞬だけ誤作動を起こした。  だが誰も、気づかない。

「……始め!」

 審判の声が響いた瞬間。  魔法陣が一閃の光を放つ。

 時間が──ずれる。

 音が遠い。  風の揺らぎが、視界を滲ませる。

 剣を抜く音。  それだけが、現実だった。

(……この瞬間を……きっと、誰かが記録している)

 ジェイドの瞳が、ただ前だけを見据えていた。

 そして、導火線は燃えはじめた。

──風が止む。

いや、止まったように“感じた”。

観客席にいる誰もが、次の瞬間を見逃すまいと息をひそめていた。

剣を抜かず、構えも崩さず、ただ睨み合うふたりの少年。

【実況】「さあ……“間”です! 今、これは……“空気の密度”だけで、物語が動いていると言っても過言ではありません!」

【解説】「ジェイドは……手を剣の柄にかけたまま、動かない。ライナルトは腕を組んで、嘲るような笑みを浮かべていますね」

ジェイドの背に、確かに視線が集まっていた。

アイリスの、不安げなまなざし。

審問庁の、無機質な“監視”。

貴族たちの、好奇と警戒のまじった眼。

──それでも、ジェイドの手は震えない。

(オレの“居場所”は……ここで証明する)

魔力測定装置の水晶球が、かすかに脈動する。

だが、反応は――ない。

【実況】「あれ……? 魔力、出てませんよ? 水晶、反応ゼロ? なんで?」

【解説】「……これは、おかしいですね。あの術式を放った後、通常なら魔力量は振れます。これは……“何か”を封じられているか……?」

その違和感が、空気を変える。

観客席に、さざ波のようなざわめきが走る。

「始め!」

審判の声とともに、魔法陣が浮かぶ。

淡い光と鐘のような音が、空間を震わせた――

──瞬間、時間が“ズレた”。

ジェイドの視界から音が遠のく。

目の前のライナルトが、歪んで見える。

(……これが、世界の“重力”ってやつかよ)

誰かの評価、誰かの監視、誰かの思惑。

全部が重なり、圧し掛かってくる。

(それでも、オレは)

両者、構えたまま動かない。

その“動かない”一瞬に、

言葉では語れない“意志”がぶつかっていた。

──この瞬間を……きっと、誰かが記録している。

ジェイドの胸の奥に、そう刻まれた“声なき声”があった。

──そして、静寂が裂けるのは、次の話数で。

剣と剣――否、“剣を抜かぬ構え”同士の対峙が、空気を締めつけていた。

 周囲の世界が止まって見えるほどに、ふたりの少年の存在だけが鮮やかだった。

【実況】「……これは、異常です。開戦から十五秒……互いに動きませんッ!」

【解説】「“動かない”ことこそが、最も緊張感を生むのです。ライナルトは余裕を見せ、ジェイドは……その“余裕”すらも断ち切ろうとしている」

 観客の誰かが、固唾を飲む音が聞こえた気がした。

「ねえ、あなた──怖くないの?」

 観客席の上段、特別席の横でそっと呟いたのは、ユミナではない。あの吸血鬼少女――エス=ミュールだ。

【エス】「だって、魔力、封じられてるじゃない? 普通に考えたら、不利どころか無謀よ?」

 しかし彼女の声には、どこかに“愉悦”と“哀しみ”の混じった響きがあった。

【エス】「でも、そういう子が、きっと“歴史”を変えるのよね」

 ライナルトが一歩、踏み込む。わずかに、地を鳴らす。

【実況】「動いた! ライナルトの一歩……これは挑発か、それとも──」

 対して、ジェイドの足元にも砂が舞う。ほんのわずかに、重心が前に傾く。

(動きたい。でも、まだだ)

 何かが引っかかっている。

 剣を抜きたくて、拳を握りたくて、叫びたくて――けれど、今ここで“衝動”に従うわけにはいかない。

(オレは……今、試されている)

「来いよ、下層の希望クン。そろそろ――お前の“身の程”を教えてあげようか?」

 言葉だけが、音として響く。

【ユミナ(解説)】「……彼の言葉は、単なる挑発ではありません。これは、“支配”の言語です」

 剣を抜く。それだけの行為すら、“下層”には許されないのだと――暗に示すかのように。

【実況】「ジェイド、どうする!? どう出る!? 観客席からの圧力も強まっています!」

 アイリスは、ただその姿を見つめる。

 声も出せない。ただ、祈るように。

(ジェイド……お願い、負けないで……)

 その祈りは届いたか、否か。

 ジェイドの足が、砂を――踏み鳴らす。

 ギシッと、空気が震えるような音。

【ジェイド】「……黙ってろよ、“上”のくせに、下を測ることしかできないなら」

【ライナルト】「ほう……言うじゃないか」

【実況】「これは……始まるぞ! ついに、本当の戦いが――!」

【ユミナ】「──違う。始まるんじゃない。“起きてしまう”のです……何かが」

 そして、観客席の最上段。

 審問庁の高官が、無言で何かを記録する。

 その視線は、ジェイドの動きではなく――

 彼の“魔力の沈黙”を、ただ静かに見据えていた。

 記録紙に記された、ひとつの言葉。

──《潜在封印、確認中。因子反応あり》──

 そして次の瞬間、世界は――震えた。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


第20話では、ついにジェイドが“模擬戦”の本戦に臨みました。


剣を抜かない、魔力も動かない。それなのに、これほど空気が張り詰めていたのはなぜか──。


本話では、「沈黙」と「視線」の交錯、そして“封じられた何か”の片鱗を描きました。


最後の一文、《潜在封印、確認中》。


この記録は、ただの監視ログではありません。

次回から、彼を取り巻く「観察の眼」と「記録する意図」が、より深く描かれていきます。


どうか、見届けてください。



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