【第12話】★それでも、隣にいたいから《刻印編・後》★(完全版/添削不要)
◇◆◇ 前書き ◇◆◇
名前を、笑われた。
それは、制度の記号ではなく──ふたりが選んだ絆の証だったのに。
第12話は、
“ジェイド”という名前が縫い込まれた布を、
“守りたいもの”として抱きしめる少女と、
それを笑われて、初めて怒りを声に乗せた少年の物語です。
声を上げること。
怒ること。
そして、信じること。
そのどれもが、ふたりにとっては勇気だった。
どうか、この一歩を、あなたの言葉で見届けてください。
校鐘が鳴る。 士官学校の授業が、正式に始まった。
ジェイドは教室の窓際席に座り、配られた教本を開く。そこには魔導史、軍法、戦術論など、目を疑うような専門用語が並んでいた。
(まるで別世界だ……)
周囲の生徒たちは当然のように筆を走らせている。彼らの中には貴族階級出身の者も多く、すでに予習を終えている者さえいた。
だが、ジェイドの視線は自然と教室の後方へ向かう。
──扉脇に立つ、ひとりの少女。 使用人服に身を包み、背筋を伸ばして控えているのは、他でもないアイリスだった。 仮保護制度の下、教室清掃や資料運搬などの補助を担う立場として、彼女も教室に“存在している”。 だが、机はない。椅子もない。 発言の許可も、名前の呼称も、与えられていない。
そして──その存在に気づいた生徒たちは、皮肉げに目を細めていた。
「ねぇ……あの子、あの使用人。噂の子でしょ?」 「ほら、“特例の仮保護”とかいう……」 「ってことは、あれって……ご主人様? あの平民の、ね?」
笑い声はあがらない。 だが、その“静かな悪意”が空気を冷やしていた。
アイリスは何も言わなかった。 だが、教室の隅で手を組んだまま、わずかに震えていた。
(見ないで……お願い、見ないで──)
目が合えば何かが壊れそうで、ジェイドは視線を逸らした。
──放課後。
「噂はもう広まっています。あなたが“奴隷と通学している”と」
ユミナの声は淡々としていた。だが、その言葉は確かに重かった。
「……だからって、間違ったことはしてない」 「あなたはそうでも、周囲はそう思わない」 「じゃあ、どうしろって……」
ジェイドの語気が強くなる。 だが、ユミナはそれを咎めなかった。
「距離と感情を混同しないこと。……誤解は、沈黙の中から生まれます」
その言葉に、ジェイドは何も返せなかった。
一方、アイリスは一人きりで寮の調理室にいた。 皿を並べながら、何度も手が止まる。
「“ご主人様”……なんて、呼べないよ……」
ぽつりとこぼれた声に、誰も答えはしない。 だが、その場にいた別の使用人の少女が、ちらりと彼女を見た。
「……気をつけたほうがいいよ。主人に懐くと、嫌われるから」
それが忠告なのか、嘲りなのか、アイリスには分からなかった。
その夜。 ベッドの上、制服の袖を抱えるようにして、アイリスは声を殺していた。
彼女の胸には、決して消えない刻印があった。 それは仮保護者名── “J・レオンハルト”と縫い込まれた文字列。
(わたし、ここにいて……いいのかな)
◇◆◇ 後書き ◇◆◇
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
この第12話は、アイリス保護編の感情的な頂点にあたる回でした。
ジェイドが怒る。
アイリスが「いたい」と言う。
たったそれだけのことが、こんなにも重く、
こんなにも静かに心を打つのは、
彼らがここまで、言葉にすることすら許されてこなかったからです。
そして──
ユミナという観察者が、
“名前とは、守るために縫い込まれるもの”と静かに認めた瞬間に、
この制度の中でも、確かに“希望”は灯っていることが示されました。
次回、第13話では、いよいよアイリス保護編の最終章へ。
学園に渦巻く噂と、視線と、沈黙の圧力が、
ジェイドたちを次のステージへと押し出します。
もう、見ているだけではいられない。
【補足】
第13話あとがきにて「アイリス保護編、最終回」と書いてしまいましたが、
正確には「感情的なクライマックスは12話」→「13話は余韻を描く幕間」→「番外編で補完」となっています。
本当の意味での“区切り”は、読者の心に残った感情だと思っています。
なので──
“この物語は、終わってなんかいない”。
むしろ、ここからが試練の始まりです。
 




