【第11話】★沈黙の教室と、呼ばれぬ名《完全版/添削不要回》★
◇◆◇ 前書き ◇◆◇
──守られることと、存在を認められることは、まったく違う。
第11話は、制度上は「保護」されていても、
実際には「名も、椅子も、声すら持たない」少女の姿を描きます。
アイリスは今日も教室に立ち、名前を呼ばれることなく、
教壇の隅に“存在だけ”を許されていた。
そして、それを見ていたジェイドは、初めて──
目を逸らす。
噂が静かに教室を蝕むなか、ふたりの関係に、
“沈黙”という壁が立ちはだかる第11話。
どうか、目をそらさず読んでください。
【第11話】
★階段と影の制服★
朝靄に包まれた学園の門前──。
ジェイドは深く息を吸い込み、背筋を伸ばしていた。
「……さて、行こうか」
初めて袖を通す士官候補生の制服は、まだ少し肩に馴染まない。
だが、それを着る資格を得たという誇りが、胸を張らせてくれる。
視線を横に向けると、少し離れた位置にアイリスの姿があった。
彼女は同じ制服ではなく、緑を基調とした簡素な“使用人服”を着ていた。
通用門から入るように指示されていたため、ふたりは別々に構内へ入ることになる。
「……気をつけてな、アイリス」
「はい、ジェイド様も」
笑顔だった。
けれど、その笑顔には緊張と覚悟が滲んでいた。
校内の廊下は、静かだった。
士官候補生たちの足音だけが、石畳に吸い込まれていく。
その一方で、裏手の通用門では、すでに使用人たちの点呼と配属先の確認が始まっていた。
「アイリス=アールグレイ。配属:第七貴族寮補助班。担当業務、食事準備・寮内清掃」
「……はい」
返事は小さく、それでもはっきりと通った。
「次、歩きなさい。遅れれば記録されます」
淡々とした女性の声──それはユミナのものだった。
今日からアイリスの指導を直接担当することになっている。
「言葉遣い、姿勢、作法。全てが“評価対象”です。私語は禁止。主人に話しかけられるまでは、黙って控えなさい」
「……はい」
アイリスの足取りは重く、それでも迷いはなかった。
この学園で生きるということは、彼女にとって“居場所”を手に入れることと同義だった。
廊下を歩くと、すれ違う生徒たちの視線が突き刺さる。
「見た?あの子……」
「奴隷って聞いたけど、マジで?」
「使用人服とか、かわいそうじゃね?」
──ひとつ、ひとつの言葉が刃のようだった。
けれど、アイリスは俯かず、目を逸らさなかった。
彼女の視線の先には、遠くを歩くジェイドの背中があった。
(……頑張らないと。ここで、負けたくない)
寮に到着すると、すぐに調理補助の準備が始まった。
使用人たちは黙々と働いていた。
誰もアイリスに声をかけなかったが、彼女は与えられた役目を懸命にこなした。
食器の位置、ナプキンの畳み方、スープの温度。
全てに基準がある。貴族は“完璧”を求めるのだ。
その中で、ユミナが一度だけ近づき、小声で言った。
「手元を見すぎないで。貴族は“所作”も見ています」
それだけだった。
けれど、アイリスはその一言で救われた気がした。
放課後──
寮の裏庭で、ジェイドと再会した。
彼はすぐに近寄ろうとしたが、ユミナが軽く首を振った。
「今はまだ、“仮預かり”の立場。軽率な接触は控えなさい」
ジェイドは言葉を飲み込んだ。
アイリスもまた、立ち止まった。
それでも、ふたりは目を合わせ、同時に微笑んだ。
「……大丈夫。今日一日、泣かなかった」
「そっか。えらいな」
「うん……あのね、わたし、ちゃんと務めを果たして……迷惑をかけないようにしたいの。……あの人の、そばで」
その言葉に、ユミナはふと目を細めた。
何かを思い出すように──ほんの一瞬、柔らかな表情を浮かべた。
だが、誰もそのことには触れなかった。
◇◆◇ 後書き ◇◆◇
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
アイリスにとって「仮保護」とは、居場所を得ることではなく、
「まだ名を呼ばれない者」として立ち続ける日々の始まりでした。
ジェイドもまた、彼女を守ると決めたはずなのに、
何もできず、ただ“目を逸らす”しかない場面に直面します。
この第11話は、
ふたりの間にある“差”と“制度”を最も無言で感じさせる回です。
次回、第12話では──
ついに“名前”という象徴が揺さぶられ、
ふたりの想いが言葉として、正面からぶつかります。
静かに、でも確かに動き始める感情の輪郭を、どうか見届けてください。




