第5話 学が逃げた場所。萌菜が避けた場所。
その日の夕方。
熱い試合を終えた碧谷西の新入生たちは、再び教室に移動し、今朝のテストを返された。
数学──97点。
英語──96点。
決して悪い結果ではなかった。ケアレスミスは一つもないし、不安だった記述と英作も部分点は確実に拾えている。今の福地学にできる、最大限のパフォーマンスだと言っていいだろう。
だからこそ──
「今回の1位は、数学と英語共に満点の松江だ。よく頑張ったな」
──実力の差は歴然だった
大原先生の言葉に、おーっと上がるという歓声と、パラパラと鳴る拍手。悔しさとやるせなさに、俺は圧し潰されそうだった。
「(ねぇ、松江さんすごくない?)」
「(バスケあんな上手いのに頭良いとかやばすぎ)」
「(天才ってやつだよね」
「(うちらとは次元が違うわ)」
後ろの女子のひそひそ声が、嫌でも耳に入る。
認めたくはないけれど、同意せざるを得ない。スポーツをすればクラスを優勝に導き、テストでは満点を取り圧倒的トップに君臨する松江萌菜。それは間違いなく、文武両道の”天才”だった。
「はい静かに! それでは今から自由時間とする。9時半に点呼を行うので、5分前には体育館に集合すること。以上、解散!」
※
何をする気も起きなくて、俺は外のベンチで夜風に吹かれながら、静かにブラックコーヒーを飲む。あいにくの曇り空も、今の俺にはむしろ心地が良い。
……愛北にいた頃を思い出す。美人で、生徒会長で、人望があって、模試は全国2桁。幼馴染の彼女は俺にとって最も近くて、遠い存在だった。
彼女に認められていることだけが、唯一の心の支えだったのに。彼女が本当に見ていたのは、俺の実力じゃなくて──
「あれ、がっくん?」
「うわっ!」
「も~、そんなにびっくりしなくてもいいじゃ~ん。傷つくな~」
「ご、ごめん」
……なんかデジャヴを感じるやり取りだな。
俺の背後から現れたのは、濡れた髪を頭の上でお団子にまとめ、アンパン○ンチョコをくわえた松江だった。今日はメ○ンパンナちゃんのやつらしい。
「がっくん何してるの? 部屋から追い出された?」
「いや出されてねえよ。松江こそ何してんの?」
「だからもなぴだよっ! 星観たいな~って思って出てきたんだけど……曇ってるね。残念」
よく見たら左手に星座早見盤を持っている。
昔フリスビーにして遊んでたら、父親にすごい怒られたっけ。
「星、好きなのか?」
「特別好きってわけじゃないけどね~。研修前に施設周りのこと調べたら、星がすごくきれいな場所って書いてたから。それで近所の科学館に勉強しに行ったんだ~」
「へぇ」
「そこでいろいろ本読んだり、直接館長さんに質問してたら仲良くなって、これくれたの~。じゃ~ん」
松江が得意げに左手の星座早見盤を掲げる。
「あ~あ、天の川観たかったな~」
すごい好奇心と行動力……松江が学年一位たる所以を垣間見た気がする。
俺はテストのことに頭がいっぱいで、研修場所周辺の環境なんて考えてすらいなかった。それにもしも俺が星に興味を持っても、ネットで少し調べればそれで満足していただろう。
「がっくんは何飲んでるの?」
「えっ? コーヒーだけど」
「え~、寝れなくなっちゃうよ」
なんて笑いながら、松江は俺の隣に腰かける。
改めて近くで見る松江は、瞳は大きくまつ毛は長い。そして汗粒が流れる首筋が、妙に色っぽかった。
「……また満点だったんだな、テスト」
「あ~、一応ね」
自慢するでも謙遜するでもない。いかにも興味なさげな反応。
数多の才能に恵まれながら、どうしてこんな自然に振舞えるんだろう。
「松江って、あんま自慢とかしないよな」
「う~ん、点数とか勝負とか、そういうのあんまり好きじゃないんだよね~。楽しくないもん。……あともなぴね」
「お、おう」
すごい睨まれた。これに関しては自然に流すことはできないらしい。
俺が松江なら絶対マウント取るけどな。人間性でも負けてる気がして悔しい。
「でも一番になろうと頑張ってるがっくんは好きだよ」
「そ、そうなのか」
さらっと発せられた好きの言葉に、冷えた耳たぶが熱くなる。
「もなぴはそんな風に夢中になれるものないから、ちょっと羨ましいな。ところでがっくんチョコ食べる?」
「いやいらない」
「え~、おいしいのに~」
とか言いつつ、松江はコ○ラのマ○チの大袋をビリッと開けた。それを一人で食うつもりかよ。
「明日の遊園地、楽しみだね~」
「そうだな」
「もなぴソフトクリーム食べたいな。チョコ味のやつ」
「……いっつもチョコ食ってんな」
この人、ニキビとか大丈夫なのかな。
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明日は19:10に投稿予定です。
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