勇者の宿命なんて聞いてません。
「な、なんだここは!?」
「お目覚めですか、迷えし勇者よ。」
「あなたは?」
「わたしはこの地に君臨する女神……モリーとお呼びください。あなたにはこれから悪しき魔女を討伐すべく勇者となっていただきます。」
「勇者って……え、俺は、確か道端で暴漢に刺されて……」
「そう、あなたは一度死んでしまいました。しかし第二の人生を約束されたのです。」
「第二の人生……」
「もちろん只で勇者になってくれとはいいません。あなたをオリハルオンに向かわせるため特殊な能力……祝福を授けます。」
「特殊な能力?」
「ええ、あなたへの祝福は……【収束した波動関数を再拡散させる能力】です!」
「…………は?」
「……。」
「……えっと、どういう意味ですか?」
「アムちゃん、この方にご説明を。出来るだけ丁寧に。」
「畏まりました、モリー様。貴君は〝シュレディンガーの猫〟という話を知っているか?」
「聞いたことくらいはあります。箱の中の猫が1/2の確率で死んでいるか生きているかという話ですよね。」
「その解釈は間違っている。元々コペンハーゲン解釈に関する反駁・逆説だ。生きている猫を発見する可能性は50%、死んでいる猫を発見する可能性も50%。すでに箱の中には生きている猫がいるか、死んだ猫がいるか、どちらかに決まっている。」
「それは……そうですよね。」
「だがそう考えない説がある。箱の中には非実在の生きている猫と非実在の死んでいる猫が同時に存在している。そして、誰かが蓋を開けた瞬間に、【観測】という行為をした瞬間に、どちらかの猫だけが実在化し、もう一方の猫は消滅してしまうというものだ。」
「な、なにやら哲学的な話のように思えてしまいますが……。」
「貴君に与えられた能力はその【生きてもいるし、死んでもいる猫】を【観測前】に戻す能力……、誤解を恐れずに言えば〝事象を自分の都合の良いように何度でも書き直す能力〟となる。」
「「そんな出鱈目な能力なの!?」」
「モリー様なにか?」
「コホン、いえ、なんでもありません。」
「とはいえ無敵の能力ではない。能力の発動前に死すればそれまでであるし、書き直した結末がよい顛末を迎えるとは限らない。何度も何度も同じ時をやり直すことになるかもしれない。常人であれば発狂して然るべき事態にもなりかねない。それに肉体能力はタカハシアキヒロのままだ。魔女に蝕まれ魑魅魍魎跋扈するオリハルオンでは初手に強敵と出会いそのまま殺される可能性もある。」
「そんな無茶苦茶な!わたしは格闘技のひとつも習ったことがないんです!」
「こちらの事情に巻き込んでしまったのは大変申し訳ないと思っている。だが貴君の力が必要なのだ。どうかどうかこの通り、世界を救ってくれないだろうか。」
「……もし俺がこの提案を拒否したら?」
「その魂は冥府へ落ちる。冥府がどのような場所か、わたしたちは知らない。」
「…………。」
「だがその身に祝福を宿し、勇者として生きたならば良い巡りあわせがあるかもしれない。どうか勇者として、オリハルオンの地へ降り立ってくれないだろうか。」
「正直勝手な話だと思っているよ。腹も立っている。」
「……どこに腹が立つ要素があるんだ羨ましい。」
「何か言ったか?」
「いえ、何でもありません。」
「だが選ばれたというならば、やってやる!魔女だか何だか知らないが、この手で倒してやるよ!」
「そうですか、ありがたい話です。では行きなさい!勇者よ!」
●
……とまぁ光に包まれ高橋明宏は勇者として旅立ち10日が過ぎた。神族がオリハルオン奪還に向け直接的な働きをしたのは初めてであるとアムちゃんは大層感動していた。わたしは〝主様〟として神殿の中でも豪華に設えられた部屋でのんびりお茶を飲んでいる。
「アムちゃん、勇者アキヒロの様子はどうですか?」
「はい、現在ラール地方で亜人族の奴隷であった少女を仲間に連れており、その少女は魔力に長け幾多の攻撃魔法を扱える様子で、懸念されていた対戦闘における脆弱性も補強されつつあります。」
何それ羨ましい。あれじゃん、奴隷商人が〝この奴隷は役立たずですよ〟とか言っておいて実はすごい能力を持っていたパターンじゃん。というか何で異世界の奴隷商人ってあんなに目が節穴で善人なの?わざわざ役に立たないこと教えてくれるし、その割にしっかり連れて歩いているし、庇護欲をそそらせて売る戦術なのか?
「それは結構なことです。ほかに動きは?」
「勇者アキヒロとは関係がないのですが、我らタリエシンに対し不穏な動きが……。」
不穏な動きねぇ、すまないアムちゃん、そもそもこの組織のことを未だによくわかってないんだよ。
「聖地からの離散を余儀なくされた我ら神族ですが、一枚岩に程遠いことはご説明した通りでございます。その中でも、ハルファを名乗る財団組織が異世界各地に点在しております。奴らはシルトという商業が盛んな異世界に拠点をもち、奇妙にも金貸しや銀行業、債務管理を生業としており、各地を財で支配しております。」
随分と生臭い神様がいたものだ、しかし女神の身体になってわかったが3大欲求というものが人間よりも遥かに少ない(もちろん個人差はあるのだろうが)。そんな大金を集めて何をしようというのだろう。
「とはいえ神族とて霞を食べて生きていけないといったのはアムちゃんの言葉。我々とて〝金〟は無縁ではないはずです。」
「仰る通り、人間・亜人・魔族の社会に溶け込む以上、金銭は必要不可欠な存在です。こんな辺境の異世界に居を置く我らも……」
「待ってください!ここも異世界なのですか!?」
絢爛豪華な神殿に周りも女神ばかりだから、てっきり天界的などこかかと思っていた。
「はい、魔女ケリドウェンの瘴気を集めるという危険極まる作業を行う以上、ある程度文明が発達していなければ魔法の元となる原材料も手にできませんので、ある程度平和であり、温厚な種族が住まうこの地に居を置きました。」
ここも異世界なのか!ちょっと見回りしてきたいな!まぁ今は無理か。
「そうですか、すみません。話がそれましたね。ええっと……お金持ちな神族の話でしたね。」
「ええ、そのハルファを名乗る団体ですが、ベルセン方伯領……我々が居を置くこの地における最高権力者の宮廷御用商人として登用されました。それに伴い我らが所有する財団法人や慈善施設の運営に陰りが見えてきております。」
剣と魔法の世界に来てまでお金の心配しなければならないの!?どれだけ神様はわたしを苦しめるの!?わたしも祝福をもらって亜人の女の子と色んなところ旅したい!!
「そうですか、穏やかじゃないですね。向こうの意図が不明である以上静観いたしましょう。」
「仰せのままに。」
「ところでアムちゃん、あなたは最初わたしに神様を名乗っておりましたね。」
「汗顔の至り、恐れ多い話でございます。」
「わたしはこのまま女神を名乗っておりますが、わたしも神様を名乗るべきなのでしょうか?」
まぁ神様と女神様の違いを問われてもわからないけれど。
「それはわたしがタリエシンにおける唯一の男性だからでございます。」
ゑ?
「え!?」
「なにか?」
「アムちゃんって男の娘だったの!?」
「モリー様、なんだかイントネーションがおかしくありませんか?」
赤髪のボブにまだ幼い顔立ち。ええぇ本当にいたんだ、可愛よ、ただのロリだと思ってた。
「いえ、少し驚いただけです。」
アムちゃんは珍しくプクっと顔を膨らませて赤面している。コンプレックスだったのだろうか。
「兎に角、我々は我々の成すべきことを行うのみです。」
「はい!苦節2000年、ついにオリハルオン奪還のため直接的な一手を打てたことは大いなる進歩であるかと!」
「大変ですモリー様!」
わたしとアムちゃんの居室に緑の服に身を包んだ女神が駆け込んできた。
「どうされました!?」
「勇者アキヒロが魔女ケリドウェンの配下に討ち取られました!」
この時わたしは自分が行った、そしてこれからも行うであろう業についてを薄ぼんやりと理解した。勇者とは【使い捨ての駒】でしかないのだと。