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俺じゃ駄目だったのか?

 森を抜けると、焼け野原が広がっていた。

 巨大な爆発音が聞こえて、俺は山から下りてきていた。

 建物が崩れて、あちこちから白い煙が上っている。川の方から肉の焼けた匂いが漂ってきて、また人間が大勢死んだのだと知った。

 いびつな形をした大きな大きな黒雲が空に広がっていて、足元にひとり、小さな人間が倒れていた。

 細く短い指が、俺の方に向かってわずかに動く。

 花のようだと思った。今にも枯れそうな、小ぶりな花。

 俺はその子を連れて帰ることにした。



 少女は息を吹き返すと、何か叫んで走って逃げ出そうとした。

 けれどすぐにつまずいて、花畑の真ん中で転んだ。そのまましばらく泣いているので、様子を見に行くと、俺を見てまた叫んで逃げた。そしてもう一度転んで、泣いた。

 彼女は俺の姿が好きではないのかもしれない。

 俺のすみかから人間の町までは遠いので、人間の言葉で説得することにした。

 「だいじょうぶ。怖くないよ」

 言葉が通じると分かっても彼女はびくびくしていたけど、俺は気にしないことにした。

 何日かが経った。

 俺はいつものように花畑の世話をして、少女はそれを見ている。ときどき質問をしてくるので、人間の言葉で答える。

 「ここはどこ?」

 「街から、ずっと遠いところ。誰も来ない、静かなところ」

 「どうして花を育ててるの?」

 「花が好きだから。花は綺麗だ」

 しおれてきた花を元に戻し、木の実を取りに二人で出かける。

 空は青く、晴れていた。彼女の機嫌も良かった。

 「おじさんはゴリラなの?」

 「ゴリラじゃないよ。俺はそれに似ているの」

 「うん。毛むくじゃらだし。おっきいし」

 「へぇ。俺はゴリラに似ているのか」

 木の実をむしり取りながら、彼女はよく喋った。普通、人の子供には親というものがいるはずなのだけれど、彼女は親の話を全くしなかった。

 彼女は自分の名前を知らなかった。

 花畑を走り回りながら、彼女は屈託なく笑った。彼女が言うには、俺の花畑は東京ドームくらいの広さらしい。よくわからない。

 彼女は俺の半分くらいの背丈しかなかった。何年生きているのかと尋ねると、「小学一年生」と元気に言った。一年しか生きていないわけではないらしいが、よくわからない。

 強く風が吹くたび、花びらが宙を舞い、ひらひらと落ちる。花が傷つくのはあまり好きではないが、その景色は綺麗だった。彼女は手を叩いて喜んでいた。


 また何日かが経ったある日、花畑の端の木に雷が落ちた。ドカンと大きな音がして、俺の腹の上で少女がびくりと身を震わせた。

 次の日、目を覚ました少女は以前と変わってしまっていた。二人の親の名を呼び、泣いて、叫んで、また酷く泣いた。

 その日、彼女をここに連れてきてから初めて、雨が降った。

 洞窟の中でも彼女は泣いた。もう俺の腹には乗ろうとしなかった。

 名前は「はつね」というらしかった。

 俺が彼女を拾った日。彼女は死にかけていた。いずれ寿命を迎える花のように。

 そんな日のことを、数日間だけ彼女は忘れていたのだ。大きな大きな爆発音。強烈な悪臭。嫌な記憶だ。知らずにいるならその方がいい。

 いっそのこと嫌なものすべて忘れ去って、花畑で遊んで暮らせばいい。そうだろう。

 それなのに「帰りたい」と彼女は言った。

 「家族がいる場所に帰りたい」そう言うのだ。

 俺は迷った。親と会ったら、はつねは泣くと思った。

 けれど、彼女の願いだ。叶えてやりたかった。

 彼女を肩に乗せて、山を下りた。彼女を拾った場所に向かった。晴れた日だった。

 はつねの親はまだそこにいた。彼女が倒れていたところから数メートルの木陰に折り重なって倒れていた。

 彼女は泣き叫んだ。親二人は命を終えていたからだ。花に例えるなら、枯れていた。

 腐臭も虫も構わず、彼女は親を抱いた。そしていつよりも激しく、泣いた。

 「返してよ、お父さん、お母さん、戻ってきてよ!」

 彼女の目は濡れていた。枝に止まっていた小鳥が飛んでいく。

 俺に何かできることはないかと考えた。枯れた花をもとに戻しても、生きた花にはならない。はつねを元に戻した時のようにはできない。

 何かしてあげたい。

 はつねを幸せにしたい。

 俺の頭は今までにないほどに考えた。考えた。そして一つだけ、可能性が浮かんだ。

 俺は空中に手をかざし、“それ”を戻した。

 はつねが泣いている。小鳥が木の枝に止まっている。

 「返してよ、お父さん、お母さん、戻ってきてよ!」

 小鳥が羽ばたき、曇り空へ消えていった。

 「はつね」

 彼女が身をよじって俺を見る。俺は少し言いよどんだ。

 「あの時に戻って、やりなおすかい」

 はつねは顔を濡らして俺を見ている。

 「お父さんとお母さんと、一緒に行くかい」

 彼女は目元をぬぐった。そして首を縦に振る。絶対にそうするのだという顔をしていた。

 けれどあの時、俺が見つけたのは彼女だけだった。あの場に命の気配はひとつしかなかったからだ。親と一緒のところへ行くというのなら、彼女は。はつねは。

 「ほんとうに? はつねは、それでいいの」

 「うん」

 「そうか……」

 彼女はうんと言ったのに、俺はまた躊躇していた。空が嫌になるほど青い。

 「はつね。それじゃ、いくよ」

 「うん。……ふふ」

 「どうかした」

 「おじさん、泣いてる」

 目の下をぬぐう。確かに濡れていた。そうか、俺も泣いていたのか。

 彼女が手を差し出す。壊さないように、そっと握る。

 俺は空中に手をかざした。

 「はつね、君の行く世界にも花はあるかな」

 「うん、あるよ。綺麗な花が、たくさん」

 はつねは微笑んだ。

 時が戻る。俺がはつねに出逢った、あの時に。



 目の前に焼け野原が広がっていた。

 足元に、はつねの体がある。倒れている。全身にやけどをして、苦しんでいる。

 細く短い指が動き、木陰の方を指した。俺は彼女をゆっくりと持ち上げ、両親のもとへ運んでやる。両親の肌とはつねの肌が接する距離に、細心の注意を払って下ろす。

 はつねの頭を撫でた時、小さなつぶやきが彼女の口からこぼれた。

 それは初めて聞く言葉だった。

 だがその言葉を聞いた時、俺は彼女の笑顔を思い浮かべた。それはとても甘い響きを持っていたからだ。

 俺は人里を離れる。帰り道は普段より長く感じられた。その間、ずっと彼女について考えていた。人間の、彼女のことを。

 彼女は親と何年ほど過ごしたのだろう。あんなに小さいのだから、きっとそれほど長い年月ではないはずだ。

 俺とはつねが一緒に過ごしたのは、ほんの七日。

 それでは駄目だったのか?

 彼女は「家族がいる場所に帰りたい」と言った。

 俺ははつねの家族にはなれないのか? 同じ人間でないといけないのか? なぜ俺ははつねの家族になれない?

 あのまま、親や名前を忘れたままだったなら。何も知らずに、一緒に花畑で暮らせたなら。頭に綺麗な花飾りをつけて笑う彼女を見られたなら。

 ああ、やめろ。頭がおかしくなる。俺はおかしくなってしまった。

 あの子の家族は親二人だけ。知っている。分かっている。

 それなのに。それなのに考えてしまう。


 俺じゃ、駄目だったのか?


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