一日目・八 真実はいずこ
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
そろそろ街でも城でも人々が寝静まる時刻だろうか。どこかで鳴く梟の声がよく聞こえる夜更け。
銀竜城のとある客室は燭台の明かりもついたまま、重い沈黙に包まれていた。部屋にいるのは四人の男女。一つも楽しい雰囲気など無く、四人はそれぞれ椅子に腰を下ろし、ただただ黙りこくっている。
テーブルの上は既に片付けられ、茶の用意もない。それはそうだ。だって今は客室で客をもてなしているのではなく、不審人物を尋問しているのだから。
「……では、これまでのお二人の経緯をまとめますね」
至極疲れた声で、クラヴィスが口を開いた。
「傾き始めた軍需部門を立て直す為に、アイテール財閥はアーカリドゥス家の援助を求め、それに応じたヴェリタス卿が弟のイグニスをステラさんに婿入りさせることを決めたと。
アダマス伯爵の葬儀と共に顔合わせがあるはずだったが、何故かその場があの晩餐会の会場になり、更に何も聞かされていなかったイグニスがぶち切れた。そしてそれを知った幼馴染で付き添いのゼフィールさんが、イグニスを説得しようとあの庭に呼び出し、ゼフィールさんがいないことに気付いたステラさんは慌てて追いかけた、と……」
そこまで一息に説明して、クラヴィスがちらりと財閥の二人を見やる。ステラとゼフィールは肩身狭そうに椅子に座って縮こまっている。さすがにあの茶番を振り返って、恥ずかしかったなと後悔できる程度には常識があるようだった。
クラヴィスはさらに念を押す。
「間違いないですね?」
「はい……」
「その通りです……」
俯いたままの二人が力なく頷く。それを見て、イグニスは面倒くさそうに明後日の方へ視線を向ける。
「迷惑かけたことは謝るわ……でも、こっちだってそっちがまさか婚約の話を聞かされてないなんて思ってもなかったのよ? あの場で断るにしても、もう少し配慮できなかったのかしら」
ステラが顔を上げ、不満そうな表情を隠そうともせずに言い募る。
「……はっきり言わんとヴェリタスにどう利用されるかわからんからな。あれは清廉潔白な英雄の子孫でも、優しい好事家というわけでもない」
顔を背けていたイグニスは、ぎろりと目だけをステラに向けた。その目にゼフィールは脅えるようにびくりと身を震わせたが、ステラは怯む事無く正面から見つめ返す。
化粧がやや崩れかけているが、それでも女の端正な容貌に翳りはない。
「あれは、人の背後に隠れて自分の思いのままに世間を操ることを得意としている。どんなに耳障りのいい言葉に聞こえても、あれにつくととんでもないことになるぞ……まぁ、お前たちはもう手遅れかもしれんが」
「どういう事?」
ステラが眉根を寄せる。
イグニスが言いかけたことに、クラヴィスが少し案じるような顔をした。それを目だけで制し、クラヴィスは組んでいた足を戻してゆっくりとステラ達に向き直った。
「この際だ、説明してやる。まだ公にされてはいないが、現在アーカリドゥス家にはいくつかの嫌疑がかけられている。俺たちはその容疑を調査するために軍から派遣されてきた調査員だ」
はっきりそう言ってやると、ステラは「え?」と小さく声を上げる。
「最近、国内のいろいろなところで犯罪者集団が摘発されているのは知っているな?」
「え、ええ。よく新聞に出てるわね。なくなった帝国の残党とか、王室転覆を狙う過激派組織とか、おかしな新興宗教とか……」
「そうだ。他にもいろいろな組織や団体が最近になって活発に活動するようになり、お上もてんやわんやだ。じゃあ何故そういった奴らが一斉に活動するようになったんだろうな?」
イグニスの問いに、ステラがふと考え込む仕草を見せる。
「何故、か……特に王室や議会が何か大きな改革をしたわけでもないし、経済も特段悪いわけじゃない。組織同士に繋がりがあるわけでもなさそうだし……王国の方針とか情勢が原因じゃないなら、誰かがわざと力を貸して蜂起させているとか? え、でもなんでそんなことを……」
ステラはしばし悩んだ末に答えた。横に座るゼフィールが怪訝そうな顔をし、クラヴィスとイグニスはステラの考えの鋭さに少しだけ表情を引き締める。
彼女にとってはそれほど身近な問題ではなかったのだろう。しかしそれでも世情や政治を冷静に分析し、問いに答えようとする姿勢は流石若年にして財閥を預かる器であると言えた。
「……お前の考えは合っている。つい最近になって、各組織に金や武器を流しているルートが解明された。いくつかあるルートを辿っていくと、最終的にここ、アーカリドゥス家に辿りつくんだ」
「ええっ!?」
「理由はわからん。だがいくつもの状況証拠を積み重ねると、アーカリドゥス家が奴らを支援しているとしか思えない結果になる。これが本当であれば重罪だ」
イグニスの説明に、ステラとゼフィールは目と口をぽかんと開けたまま固まってしまった。
「ちなみに、アーカリドゥス家と犯罪者集団を繋ぐパイプ役としていくつかの商会の名が挙がっていてな。大半が、アイテール財閥傘下の商会だと言われている」
「なッ……!!」
ステラがさらに目を見開く。
「ちょ……ど、どういう事よ!?」
ばん、と目の前のテーブルに両手を叩きつけて立ち上がる。ステラの形相は、果たしてただの驚愕なのか、それとも真実を暴かれそうになっていることへの焦りなのか。
イグニスはそれを見定めるべく、じっと見つめた。
「詳しいことは俺も知らん。俺はあくまでこの家の疑惑を確かめるために送り込まれてきた。財閥のほうは近く別の調査員が派遣される予定だったはずだ」
「そんな……じゃあウチは……いえそもそも、アーカリドゥス家はどうなるっていうの? あなただってこの家の人じゃない、それがなくなったらあなただって……!」
「彼はもう覚悟を決めてここへ来ています」
クラヴィスが言葉を継いで言う。その声はどこまでも冷え切っている。
「彼、イグニス・アーカリドゥスは生家であるこのアーカリドゥス家を取り潰す為にここにいます。当然、自身にも嫌疑がかけられることは承知の上です。証拠に、彼は自身の意思で首に強制終了術具を装着することを了承しました。もしも彼が国を裏切るような行動に走った場合、同じく調査員である私の判断で彼を処分することが可能です。
……そうなっても構わないという覚悟の上で、彼はここにいるのですよ」
冷静なクラヴィスの説明の横で、イグニスは自身の襟を寛げ、その太い首に嵌められた金属のチョーカーを覗かせた。飾り気のないその首輪は装飾品などではなく逃亡の恐れのある重罪人に使われるもので、特定の起動呪文を術者が使用することで輪が凄まじい力で縮小。物理的に首と胴を切り離して文字通り強制終了させる怖ろしい術具である。
きっとその術具のことをステラは知っているのだろう。眉を顰め、思わず口許を手で覆った。
「ステラさん、どうぞお座りください」
眼鏡を押し上げながら、クラヴィスが立ったままだったステラを着席させる。
何も言葉が出てこないという表情のステラを、ゼフィールが気遣わしげに見つめていた。
「晩餐会の時は、確かに俺も気が動転していた。そこで吐いた暴言については謝罪しよう。だがこれでわかったはずだ。俺が絶対にお前と結婚しない理由が」
襟を直し、イグニスはステラを真っ直ぐに睨みつけた。
イグニスがどれほどきつく睨みつけようと、ステラは視線を外さない。しばし睨み合い、それから一度大きく息を吐き、口を開く。
「……そちらの言い分はわかった。でも、だからといってアーカリドゥス家が国家転覆を企んでるとか、うちの財閥がその片棒を担いでいるとか、そんなこと信じられるわけないじゃない。本当だとしたら、私はとんでもないピエロってことになるわ」
「少なくとも俺にはそう見えている」
「くっ、歯に衣着せない人ね……まぁいいわ、まだこの疑惑っていうのははっきり白黒ついているわけじゃないんでしょ? あなたたちがそれを調査しているっていうんだから、私たちは堂々と結果が出るのを待つだけよ」
ステラはそう言って傲然と胸をそびやかし、脚を組んで膝の上に手を置いた。
「私たちはきちんとした取引しかしていないわ。神に誓って罪になるようなことはしていないって、胸を張って言える。
むしろ私はあなたがそこまで家を取り潰すことに真剣になっていることのほうが異常に見えるわ。その為におかしな証拠をでっちあげられないか、そっちのほうが気掛かりよ」
「あ、ああ、それは僕もそう思うよ。イグニスさんはどうしてそこまでしてアーカリドゥス家を潰したいんだ?」
ステラとゼフィール二人からの詰問にも、イグニスは毛ほども表情を変えない。その横でクラヴィスがそっと眼鏡を押し上げる。
「簡単なことだ。俺はあの男を、ヴェリタスを潰したい。その為にはこのアーカリドゥス家を潰す必要が……いや、グロリウスの名声を地に落とす必要がある」
イグニスはそう言って、左肩にかかっていたマントを引き剝がした。