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一日目・七 夜の傍迷惑

「最悪だ。最悪以外の何物でもない……」


 マントと上着と帽子、手袋を脱ぎ捨て、シャツの襟元を寛げる。心底うんざりとして椅子に凭れ掛かり、天井を仰いだ。


「なんと言うか……ヴェリタス卿は、我々が面倒くさいと感じる手札の中で一番面倒なカードをわざわざ使ってきたって感じですね」


 そう言って、どこか呆れた様子のクラヴィスが床に落ちた衣服を拾い上げ、ハンガーに掛けていく。疲れた顔のイグニスは、それを見もせずただただ溜め息を漏らしていた。

 先程、晩餐会であったことを部屋に残っていたクラヴィスに説明してやっていたのである。つまりはレグルスの爵位継承と、ステラ・アイテールとの急な婚姻話のことだ。

 レグルスの話はともかく、アーカリドゥス家以外のもう一つの捜査対象への婿入り話は確かに面倒以外の何物でもない話であった。

 何があろうとも絶対に大反対の縁談だが、かといってこちらがしらばっくれているうちに勝手に話を進められても困る。無視して捜査に集中しているうちに足元を掬われる種にされるのも嫌だ。だがあの衆人環視の中で結局イグニスの存在が悪目立ちしてしまっており、今後の捜査にも影響が出ることが考えられるわけで――。


 ここはイグニスとクラヴィスに宛てがわれた客室。これが上位階級の為の客室ならそれぞれ個室だったのかも知れないが、生憎相部屋である。それでも寝室と応接間とが分かれており、広さは十分だろう。

 内装も重厚で品が良く、調度品も一級品だ。そしてそんな一級品のテーブルの上には、まだ温かな湯気を立てている料理の数々が並んでいた。晩餐会に出席しなかったクラヴィスが部屋で食事を摂れるよう用意させていたものだ。どうせイグニスは晩餐会の会場で食事はしないだろうと、きちんと二人分が用意されている。

 名産の魚料理、仔羊のグリル、澄み切ったスープ。色鮮やかなゼリー寄せやパテ、パイ包み焼き、新鮮な葉物野菜や果物もある。無論、食前酒と食後酒も上物である。


「一先ず、飯にしましょう。どうせ我々は葬儀が済むまで王都には帰れません」

「……そうだな」


 何が起ころうと、与えられた任務は全うしなければならない。それならば、せめて美味い料理くらい楽しめなければ割に合わないというものだ。思案は一時中断して、二人そろって食卓に着いた。

 クラヴィスは心得たように瓶の栓を開け、二つのグラスにワインを注ぐ。イグニスはとりあえずフォークを手に取り、切り分けられていない仔羊の肉に突き刺した。


 力はある。イグニスは隻腕だが戦闘能力に関していえば、相当な手練れであるという自負がある。

 しかしながら、隻腕だとこうした日常の細々とした作業はどうしても人の手を借りなければならない。クラヴィスは昔からの付き合いであり、自然と自分からイグニスの介助人のように働いてくれていた。得難い友である。


 グラスを渡してくれた無二の友に小さく感謝を述べ、イグニスはフォークで刺した肉にかぶりついた。こんな食べ方は、やはり晩餐会などという場所ではできるものではない。

 伯爵家の料理人たちによる贅を凝らした料理は流石に美味であった。イグニスとクラヴィスも別に薄給というわけではないが、さすがにこれほどの美味はそうそう味わえない。二人は黙々と料理を食べ進める。

 そして料理の粗方を食べ終えた頃。


 かつん。

 何かが窓にぶつかる硬い音がした。


「……?」


 イグニスとクラヴィス、二人は同時に顔を上げた。かつん、こつん、と続けて音が鳴る。すぐ近くの窓から聞こえてくるようだった。ちなみにここは三階である。風や小動物の仕業などというわけではないのだろう。

 顔を見合わせた軍人二人はそっとカトラリーを置き、口の中の食べ物を飲み込んだ。視線は油断なく窓へ向けたまま、音を立てずに立ち上がる。

 イグニスは壁にかけていたマントを取ってさっと羽織り、クラヴィスは隠し持っていたナイフを確かめ窓の傍へと寄った。

 今は夜も遅い時間であり、窓には深緑色の緞子のカーテンがかけられている。まずはそのカーテンを開く前に、イグニスは燭台の火を消した。明かりをつけたまま窓を開けても夜目が効かないからだ。火を消して、少ししてからそっとカーテンを開ける。特に音はない。

 窓の左右に二人が立ち、暗闇の中で目配せしながら窓を開いた。

 両開きの窓が開き、隙間ができた瞬間。


「「!」」


 さっと、二人の間を通って何か小さなものが部屋の中へ飛び込んできたのである。

 クラヴィスは素早く窓とカーテンを閉めた。同時にイグニスは魔力を操作して燭台に火を付ける。明かりが戻ると、二人は絨毯の上に落ちたそれを見た。


「なんだこれは」

「手紙、でしょうか」


 厚みのある上等な絨毯の上に落ちていたのは、一枚の紙きれだった。最初畳まれた状態であった紙きれは二人が見ている間に独りでに開かれていき、その内側には何やら文字が書かれている。状況からして、何者かが魔術で紙を飛ばし、この部屋へとねじ込んだようだった。

 メッセージを送るだけなら城の使用人に言いつければいいだけだというのに、こんな回りくどい方法で手紙を送ってくる相手など、生憎見当がつかない。イグニスは警戒しつつもその手紙を拾い上げ、文面を読んだ。


『イグニス・アーカリドゥス殿へ告ぐ

 決闘を望む すぐに窓の下の庭まで来られたし』


 書いてあることはそれだけだった。


「……なんだ、これは」

「さぁ……」


 よくわからないがひたすら怪しい手紙に、二人の男は怪訝そうに首を傾げた。



   ◇ ◇ ◇



 怪しい手紙は無視しても良かったのだが、相手の正体が不明のままでは居心地が悪い。念の為に確認だけしておこうということで、イグニスとクラヴィスはランプ片手に庭に出た。


「いっ、イグニス・アーカリドゥス! きみに、け、決闘を申し込むっ!」


 そうしたら、これである。

 庭にいたのは、へっぴり腰で細剣を携えた不審な優男であった。栗色の髪を長く伸ばして一つにまとめた髪型や、端正でたおやかな顔立ちといい、どことなく役者や芸術家めいた雰囲気の若者である。

 そんな男が、膝をカタカタと震わせながらこちらの足元に手袋を投げつける。草地に落ちた手袋が、ぺそ、と情けない音を立てた。


「「…………」」


 イグニスとクラヴィスが今日、何度目かの顔を見合わせる。そしてイグニスは溜め息を吐きながら項垂れ、クラヴィスは怪訝そうに口を開いた。


「あの~、お兄さん……どちら様でしょう」

「あっ、えっと、ぼ、僕はゼフィール! ウェンティ楽団のゼフィールだ!」


 男は少々慌てつつも、はっきりとした声で名乗りを上げた。それを聞いて、はぁそうですか……とクラヴィスが曖昧に相槌を打つ。芸術家っぽいな、と思った直感は正しかったようだ。

 クラヴィスの記憶が正しければ、ウェンティ楽団は王都で評判の歌劇団だ。街を歩けば公演のポスターをよく見かける。新しい音響魔法を駆使した歌劇の臨場感が素晴らしいとかなんとか、知人から聞いた覚えがあった。


「それで、そのゼフィールさんが何故うちのイグニスに決闘を?」


 首を横に傾げて問いを重ねる。


「……あなたがたにこんな決闘を挑むのがどんなに馬鹿なことかってわかってはいるけど、それでも、僕はやらなければいけないんだッ」

「なんかの歌劇の役ですか? いいから理由を話してください」


 クラヴィスの対応はあくまで冷たい。曲がりなりにもクラヴィスらは任務でここにいるのである。アーカリドゥス家と関係があるのかよくわからないが、別の捜査対象になっている相手と遊んでいる暇はないのだ。


「さっき聞いたんだ。イグニス、あなたはアイテール商会のステラの婚約者であるはずなのに、大勢の前で婚約を破棄してステラを傷付けたと!」


 ゼフィールはびしっとイグニスに向かって人差し指を突き付けた。

 どうにも余計な脚色がなされているようだ。こう言われては、うんざり顔のイグニスも黙ってはおれない。


「婚約なんて最初から了承した覚えなどない。望んでもいないのに、謀略の匂いしかしない最低の縁談を無理やり結ばされそうになったから抵抗したまでだ」


 イグニスは低く唸るような声で反論した。その形相が怖ろしかったのか、睨まれたゼフィールはひぇ、と情けない声を漏らす。


「き、貴族だったら家の為に政略結婚もするものだろう!? そんなに嫌だったらもっとよく話し合えばよかったじゃないか!」

「貴族の生まれだからこそ、国の敵となり得る家になど婿入りできるわけないだろう。話し合い以前の問題だ」

「なっ……し、商人の家に入ることがそんなに嫌なのかい!?」


 まったくもって話にならない。イグニスとクラヴィスは深く深く溜め息を吐いた。


「階級差別だなんて、許せない……やっぱり僕と決闘しろ! 僕が勝ったらきみは心を入れ替え、誠心誠意ステラを愛するんだ! 嫌とは言わせないぞ!」


 よくわからない正義感丸出しのゼフィールが細剣を抜いた。恐らく武芸の心得など何もないのだろう、構えも何もかもが危なっかしいといったらない。見ていられないとばかりに、クラヴィスはやり場のない手を彷徨わせ「あーあーあ……」と声を漏らした。

 対してイグニスは至極面倒くさそうに夜空を仰ぐ。最悪気絶させて武器を取り上げればいいのだろうが、相手は触っただけで手足の折れそうな華奢な音楽家。下手に怪我を負わせて訴訟になったりしたらもっと面倒くさい。

 さて、どう手加減したものか……と、イグニスが考えを巡らせた、その時だ。


「ゼフィール、待って! 私の為にそんなことをするのはやめて!」


 庭の向こう側から赤毛の女が走ってきたではないか。

 見覚えのあるその姿に、イグニスはそろそろ胃痛を感じ始めていた。

 走るたびに靡く薔薇色の髪。夜目にも白い肌。黒いドレスは先ほど見たままだが、ベールやアクセサリーなどは外しているようだ。

 間違えようがない。彼女の名は。


「ステラ、止めないでくれ! 僕は何としても彼を打ち負かさなければならないんだ!」


 そう、ステラ・アイテールである。


「私の為に争わないで! 貴方の手は血に汚れるためにあるのではないわ!」

「きみだけに重荷を背負わせて、僕だけのうのうと生きていくわけにはいかない……例えに度と音楽を奏でられなくなったとしても、僕は戦う!」

「ああ、ゼフィール!」

「ステラ……!」


 とかなんとか、すっかり二人の世界に入り込み、手を取り合って泣き出してしまった。


「…………」

「…………」


 白けたイグニスとクラヴィスは、最早かける言葉すら失ってただただ立ち尽くしていた。


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