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一日目・六 乙女は諦めない

「もう無理〜〜〜!!」


 晩餐会の会場を後にして客室へと戻ったステラは、部屋の扉を閉めるなり黒玉の髪飾りを毟り取りベッドの上へ放り投げた。

 先程までの冷静を装う淑女ぶりはどこへやら。まるきり駄々を捏ねる子供のように薔薇色の髪を振り乱し、腕をばたばたさせていると、すかさず一人の青年が駆け寄ってきた。

 すらりとした細身の、柔和で端正な顔立ちをした優しげな美青年である。


「ど、どうしたのステラ? 晩餐会で何かあったの?」

「ゼフィール〜、無理無理、あんなのマジ無理ぃぃ……」


 ステラはおろおろとしている青年の横をすり抜け、ドレスもそのままにベッドへと倒れ込んだ。解けた薔薇色の髪が、真白いシーツの上にふわりと広がる。柔らかな枕に顔を埋め、足をばたつかせてうわごとのように無理無理と繰り返す様は、どうにも子供っぽい。


「え、ええと、何かあったかいものでも飲む?」

「飲むぅ……蜂蜜たっぷりのお茶がいい……」


 と、ステラが元気のない声で言うので、ゼフィールと呼ばれた青年は慌てて茶器の準備を始めた。


 ここは銀竜城内にある部屋の中でも、特に格の高い来賓用の部屋である。ステラが使っている主寝室以外に、身の回りの世話をする従者たちの部屋や、菓子や茶葉などの保管庫や簡単な炉の置かれたスティルルームも完備されている。

 ゼフィールがベッドサイドへ温かいお茶を届けに戻ると、ステラは枕を腕に抱えた状態でふてくされたような顔をしていた。先程枕に顔を押し付けたせいか、幾分か化粧が落ちて元来の子供っぽさが出てきている。


「……大丈夫?」

「大丈夫じゃないよ……」


 注文通りの蜂蜜たっぷりの温かいお茶を受け取りつつ、ステラは力なくかぶりを振った。


「相手の人、もーめっちゃ怖かった……軍人とは聞いてたけどさ、怪我して第一線から退いて後方勤務してるって言ってたし、お兄さんのヴェリタス様はすごく普通で優しそうな人だったから安心してたのに……」

「えっ、そんな怖い人だったの?」

「マジマジ。めちゃくちゃガタイ良くてゴツくて威圧感あるし、顔に傷はあるし。あれは絶対何人か殺してる顔だよ……」

「ええ……」

「勘弁してよって思ったよ……全然好みのタイプじゃないし。そもそもこの婚姻の話自体聞いてなかったみたいで、勝手に決めるな! ってブチ切れてたし」

「ダメじゃんそれ。肝心の婿殿が婚姻の話を聞いてないって、伯爵家の人たち大丈夫なの?」

「わかんない……」


 ステラは力なく項垂れ、深くため息を吐く。

 手の中のカップから漂う蜂蜜と花の甘い香りも、今の彼女を癒すことはできない。

 ゼフィールはそんな様子のステラの肩に、そっと片手を置いた。指が長く、爪の先まで小奇麗に手入れされているが、皮膚が硬くなってたこのようになっている部分がいくつもある、そんな手である。

 実のところ彼は、財閥の商人でもなければステラの従者でもなんでもない。父の代からアイテール家のお抱えとなっている音楽家で、今回の婚約のお伺いに際してステラの付き添いを申し出た、ただの幼馴染だ。二人は生まれて間もない頃からずっと家族ぐるみで付き合いがあり、ほとんど兄弟といってもいいほどの親密な間柄であった。


「やっぱり、この話はなかったことにしたほうがいいよ……財閥の利益になったとしても、肝心のきみが幸せになれないんじゃ意味ないって」


 気遣わしげに語りかけるゼフィールの声に、ステラは何も言わず耳を傾ける。

 ティーカップの中の水面には、少しむくれたような自分の顔が映り込んでいた。


「ダメ。ここで逃げたら、たくさんの人たちが仕事を失うことになっちゃう。それだけは避けなきゃ……」


 唇を噛みしめ、苦しげに吐露した。

 わかっている。この婚姻は決して自分が幸せになるためのものではないのだ。婚姻が成立したら、ゼフィールをはじめとする自分の幸せを願ってくれている多くの人々の心を裏切ってしまうだろう、と。

 でも、彼女はただの乙女ではない。

 ステラは今やこの国を代表する大財閥の代表で、もっと多くの人々の生活がその肩にかかっているのだ。今まで自分を愛してくれた人々への恩返しをしなければならないという義務が、ステラの心を重く縛っていた。



   ◇ ◇ ◇



 大財閥の総裁の一人娘として生まれたステラは、家族をはじめ、多くの人々に愛されて育ってきた。


 ――ステラ、お前は私たちの希望の星だ。


 目を閉じれば、そんな父の口癖が脳裏に蘇る。


 ――ステラお嬢様は、この街の幸運の女神なのかもしれませんね。


 故郷の街の人々も皆、ステラを慕い、愛してくれている。

 それというのも、戦争中の兵器や軍需物資の需要によって急成長を遂げたアイテール商会は戦後、新しい事業への転換が上手くいかず業績が低迷していた時期があったのだが、ステラが誕生した頃から徐々にまた業績が回復し、次々と事業を開拓して大財閥へと成り上がったという経緯があるのだ。

 ステラが生まれたことと、業績が回復したことはただの偶然に違いない。だが、誰が言い出したのかわからないが、皆口を揃えてステラこそ財閥の幸運の象徴だと言うのである。

 一躍、財閥の偶像として可愛がられ、愛されてきたステラだったが、両親は彼女の将来について少しも無理強いをすることはなかった。

 財閥の後継ぎとして婿を取ることを強いられもしなかったし、むしろ興味を持ったことはなんでも勉強させてくれた。礼儀作法と社交術だけは厳しく躾けられたが、それ以外はなんでもステラの望むままだった。

 うちは商家で、貴族でも何でもない。跡継ぎも無理に血族にこだわる必要はないから、誰か才能のある人間がなればいいのだとは父の弁だ。

 ステラに魔術の才能があるとわかれば、すぐさま魔術の心得のある家庭教師を付けてくれたし、きちんとした魔術師の学院に入ってはと勧めてくれたりもした。そんな両親を深く尊敬し、愛していたからこそステラは自分の意志で財閥を継ごうと決心したのだった。

 大好きな両親と、故郷の街の人々を喜ばせたいという一心で、ステラは商売と経済についての勉強を重ねてきた。


 だからといって、こんなにも早く事業を引き継ぐことになってしまうとは、思ってもみなかったのである。


 ステラの両親が急死したのはちょうど一年前。大事な商談があるからと夫婦揃って船旅に出て、その航海の最中に船が沈んで帰らぬ人となってしまった。不運な事故であった。

 そして悲しむ間もなく、財閥の屋台骨である兵器産業分野において、海軍に納入するはずだった新規大型軍艦の建造計画に問題が発覚し、完成間近だった軍艦の納入が急遽取りやめになるという重大な事件も起きた。

 財閥の幹部たちはすぐさまステラを新総裁に担ぎ上げ、組織の再生と事業の見直しを図ったが時すでに遅く。得意分野であった兵器、軍需物資への信用が落ちたことで、財閥の業績は急激に悪化していったのである。


 今回のステラの婚姻は、窮地に立たされたアイテール財閥を救う逆転の一手であった。

 民衆に人気があり、軍部にも強い影響力がある貴族のアーカリドゥス家と繋がりを持つ事で信用を取り戻し、再び軍事産業の分野へ返り咲きを狙った婚姻なのである。

 既に現在のアーカリドゥス家を主導している家宰であり、海軍に影響力を持つヴェリタスは弟イグニスをステラに婿入りさせた上で、財閥が保有している輸送船など四隻の船を海軍に買い付けさせるよう口利きをしてくれるという約束までしてくれていたのだ。

 財閥の手掛けた船に何も問題などなかったと、軍に認めさせさえすれば、信用はおのずと回復する。

 だからこそ、ステラはもう後には引けないのだった。



   ◇ ◇ ◇



「父様と母様が必死に守ってきた財閥を、潰させはしない……まだまだ、諦めたりしないんだから……!」


 じわりと熱くなってきた目許を乱暴に拭うと、ステラは手の中のお茶を一気に飲み干した。

 そんなステラの様子を、ゼフィールは何も言えずに見守る事しかできなかった。


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