一日目・四 貴族たち
銀竜城の広間は、かつて勇将グロリウスが将兵を結集させて北方出兵の檄を発した歴史的にも重要な史跡である。
終戦後は英雄と王国の兵士らの雄姿を描いた巨大な絵画や彫像、実際に使われた武具などが並べられ、英雄の居城の顔として相応しい設えに改装されたが、今宵はその広間も大きく様相を変えている。柱は絢爛豪華に飾り立てられ、ホールには美酒佳肴を載せたテーブルが整然と――。
これは亡き伯爵の弔いにやってきた客をもてなす為の晩餐会だ。
数え切れぬほどの蝋燭灯るシャンデリアの明かりの下、賓客らは皆弔意を表す暗い色の衣装に身を包み、言葉少なく席についている。彼らに酒や料理を運ぶ給仕たちも、極力音を立てぬよう慎重に立ち働いているように見えた。
通常の夜会のような楽団の奏でる音楽などはなく、その代わり広間には神を讃える歌や英雄のかつての活躍を歌う合唱隊が招かれ、厳かな雰囲気の中、晩餐会は粛々と続いている。
このような晩餐会が城にやってきた弔問客の為、最後の葬送の儀式の日まで数夜おきに開催されていた。そして城に招かれた賓客らは、礼儀として最低でも一回はこの晩餐会に出席しなければならない。故人との別れを惜しみ、悲しみを皆で共有する大切な場面でもあるからだ。
伯爵家の財力や権力が、如何に絶大かが伺われるというものである。
「皆々様、我が兄の為にお集まりくださり幸甚の至りにございます。無念の内に身罷りました兄の魂も、皆様のお心に救われていることでしょう。我らが神レクティスは、人の記憶にこそ永遠の生があると言われました。今宵もまた、兄アダマスの思い出を語り、そのとこしえの安らぎを祈りましょう……」
神の啓示を受けて王子を助け出す騎士のモチーフのステンドグラスの下、兵士を率いて賊徒を撃ち払う英雄を描いた大絵画の前。
客席より一段高くなった場所に、男が一人立っている。穏やかながらも朗々と響く声は心地よく、人々は飲食の手を止めて男の言葉に耳を傾けている。
黒の長衣に、片掛けにした緞子のマント。羽根飾りのついたフェルトの帽子。瀟洒な装飾の施された短剣にいくつもの勲章。豪華な衣装を纏う男は、その衣装に見劣りしないだけのオーラともいうべき不思議な雰囲気を放っていた。
帽子の下に覗く髪の色は白銀。優しい薄青の瞳は少し眩し気に細められ、遠くを見ているかのよう。口許には品良く髭を蓄え、紳士然とした姿の中年男。
この男こそ、現在の伯爵家を取り仕切る家宰、ヴェリタス・アーカリドゥスその人である。
「ふん……相変わらず、何を考えているかわからぬ男よ」
この地域の名物料理である白身魚の詰め物にフォークをぐさりと突き刺しながら、小太りの男が鼻を鳴らす。贅沢なスパイスをふんだんに使用した魚料理の素晴らしい風味も、男のささくれた気持ちを慰めるには力不足らしい。
「まぁまぁ、気を静められよ。ウングラ卿」
「トニトゥラ卿は楽観が過ぎますぞ」
小太りの男を白髪白髯の老人がなだめるが、逆に憤慨される。両者ともに王国の爵位を頂く貴族であり、このアルバトラム周辺の地を治める領主である。
では、何故ウングラはこれほどまでに憤っているのか。
「まったく、新興貴族のくせに……アーカリドゥス家の者は、三十年経っても我々への遠慮というものを知らん」
そう言って、ウングラはゴブレットに残っていたワインをぐいと飲み干した。
アーカリドゥス家は初代グロリウスの功績によって勃興した新しい家である。そしてグロリウスはそもそも出自も知れぬ一介の騎士であった。彼はあくまでその身一つで王国にやってきて、戦功を上げることで全てを勝ち取ってきたのである。
対して長い歴史を持つ旧来の貴族の家柄は、帝国の支配を受けていた時代に断絶したり、南方大陸などへ亡命したり、平民に身を窶して息を潜めて暮らしていたりと、長く不遇の時代があった。それでもグロリウスが王子を連れて帰還した際には各家が武器を取り、民衆の先頭に立って戦列に加わったのである。
家に残った宝物を手放して金に換え、戦う為に必要な物資を買い求めたもの、領地や屋敷を住処を失った民草に解放し、食料を分け与えたもの。一族の男たち総出で戦場に向かい、そしてついに帰ってこなかったもの。旧来の王国貴族たちはそれぞれに戦乱の時代を戦い抜き、多かれ少なかれ犠牲を払ってきた。
つまりあの戦争で何も失うことなく富と名声を得たアーカリドゥス家と、戦争によって多くを犠牲にした旧来の貴族たちとの間には微妙な確執が生じ、それが解消されることなく現在に至るまで続いているのである。
三十年前、ラグダスラ王国はグロリウスの活躍によって確かにフリガモント帝国を打ち破った。だがその版図は北方大陸へ広がることはなかった。王国側にも甚大な被害が出ており、そのまま帝国の領土を支配するほどの余力がなかったのである。
グロリウス率いる王国軍は帝国の都を落としたものの、その領土をいくつもの小国に分裂させることで手いっぱいだった。莫大な賠償金は獲得できたが、王国は貧窮した。
王は国力を回復させるため、まずは賠償金を元に商業を奨励し、経済を活発化させる政策を打ち出す。それから様々な国家事業を展開し、三十年経ってようやくかつての繁栄を取り戻したのである。
しかしそこにかつてあった貴族たちの栄光はない。今や王国は商人の時代を迎えていた。
街道の再整備、都市の再生、国軍の近代化――豪商が権力を握り、国を動かす様々な事業に関わっている。そういった商家の派閥は財閥と呼ばれ、古い貴族たちを国政の隅へと追いやっていた。
しかも新興貴族のアーカリドゥス家はそういった財閥や非貴族系の軍閥と非常に近い関係を結んでおり、それらに強い影響力を持っているときている。伝統ある貴族たちから煙たがられるのも致し方ない状況というわけだ。
実際、この晩餐会の会場を見渡しても貴族はウングラたちのいるテーブルに集まっている者くらいなもので、あとはアーカリドゥス家と縁の深い高級将校たちや財閥の関係者がほとんどだろう。
「三十年前、我が家がどれほどの苦役を担ってきたか。それをあの三男めは何もわかっておらぬのだ……!」
「ウングラ、見苦しいぞ。そろそろ口を慎め」
怒りに拳を震わせるウングラを、鋭い女の声が窘めた。ウングラは反射的に口を噤んで首を引っ込め、隣に座るトニトゥラ老が知らんふりするように目を伏せる。
「な、ナーシス卿。そうは言われましても」
「貴族なら貴族らしく凛とあれ。不用意に怒りを露わにするものでない」
ウングラを窘めたのは、ぴしりと背筋の伸びた老淑女であった。結い上げた白髪の上にベールを被り、装飾の少ない上品な黒絹のドレス。精緻な刺繡の施されたサッシュを肩から斜めにかけた彼女は、琥珀色の瞳を半眼にし、ただゆったりとワインを嗜んでいる。
隣には灰色の軍装の三十代半ばと思しき男が座り、怒れるウングラを冷ややかな目で見つめていた。
老淑女の名は、ナーシス。現在、王国で最も高位の貴族、プラシディウム侯爵ナーシス・ヒュメナイという。
七十を過ぎて尚超然とした佇まいの衰えぬ老淑女は、貴族たちのまとめ役であり、戦時中は砦に立て篭もって銃後の民を敵兵から守り通した経歴を持つ烈女である。
「時勢が我々にないのは周知の事実。アーカリドゥス家を妬んだところで失ったものは戻らぬ。今はただ、粛々とやるべきことをやるのみだろう。違うか?」
そして、ナーシスはかつて英雄グロリウスに妹を嫁がせ、アーカリドゥス家と姻戚関係を築いた貴族でもある。
だというのに、広間の大絵画に描かれた若かりし日の英雄を睨みつける視線は、何よりも冷たく、剃刀のように鋭かった。