二日目・十三 雨降って
アイテール商会錯乱事件は、音響魔術の使い手である音楽家ゼフィールによって迅速に収束された。
その場に居合わせた財閥の総裁ステラ・アイテールが直々に街の施療院に連絡をし、医者を手配して要救護者を助け、事務所の一定期間の封鎖を決定した。なおこの事件の調査については領主の血族でもある陸軍士官イグニス少尉らが直々に行うということになった。
「と、いうことなので! ……レプス支部長はどうぞごゆっくりと静養なさってね。事務所の諸々については財閥が責任を持って行いますので」
有無を言わさぬステラ総裁の圧力に、気弱なレプスは「ふ、ふぁい……」と頷くより他なかった。
支部長室でいつものように業務を行っていたレプスは、気付くと施療院のベッドに寝かされていた。ステラが言うには事務所内で呪物が発動する事故が起こり、レプスを始めとする従業員たちが錯乱したり昏倒してしまっていたのだそうだ。
幸い発見が早かったおかげで事態はすぐに収束し、事務所の外にまでは混乱は伝わっていないという。
「これはきっと我が財閥の繁栄を妬む者が仕組んだ罠だわ。軍の方にも強くお願いして、全力で捜査していただくよう要請しておきますから!」
「あ、ありがとう、ございます……」
まるで安酒を浴びるほど飲んだ次の日のような頭で、レプスはステラになんとか礼を述べた。
◇ ◇ ◇
「疲れた……」
負傷者の救護や無事だった者たちへの口止めも終わり、すっかり無人となった事務所。
イグニス、クラヴィス、ステラ、ゼフィールの四人は、豪快に扉が破壊された執務室内の椅子に身を預け、ぐったりとしながら口々にそう呟いた。
四人が四人、全員が全力で事態の収束に奮戦したのである。皆、疲労が濃い。
あの謎の発光がもたらした損害は大きい。今は事務所の外へはあまり伝わっていないが、あれだけの被害であれば遅かれ早かれ近隣の住民にも伝わることだろう。
妙な横槍が入らないうちに財閥の不正取引の証拠となる資料類を持ち出し、安全な場所へ移動させるために、四人は一度この執務室へと戻ってきていた。
「結局、あの光は何だったんだ。昨日レグルスがやった時にはあんなことにはならなかったぞ」
ぐったりとしたイグニスがステラたちに訊ねた。
同じく疲労の色を滲ませたステラとゼフィールは顔を見合わせ、観念したように項垂れる。
「ごめんなさい、私のせいだわ……」
しおらしく謝るステラに、イグニスとクラヴィスは何故、と首を傾げる。
「ステラだけのせいじゃない。僕もすぐに止められなくてごめん……ええと、説明するとね、ステラには生まれつきちょっと特殊な魔術特性が備わっているんだ」
ステラに代わってゼフィールが説明を引き継いだ。
魔術特性とは、術者に由来する魔術への影響のことである。
人が魔術を使う時、必ずしも全ての人間が同じように魔術を使えるとは限らない。例えば蝋燭に火をつけるために魔術を使ったとして、うまく火を付けられる者もいれば付けられない者もいる。それは単に魔術の習熟度の違いとか、保有する魔力量の差異ではなく、そもそも特性の合う合わないがあるからである。
「ステラの特性は、拡大。ステラが使う魔術は、全て自動的に効果が拡大されてしまうんだ」
ゼフィールの説明に、ステラはいたたまれないとばかりにますます深く項垂れた。
「え……でも、あの手袋に描かれた魔方陣は確かに接触式の陣でしたよね?」
「うん、だから僕も大丈夫だろうと思ってたんだけど、拡大の魔術特性はそれよりも勝ってしまうみたいだね。魔術が発動する時の気配が急に変わったからヤバいと思って止めようとしたんだけど、間に合わなかった」
「ホント、ごめんなさい……私もこれがあるから、魔術を使うこと自体久しぶりだったの。だけど魔方陣が接触式だから、まさか範囲が拡大するとは思っていなくて……」
二人の説明に、イグニスとクラヴィスは気が抜けたように深く息を吐いた。
ステラは生まれつき、拡大という少々珍しい魔術特性が備わっていた。彼女が火の魔術で蠟燭に火をつけようとすると、特性のせいで勝手に火柱が吹き上がり、水の魔術でコップに水を満たそうとすれば部屋が水浸しになる。
普通に考えれば日常生活には厄介な特性だが、豪快で気風が良い大商人だった彼女の父親は娘の特性さえ良しとして、娘に魔術を深く学ぶ機会を与えてくれた。只人には無用の特性でも、魔術の研究者たちにとっては有用な特性になりうるからだ。
実際ステラは魔術を扱う素養が高く、王都の魔術研究院では拡大の特性を利用して省エネルギーで大規模魔術を使う研究などで功績を残していたが、やはり実家であるアイテール財閥への愛着から魔術師の道を諦め、財閥のために働くことにしたのだという。
「あの光の理屈はわかった……だが、何故従業員たちが一斉に錯乱したんだ?」
イグニスの質問に、ステラは憔悴した顔を上げる。
「恐らくだけど、ここの事務所の人たちはみんな私よりもヴェリタス卿と接触する機会が多かったんだと思うの」
ステラの考察はこうだ。
隠蔽されてもいない取引記録からして、この事務所の従業員たちがヴェリタスの異能によって洗脳されていたことは確実である。普段は別の都市にいてヴェリタスと直接接触する機会がなかったステラたちよりも、その機会ははるかに多かったのだろう。
深く洗脳されていた従業員たちは、その分対抗魔術を受けた時の副反応も強く出たのだ。
ヴェリタスへの深い心酔と服従を精神に刻みつけられた者たちは、その影響を取り除かれることに本能的に強く反発し、結果術者であるステラに襲い掛かろうとした――それが、従業員たちの錯乱の原因のようだった。
その証拠にヴェリタス本人と何度も商談を繰り返していただろう支部長など、最早立ってもいられないほど心身耗弱してしまっている。
昨夜、この魔術について説明してくれたレグルスの侍女セレニタも、洗脳が深すぎると対抗魔術でも助けられなくなるというようなことを言っていた。あれは対抗魔術が効かなくなるということではなく、洗脳が解除された際の反動が強すぎて心身に影響が出てしまうという意味だったのだろう。
「そう、か……」
イグニスはそっと息を吐いて天井を仰いだ。ステラの魔術特性への認識が甘かったせいで起きた事故ではあったが、たとえその特性をイグニスが知っていたとしても止められなかっただろう。
魔術とは、基本的には術者が決めた発動方式から外れて効果が発揮されることはまずないからだ。術者が触れた相手にのみ効果が出るよう設定された魔方陣を使ったのに、建物全体に効果が及んでしまうなど、普通は思わない。
「ひとまずこの件は名目上俺たちが捜査を行うことにして、実際の後始末はそっちに任せることになるが、それでいいか?」
気だるげに首の骨をこきこきと鳴らし、ステラを見やる。
「ええ、もちろん。地元の警邏隊に首を突っ込まれないように名義を貸してもらえるだけありがたいわ。むしろたいしたお礼もできなくてごめんなさいね」
「構わん。下手にお前たちに接待されるのも怖いからな」
今回の事件はイグニスたちが預かるということを事務所の従業員たちには通告してある。つまり街の警邏隊には通報無用であるという口封じだ。こうすることで、ステラたちが内々に処理できるよう取り計らったというわけだ。
こうして一緒に行動していると忘れがちだが、財閥とステラたちは未だに陸軍の捜査対象なのである。あまり深く肩入れして捜査対象との癒着を問われても面倒である。適切な距離感で接していかなければならない。
「まぁでも……悪かったと思うのであれば、できる限りでいいからレグルスを支援してやってくれ。俺たちに金を使うよりも、そのほうがきっといい」
イグニスがそう言うと、ステラは目をぱちくりと瞬かせた。
「……わかったわ。私にできる範囲でレグルス様を支援すると約束する。元々あの子がいなかったらヴェリタス卿の異能も信じられなかったわけだし、異論はないわ」
「そうしてくれ」
ステラの立場も未だ安全とはいえないが、それでも金と権力を持つ人材がレグルスの支援をしてくれるというなら、しばらくはあの子も安心だろう。
イグニスたちがこうして過ごしている間にも、レグルスは城で肩身の狭い思いをしているのだ。
「それはそれとして、今日私たちが用意したレグルス様へのプレゼントはちゃんとお城に届いてると思うから、渡すところは見に来たら?」
「俺が行ってもいいのか?」
「それくらいは構わないんじゃない? それにあなたもレグルス様にプレゼント渡したかったんでしょ。今ならまだ玩具屋さんも開いてると思うわよ」
と、ステラはふっと苦笑する。
彼女はしっかりと、イグニスがレグルスを可愛がっていることを把握しているようだ。
商人というものはやはり侮れない。
困惑するイグニスをクラヴィスとゼフィールも微笑ましげに見つめている。
疲労困憊ではあったが、この四人には確かに連帯感のようなものが生まれていた。
盆休み……
お前、消えるのか……?




