二日目・十二 急転直下
「……あっ、ちょっと待ってステラッ!」
ゼフィールが鋭く声を上げた。が、間に合わなかった。
え、とステラが気の抜けた声を漏らした瞬間、彼女の手元から眩い光が放たれる。
「何!?」
イグニスとクラヴィスも突然の光に驚いた。
二人は幸い反射的に目を庇うことができたが、できていなかったら確実に目をやられていただろうというくらいには強烈な光だった。昨夜はなかった現象である。
閃光が収まり、イグニスが恐る恐る目許から手を外す。
その目に映ったのは、直立不動で立ち尽くす秘書のローザと、ゼフィールと共に床に倒れ伏すステラの姿――。
「大丈夫か!?」
嫌な気配を感じ、咄嗟にステラたちへ駆け寄る。クラヴィスもそれに続いた。
ステラはゼフィールが庇い抱きかかえるように倒れた形になったので、床に叩きつけられることはなかったようだが、それでもあの謎の閃光の影響は心配である。
二人はくったりと力が抜けたようになっていたが、呼吸や脈に異常はないようだ。
イグニスも小さく安堵の息を吐き、二人を楽な姿勢で寝かせてやろうとした。
その時だ。
「あ、あああ……ぅああああああッ!!」
突然の絶叫に驚き振り返る。それまで直立したまま固まっていた秘書のローザが恐ろしい形相で叫び声を上げ、ステラに向かって両手を突き出し襲い掛かろうとしていたのだ。
「何をしているんですか!」
咄嗟にクラヴィスがローザを羽交い締めにした。
ローザはごく普通の婦人だ。特に力仕事に従事しているわけでもなく、体格が優れているというわけでもない。なのに彼女を取り押さえようとしているクラヴィスは懸命に歯を食いしばり、腕にも相当な力が入っている。
イグニスはステラたちを一度置いて、クラヴィスに加勢した。しゃがんだ姿勢からローザに思い切り体当たりをし、クラヴィスごと弾き飛ばす。体勢が崩れたローザは床に膝をつき、そこをいち早く体勢を立て直したクラヴィスが組みついて腕を後ろ手に捻り上げた。
ローザはそれでもなおステラに向かっていこうとするが、関節を極められては身動きもとれない。だが安心するにはまだ早かった。
扉の外からばたばたと慌ただしい足音と、獣のような唸り声が聞こえてきている。
「くそっ」
イグニスは咄嗟に扉の傍にあった本棚を押して、扉を封鎖した。その直後、扉を何者かが激しく叩き始める。
間一髪であったのだろう。しかしこのまま放っておけば強引に押し破られるのは必至である。イグニスはそのまま全身で本棚を支え、扉を押さえつけた。
「ど、どうなっているんですか?」
「わからん、だが事務所中の人間がおかしくなってしまったみたいだ」
などと話をしているうちに、どうにかローザを締め落としたクラヴィスが彼女をそっと床に寝かせる。
「く……この扉、あまり保たんぞ」
どん、どん、と断続的に扉が叩かれる。その度に本棚ごとイグニスが弾き飛ばされそうになっていた。
「ステラさんたちを起こして脱出しましょう」
「なるべく急いでくれ」
はい、と頷いたクラヴィスは気を失ったままのステラに近付いた。
肩を掴んで揺らすと、ステラは小さく呻いて瞼を震わせる。
「ステラさん! 起きてください!」
「んっ……な、なに……どうしたの……」
気が付いたらしいステラが、目許を擦りながら上体を起こす。目の焦点はまだ合っていないらしい。
「大丈夫ですか? あなたが対抗魔術を使った瞬間凄い光が出て、秘書の方がおかしくなってしまったんですよ」
「えっ? 嘘、何が起きて……あっ!」
何かに気付いたらしいステラが大きな声を上げる。
クラヴィスがどうしたんですかと訊ねるのと、扉を押す力に負けたイグニスが後退るのは、ほとんど同時であった。
重い本棚が倒され、押し破られた扉から数人の男たちが飛び込もうとしてくる。いずれもこの事務所の従業員たちだ。
「邪魔だ!」
ごきゃっ、と鈍い音を立てて男たちが吹っ飛ぶ。執務室に押し入ろうとしたところを、イグニスが殴り飛ばしたのだ。
男たちはそのまま廊下で伸びてしまったようだが、なおも階下では叫び声や何かが暴れているような音が響いており、こちらへ向かってくる足音も聞こえてくる。
「また来るな……早く脱出しないとまずいぞ」
イグニスが声をかけると、すかさずクラヴィスが手を貸す。二人がかりで重い本棚を持ち上げて直し、とりあえず壊れた扉をもう一度封鎖した。
ステラはその様子を呆けたように見つめていたが、すぐにはっとして横で倒れているゼフィールを揺すり始める。
「ぜ、ゼフィール! 起きてゼフィール!」
がくがくとゼフィールの肩を揺すり、呼びかける。ううん、という小さな呻き声が漏れるが、まだその目は開かない。
「がぁああああ! うぁあああああ!!」
本棚の向こうからけたたましい叫び声が聞こえてくる。本棚はイグニスとクラヴィスが押さえているが、それでもがたがたと激しく揺れている。頑丈な本棚も、破壊されるのは時間の問題だろう。
「っ……ゼフィール! 起きなさい!!」
時間がない。焦ったステラは、ゼフィールの襟首を掴んで持ち上げ、その頬を思いっきり叩いた。
パチィン! と小気味いい音が響き、ゼフィールの頭が大きく揺れ――。
「いッ……たぁぁぁあい!!」
響き渡る絶叫。それを見ていたイグニスとクラヴィスも、ドン引きである。
左の頬についた真っ赤な手形を押さえながらゼフィールが覚醒した。
「ごめんなさいでものんびりしてられないの! 早くヴァイオリンの準備をしなきゃ!」
「な、なんでヴァイオリン!?」
「決まってるでしょ! 音響魔術でみんなを鎮静化させるの!」
そうまくし立てたステラはゼフィールの手を引いて強引に立ち上がらせ、部屋の奥のキャビネットまで連れていった。
「鎮静の魔術が使えるのか?」
「ええ、でもそのためにはゼフィールの演奏が必要なの。だからもう少しだけ時間を稼――」
ドン! ――突然響いた破裂音。イグニスとクラヴィスの間で木片が吹き飛び、白い硝煙がもうもうと立ち昇る。
「……銃!?」
誰かが本棚越しに銃をぶっ放したらしい。穴の開いた本棚に、軍人二人の顔から一気に血の気が引いた。
考えてみれば簡単なことである。日用品から軍用の兵器類まで扱う巨大企業の事務所なのだから、商品の武器の一つや二つ、置かれていても不思議はないのだ。
となれば、迷っている時間はない。
「打って出る」
イグニスの迷いない一言に、ステラとゼフィールが「え!?」と声を上げた。
「ここで籠城していても、武器を持っている奴が増えればあっという間に耐えられなくなる。それならこっちが先手を打って、制圧しておくしかない」
「だ、大丈夫なの?」
「最善は尽くす。だからそっちも早めに頼む。クラヴィス、行けるか?」
「任せてください。イグニスこそ、誤って相手に大怪我を負わせないよう気を付けてくださいよ」
軽口を叩くクラヴィスと目配せをし、イグニスはタイミングを合わせて本棚からさっと身を引いた。
「行くぞ!」
傾いだ本棚が倒れると同時に、さっきよりも多くの職員が雪崩込もうとしてくる。中には銃を手にしている者もいるが、イグニスは怯むことなく飛び出していった。
「……ゼフィール!」
それを見送ったステラが叱咤する。
「う、うん!」
ゼフィールはその声に背中を押され、キャビネットを開いた。
「はっ!」
気合の声と共に、イグニスが回し蹴りを放つ。丸太のような脚が直撃した相手は他の者達を巻き込み、壁に叩きつけられた。
構わずにそのまま突き進む。真っ先に制圧すべきは、銃を持った人間だ。イグニスは立ち止まることなくその男に襲い掛かった。
錯乱している人間の、碌に狙いもつけられていない銃など恐れるに足りない。新式のマスケットが火を噴くが一瞬のうちに銃口の向きを見切り、僅かに半身を反らして弾丸を避ける。そしてすかさず銃を掴み、引き金を引いた男を廊下の向こうへと蹴り飛ばした。
「集束せよ!」
破壊された扉の前に立ったクラヴィスが、片手を前に出して鋭く命じる。キィィ……という耳鳴りのような甲高い音が響き、その音が高まると同時に廊下にあるものが徐々に動き始めた。
花瓶を載せたチェスト。柱に架けられたランプや燭台。装飾の美しい額に入った絵画。イグニスがもぎ取ったマスケット。執務室の中へ押し入ろうとした人々の、服のボタン。ベルトのバックル。タイピンやアクセサリー……。
いや、廊下中にある金属という金属が、廊下の中央に集まろうとしている。
正気を失っていた人々は引きずられるように引き寄せられ、チェストや額縁、燭台などによって固められていった。
金属操作――磁石のように金属を引き寄せたり、逆に反発させたりするクラヴィスの固有魔術である。
イグニスはさらに廊下を進み、階段の手前まで来た。なおも階段を駆け上がってくる者たちを足止めするためだ。
階段の上からは階下のホールが見える。一流の商会らしい格式高いホールは既に混沌と化していた。
苦しむ人々があちこちに転がり、呻き声がそこらじゅうから響いている。痙攣を起こし震えている者もいれば、嘔吐している者もおり、そして錯乱している者はイグニスの姿を見るや、火が付いたような雄叫びを上げて階段を駆け上がって来る――。
「ゼフィール! 鎮静の魔術はまだか!?」
階段を昇ってくる者たちを押し返しながらイグニスが叫んだ。
「大丈夫、今行く!」
振り返ると、倒れた人々を乗り越えてゼフィールが駆けてくるところだった。その手には一挺のヴァイオリンが抱えられている。
普通の魔術は言葉の力を借りて発動するが、発動の補助となる部分を言葉以外のもので補った魔術というのも少なくない。
音響魔術はその中の一つで、人の耳に届く音を調節する他に、特定の音や音楽によって魔術を紡ぐことを可能にしている。音楽を演奏できなければ発動できないという欠点はあるが、演奏が届く範囲に広く魔術の効果を発揮できるという利点がある。
つまり、このような場で錯乱した人々に鎮静の魔術をかけるには持ってこいというわけだ。
ゼフィールが表情を引き締め、ヴァイオリンを構えた。
小説書いてるとポケモンたちと約束の時間になかなか寝れなくてごめんな…ってなる
ごめんな俺のグレッグル…




