二日目・九 恐ろしき時代
昼下がりのアルバトラム市街地。高級住宅地の一角にて。
今は亡き帝国の領事が住んでいたとある邸宅の前に、複数台の馬車が停められていた。
いずれもしっかりとした造りの立派な馬車で、今は御者や馬丁たちがのんびりと馬たちの世話をしている。それだけ見ればなんとも平和な光景であった。
しかしその馬車にはいずれも貴族の家の紋章が入っており、今この屋敷にはその地位にある者達が集っているのだということがわかる。
ティーパーティーの雰囲気でもないこの屋敷で、何が行われているのか。
それを知る者はそう多くない。
――執務室。女侯爵ナーシスは椅子に深く腰掛けながら、同胞の報告に耳を傾けていた。
「やはり、アーカリドゥス家がアイテール財閥傘下の複数の商会を通じて、戦争の準備をしているという証拠が得られました」
女侯爵の前で報告書を読み上げているのは、アルバトラム近郊に領地を持つ貴族ウングラ。
「かねてよりかの家には怪しい動きがありましたが、確定的な証拠が掴めずにおりました。しかし最近ではあまり証拠を隠滅するような動きがなくなり、もう我々の妨害を恐れる必要がなくなった……つまり、彼奴めの計画が最終段階に入ったものかと考えられます」
そう報告する中年の男爵の表情は険しい。
「集積されていた物資は港から各地の反王国勢力に送られております。反王国勢力の連続蜂起と彼奴の異能によって、軍は現状ほとんど身動きが取れませぬ。一大勢力のアイテール財閥は既に彼奴の手に落ち、我々貴族もかつてほどの力は……」
ウングラは悔しげにそう告げ、ぐっと拳に力を籠める。
無言で耳を傾けるナーシスに代わり、部屋の片隅でもう一脚の椅子が軋んで音を立てた。
総白髪の老貴族トニトゥラがゆっくりと座り直した音であった。
「……葬儀に参列する軍閥の者たちにも幾人か声をかけましたが、今あの城に集まっている者はあの男の術中にある者ばかりでしょう。やはり、軍の力を借りることは難しいでしょうなぁ……。
時にウングラ卿、アーカリドゥス家に叛意を持つ市民グループとの交渉はどうなっている?」
「はい、我が手の者を通じて交渉と援助を続けさせておりますが……正直なところ、まともな戦力として数えられるかどうか」
「さすがに難しいか……」
トニトゥラ老はふぅむ、と唸り、携えていた杖をひと撫でする。
「アーカリドゥス家……いや、ヴェリタス・アーカリドゥス。王国の獅子身中の虫、か」
それまで黙って話を聞いていたナーシスが、不意に口を開いた。
ウングラは焦りの滲んだ顔で女侯爵に詰め寄る。
「ナーシス卿、彼奴めの目的は一体何なんでしょう。我が国に反旗を翻し、何をしようというのでしょうか」
「さてな……だが奴もまた、グロリウスの子だ。まともな目的を持って動いていると思わぬほうが良いだろう」
女侯爵はそう吐き捨て、部屋の壁に掛けられた二枚の肖像画に目を向けた。
一枚は若い貴婦人の絵。ふんわりとした栗色の髪に菫色の可愛らしい瞳、まだあどけなさの残る十代半ばの少女の肖像であるが、その面影はどこかナーシス自身に似ているようであった。
そしてもう一枚は男の絵。軍装を纏い、貴族らしい堂々とした立ち姿の二十代後半と思しき男の肖像である。質実剛健そうな顔立ちの中で、瞳だけは穏やかで優しげにこちらを見つめているようであった。
二つの肖像画を見つめるナーシスの表情の意味を知るウングラとトニトゥラは、彼女にかける言葉もなくただ沈痛な面持ちで項垂れるより他なかった。
何故なら肖像画の二人は、若くして亡くなったナーシスの妹と夫であり、どちらもグロリウスが英雄となった戦争によって命を落とした犠牲者であったからだ。
◇ ◇ ◇
三十年前の戦争によって、英雄グロリウスに導かれたラグダスラ王国軍はフリガモント帝国に対して奇跡的な勝利を収め、独立を果たした。しかしその勝利は決して楽な勝利ではなかった。
数において圧倒的に不利であった王国軍を勝利させたグロリウスの采配は、結果だけを見れば確かに素晴らしいものであっただろう。民衆を奮い立たせ、常に前線に立って兵を激励したその在り方はまさしく英雄であっただろう。
しかし現在において王国独立戦争での様々な戦いの様子は、歴史的な記録として広く知られてはいるものの、軍学の戦術教本にはほとんど記述がなかった。
端的に言えば、参考にならないのである。
どこからともなく現れ、囚われていた王子を救出した騎士グロリウスに、当時王国中の民が熱狂した。彼がひとたび姿を現せば、人々は歓喜の声を上げ、涙を流し、喜んで彼に付き従った。
兵士たちは死を恐れることなく前進し、文字通り命尽きるまで戦った。若者たちはこぞって義勇軍に志願し、女子供や老人までもが軍のために身を削って働いた。
帝国軍が街を占領すれば市民は激しく抵抗し、王国軍の枷になるまいと集団自決さえした。農民たちも作物や家畜が帝国軍に奪われるよりはと、先祖代々より受け継いだ農地に火を放った――。
国民の誰もが英雄と戦争に熱狂していた、恐ろしい時代であった。
そんな狂った時代の中で、ナーシスの妹と夫も若くしてその命を散らしていった。
王国の王位を継ぐことのできる正当な王子を帝国より救い出した功績から、一介の騎士であったグロリウスには褒賞として王国に残った数少ない侯爵家の中からヒュメナイ家の令嬢リリアムとの婚姻と、伯爵の地位が与えられた。二人は国の意向によって結婚し、二人の男児にも恵まれたが、そこに愛があったかといわれれば甚だ疑問である。
英雄に嫁いだ妹を心配してナーシスは度々彼女へ手紙を送っていたが、戦争中ということもありほとんどまともなやりとりはできなかった。しかしそれでも、妹が家庭に無関心な夫に酷く心を痛めていたことだけはナーシスにも伝わっていた。
今は国の大事であり、戦争が終わりさえすればグロリウスもリリアムに心を傾けてくれるだろう。そんな甘い希望的観測は、二人が結婚して数年で粉々に打ち砕かれた。
リリアムと子供たちが隠棲していた集落が帝国軍に発見され、襲撃を受けたのだ。そこにグロリウスの妻子がいたことは軍の誰もが知っていたし、当然彼が救出に向かうだろうと思っていた。
だが、英雄は動かなかった。ただでさえ少ない軍勢を、小さな集落一つ救出することだけに割くことはできないとして、集落ごと妻子を見殺しにしたのである。
混乱の中で、グロリウスの妻リリアムは身を挺して息子たち――つまり長男アダマスと次男サフィルスである――を逃がすことに成功したが、本人はそのまま帝国軍に囚われ帰らぬ人となった。
この話を聞いた人々はグロリウスを「王国の勝利のために家族を捧げた聖人」としていっそうもてはやしたが、ナーシスだけは強い不信感を覚えた。その不信感がより確信へ変わったのは、その数年後、彼女の夫ミザリオが戦死した時だった。
帝国の軍勢から逃がれようと、街から街へ移動していた避難民の集団がいた。幼い子供や体の不自由な年寄りも多くいたその集団を、軍で保護するべきだと提案したのがミザリオだった。
グロリウスは当然却下した。戦力にもならない女子供や老人を保護しても、軍の兵糧を逼迫させるだけだからと。
しかし生来心根の優しい男であったミザリオはその指示には従わず、少ない手勢で打って出た。結果は惨敗。避難民たちはどうにか安全な街に移動できたが、そのために時間稼ぎをしたミザリオと彼に従った兵は呆気なく戦死した。
何故夫たちを援護しなかったのかとグロリウス本人に詰め寄った日のことを、ナーシスはよく覚えている。幕舎に飛び込み、怒りと悲しみに任せて怒鳴りつけてきたナーシスのことを、あの男は不思議なものを見るような目で見つめていた。戦力として劣る者を切り捨てる行為のどこが間違っているのかという顔だった。そして再度、戦力にならないものを保護できないと、淡々と説明したのである。
ナーシスは確信した。この男は狂っている。そしてそんなこの男に熱狂しているこの国も狂っていると。
その後、王国は多大な犠牲を払いながらも熱狂の内に帝国軍を国土から追い返し、ついには北方大陸へと攻め込んで帝国を崩壊させた。
その戦争が終わって数年後。英雄は役目を終えたと言わんばかりに静かに没し、多くの民がその死を悼んだが、ナーシスと彼女に同調する一部の人間だけはこれでやっと狂気の時代が終わるのだと胸を撫でおろした。
なのに、今になってグロリウスの子が王国を陥れようとしているとは――。
ナーシスも年をとったが、未だ彼女に安息の時代は訪れてはいなかった。
一話分の執筆が終わらないなぁ終わらないなぁと思ってたら、三話分書いてました。
そら終わらんのよ。




