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二日目・七 思惑

 ややあって、書院長シアーノは一つの箱を恭しく抱えて応接室へと戻ってきた。


「お待たせいたしました。こちらがアーカリドゥス家の系図と、出生、婚姻、死亡に関わる文書の全てです」


 シアーノは箱を慎重にテーブルの上へ置いたが、それでも重みでごとりと音が鳴る。重厚そうな木製の箱で、表面はオイルで美しく磨かれており、角は金具で補強されている。蓋の表面には、大きな翼を持つ竜を模した紋章――アーカリドゥス家の紋章が銀で象嵌されていた。


「感謝する」


 イグニスは素直に謝意を口にして、文書箱を受け取った。


「構いませんよ。元々貴族の御家の戸籍は書院長にしか持ち出しできませんので、ちょうどよかったのです。それではどうぞ、ごゆっくりご覧になってください……ああ、カイロス」


 シアーノが思い出したように横にいた警邏隊長のカイロスへ声をかける。


「あなたはちょっと席を外していてもらえますか?」

「え、急にどうした?」

「伯爵家の戸籍に関わる文書です。余人が目にするものではありませんよ」


 そう言われてしまえばカイロスもここに居座ることはできない。渋々と立ち上がり、では廊下で待たせていただくと言って部屋を出ていった。

 ちなみにシアーノは書院長という立場上、文書の保全のために閲覧に立ち会わなければならない。


「私も外で待っていたほうがいいですか?」


 その様子を見てクラヴィスが尋ねる。


「いや、お前も一応確認しておいてほしい。確認の公平性のためにも、一族以外の人間もいたほうがいい」

「わかりました」


 ただ系図を確認するためならイグニスだけで十分だが、この調査が終わったあと国へ報告を上げる役目はクラヴィスが担う可能性がある。

 アーカリドゥス家が取り潰しとなればイグニスも無事ではいられないかもしれないからだ。であれば、クラヴィスにはできるかぎり情報を開示しておかなければならない。

 クラヴィスが頷くのを見て、イグニスは文書箱に手を掛けた。


「……では、拝見しよう」


 そう言って、イグニスは箱の蓋を開けた。


 家系図の一覧。文書の目録。一族一人ひとりの出生、婚姻、死亡についての記録の数々。

 簡潔だが整然とした記録の一枚一枚に、イグニスは目を通していった。

 聖堂の地下には膨大な数の記録が保管されている。言ってみればこの街の歴史が丸ごと詰め込まれているようなものだ。

 歴史ある家柄であればこのような文書箱がいくつも必要になるのだろうが、アーカリドゥス家はまだこれから三代目に差し掛かろうかという新しい家だ。この箱に入れられた文書の枚数も、大した数ではない。

 初代伯爵グロリウスは没年の日付はあったが、生年月日については記述はなかった。気になるところといえばそれくらいなもので、その他の人間についてはイグニスが把握している情報と相違はないようだった。

 初代グロリウスと、その二人の夫人。イグニスとヴェリタスを含む四人の息子たち。二代目当主アダマスの三人の配偶者と、幼くして没した四人の嬰児たち、そして最後に生まれたレグルス――。

 やはり伯爵家の継承に関わる人間はレグルス、ヴェリタス、そしてイグニスの三人しか存在しないようだった。

 文書の内容はクラヴィスにも見せ、それから再び箱に戻す。


「……イグニス様」


 作業の途中、シアーノが不意に声をかけてきた。


「これはただの世間話なので、聞き流してくださって構いません、どうかお耳だけお借りしたく」


 どうしたと思って顔を上げると、初老の書院長は感情の読めぬ顔で窓の外の空を見ていた。


「今、この街は変化の只中にいます。良い変化なのか悪い変化なのかは人それぞれでしょう。けれども、私にはあまり良い変化には思えないのです」

「……何が言いたい」

「世間話です。あまりお気になさいますな……アダマス卿がご健在の頃はまだ平穏でした。しかしアダマス卿がお倒れになり、ヴェリタス卿が家宰として権勢を振るうようになると、街はどんどん様変わりしていきました。イグニス様もご覧になったのでは?」


 確かに、心当たりはある。十数年前と比べて大きく変化した街、そして住民の顔ぶれ。上昇している物価――。

 だがあえて、応とも否とも答えなかった。

 相手がこれは世間話で、聞き流してくれていいと言ったからだ。きっとこれは、聞かなかったことにしたほうがいい内容なのかもしれない。


「私には、ヴェリタス卿が何のために動いているのかがわかりません。いや、あまり考えたくないと言いますか……ともかく、私どものような考えを持つ住民はそれなりの数いるのだと、そのように思っていてください」


 そう言われたイグニスが横を見る。隣に座るクラヴィスも、どこか浮かない顔でこちらを見ていた。


「何故、その話を俺にする」


 文書箱の蓋を閉め、イグニスは率直に訊ねた。


「我々のような考えのものもいるのだと、知っておいていただきたかっただけでございます」


 シアーノはどこか遠くを見たまま、答えをはぐらかす。

 ならば、とイグニスはさらに深く鎌をかけてみることにした。


「それは俺に、家の実権を握れと、そう言いたいのか?」

「さぁ……ですが、その権利はあなた様にもおありのはず」


 シアーノの言いたいことは当たっていたようだ。彼はそれまであまり変わらなかった表情を幾分引き締め、ゆっくりとこちらに向き直った。


「……私どもはヴェリタス卿の方針を心から受け入れることができず、次なるご当主レグルス様を拝見したこともありません。まして幼い方であるなら特にも。我々はただ、危惧しているのです」

「俺とてアーカリドゥス家の人間だぞ」

「その通りです。しかし、イグニス様のことはまだ信用できると考えております」


 街で好き勝手をしているヴェリタスのやり方は気に入らない、その傀儡になるだろうレグルスも信用ならない。であれば、まだ以前の街の在り方に馴染んでいたイグニスに実権を握ってほしい。

 どうやらそれが、シアーノがカイロスを廊下に追い出してまで話したかったことであったようだ。

 それができていれば苦労はしない、とイグニスは深く溜め息を吐いた。

 ヴェリタスの専横を許すことも、レグルスをヴェリタスの傀儡にすることも本意ではないが、今日会ったばかりの相手に打ち明ける話ではないと、イグニスはあえて本心ではない伯爵家の意向をそのまま伝えることにする。


「……言ったはずだ。俺もアーカリドゥス家の人間だと。次期当主は兄の子レグルスで決定しているし、その補佐はこれまで通り兄ヴェリタスが行う。そして俺は軍属としてまた街を出て生を全うする。そこにお前たちの思惑が入り込める余地などない」


 そう言って、イグニスはシアーノを睨みつけた。大の大人でも怯みそうになるその眼光にも動じることなく、シアーノは真っ直ぐにイグニスを見つめ返す。

 つい最近同じような反応をする奴がいたな、とイグニスはなんとなく既視感を覚えたが、表情を変えずにそのまま相手の反応を待った。

 しばし、沈黙が訪れる。

 実際にはあまり長い時間そうしていたわけではなかったのだろうが、当事者たちにとっては長い沈黙が過ぎ、そして。

 シアーノがふっと目を伏せた。この話はこれで終わり、ということなのであろう。


「記録はお返しする。閲覧の許可をくれたことには感謝しよう。そして俺たちは何も聞いていない……いくぞ、クラヴィス」


 はい、と小さく返事をしたクラヴィスを伴い、イグニスが立ち上がる。

 シアーノも文書箱を抱えてソファから立ち上がった。その顔には既に最初に会った時と同じ笑顔が浮かんでいた。


「また何かありましたら、いつでも立ち寄ってください。歓迎いたしますよ」


 というシアーノの言葉にはあえて何も言わず、応接室を出る。


「お、記録の閲覧は終わりましたかな?」


 廊下に立ったまま壁に凭れていたカイロスがこちらに気付いて声をかけてきた。


「ああ。今日はまたこれから寄らなければならないところがあるので、これで失礼させてもらう」

「左様でしたか。かえって長々と引き止めてしまって申し訳ありませんでしたな」

「気にしてはいない」


 気にしていないわけではない。大事にしたくないだけだ。

 さっさと大聖堂を出ていこうとするイグニスらの後ろを、カイロスとシアーノがついてくる。わざわざ見送る必要もないのに、律儀に入り口までついてきてくれるようだった。


「またお会いしましょう」


 大聖堂の荘厳な扉を潜り抜ける時に、シアーノがそう声をかけてきた。

 一瞬振り返ると、箱を抱えたままのシアーノは深く頭を下げ、カイロスはこちらに向かって手を振っていた。

 また会うことになんてならなければいいが、と内心で思いながら、イグニスは何も言わず大聖堂を出た。

 昼日中の陽光が眩しい。同じく強い日差しに目を細めているクラヴィスを伴い、イグニスは無言のまま馬繋所まで歩き出した。



   ◇ ◇ ◇



「行ってしまわれたな」


 大聖堂の入り口から遠ざかる二つの人影を見送りながら、カイロスがぽつりと呟いた。


「どうだ、話はできたか?」

「ええ、ですが警戒されてしまったようですね」


 箱を抱えたままのシアーノがふっと相好を崩す。


「慎重なのは良いことだ」

「そうですね。しかし、真っ直ぐなお方だ」

「言った通りだろう?」

「はい、まったく。ヴェリタス卿とは大違いです」


 初老の幼馴染二人は顔を見合わせ、意味深げに頷き合った。

 そしてまた、遠くの雑踏に目を向ける。


「やはりイグニス様が我々の味方になってくれたら心強いのだがなぁ」

「伯爵家の家督に対する野心のようなものは、感じられませんでしたね」

「ふむ……とりあえずは『あの方』に報告しなくてはな」


 街の警邏隊隊長と、大聖堂の書院長。二人の男の会話は、誰にも聞かれることなく街のざわめきに溶けて消えていった。


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