二日目・四 白昼堂々
軽く市場の視察を終え、イグニスとクラヴィスの二人は市場を離れて広場に通りがかった。広場の中央では、英雄グロリウスの騎馬像が民衆を見下ろしている。
イグニスが思い浮かべる父の姿は、いつもこの騎馬像だった。
直接顔を見た覚えがないので、実際にはどんな姿だったのかはわからない。ただ、死ぬまで我が子に興味を示さなかった父親である。この像を見ても、イグニスは特に親愛の情のようなものを感じたりはしなかった。
むしろ、いつも上から見下ろしてくるその重圧が、鬱陶しい。
騎馬像から視線を逸らし、イグニスは大聖堂の方角へ馬を進めた。
現在の目的は、アーカリドゥス家の最新の系図の確認である。
ラグダスラ王国の国教神は、記憶と記名の神レクティスという。創造神が天地の万物を創り出した後、万物の管理者として生み出したとされるこの神は、あらゆるものに名づけをし、人間に言葉と文字を授けた文明神だ。
だからその神を崇めているこの国では、人の名前はとても大切なものとして扱われている。レクティス神を祀る聖堂は祈りの場であると同時に、人々の名前を記録する機関――つまり戸籍の管理をする機関としても機能していた。
出生してから聖堂に名前を届け出されない者は正式な国民としては扱われず、例えば親の遺産の相続などの権利も持たないことになる。
無論、王国に住む全ての人間が確実に聖堂へ戸籍が登録されているというわけではないが、少なくともアーカリドゥス伯爵家の血統を継ぎ、その権利を受けことのできる人間ならば登録されていないということはないだろう。逆に言うと、もしこの系図に載っていない人間が横槍を入れてきたとしても、無視して構わないということだ。
系図の確認とは、そういった立場の確認でもあった。
広場から大聖堂への道のりはさほど遠くない。市場よりもややランクの高い商店が並ぶ通りを、馬蹄が石畳の道を踏む音を聞きながら進んでいくと間もなく到着した。
この一帯の地域では一番大きなレクティス神の聖堂であるアルバトラム大聖堂は、その規模に見合う荘厳な建物だけでなく、広々とした馬車寄せや、馬番のいる馬繋所も備えている。そこへ馬たちを預けて大聖堂へ入ろうとした時だった。
「強盗だ!」
突如聞こえた悲鳴と怒号に、イグニスとクラヴィスはぱっと顔を上げた。
振り返ると、聖堂の前の通りにある宝飾品の店に何者かが白昼堂々押し入ったようだった。
二人は咄嗟に顔を見合わせた。
「どうします?」
「ここならどうせ警邏隊が来てなんとかしてくれると思うが……まぁ、あれが反王国勢力の関わりのある奴らであれば、捕えるのも一考か」
逡巡は一瞬。頷き合い、イグニスとクラヴィスは馬を置いて走り出した。
悲鳴の上がる宝飾品店から逃げ出した人影は三人。いずれも粗末な服装に、黒い布の覆面を被った男たちのようだった。
「イグニス、踏み台をお願いします。私は上から追います」
「わかった。俺はこのまま追跡する」
強盗を追跡することに決めたイグニスとクラヴィスは、一旦狭い路地へと入る。
そこでイグニスはクラヴィスと相対して立ち、クラウィスは数歩下がって助走を付け、イグニスに向かって跳びかかった。高く跳んだクラヴィスを、イグニスは右腕一本でしっかりと受け止め、そしてあろうことかその体を砲丸投げのようにさらに高くかち上げたのである。
「はっ」
クラヴィスは壁を蹴ってさらに上へ駆け上がり、窓枠やバルコニーを伝ってあっという間に屋根へと上がってしまった。
対してイグニスはそれを見届けることもなく、踵を返して走り出す。
土地勘のないクラヴィスは高所から視界を確保しつつ追跡し、土地勘のあるイグニスはそのまま強盗を追いかける。長年共に戦ってきた戦友同士の、信頼の行動であった。
人通りは多いが、いずれの通行人も大急ぎで走り去っていく強盗に気を取られ、人の間を縫うように追いかける黒い影にはあまり気が付かなかったらしい。
イグニスは右腕で騎兵刀を掴んで走りつつ、強盗たちの逃走ルートを予想した。
アルバトラムの市街地は少年時代によく通った場所である。最近になって作られた道や建物もあるだろうが、大筋は変わらない。ひとまず人混みを避け、裏路地へと入った。
強盗たちにしてみれば、広場を突っ切るのは避けたいだろう。そしてこのまま盗品を持って逃げるのであれば、市場の裏の貧民街に向かうことだろう。そのような目星を付ければ、逃走のルートはおのずと限られてくる。
アルバトラムは平地に造られた街ではなく、岸壁を段々に切り開き、そこへへばりつくようにしてできた街だ。逃げ込める先がそうそうあるわけではない。
土地勘のあるイグニスは強盗たちが入った路地とは一本違う路地を通って、先回りすることにした。
◇ ◇ ◇
アルバトラムの路地裏を、黒い颶風が駆けていく。
軍靴独特の硬い足音を立てつつ目にも止まらぬ速さで狭い路地を駆けていく影に、浮浪者の老人が目を丸くし、やつれた商売女が洗濯物を取り落とし、痩せた野良犬はきゃんと鳴いた。
強盗犯たちは以前、イグニスが予想したルートを必死に走っているようだ。ちらりと頭上を見れば、建物の屋根を身軽に飛び移りながら追跡しているクラヴィスが見えた。
あともう少し行くと、複雑に入り組んだ貧民街に入ってしまう。そろそろ仕掛けようと、イグニスは曲がり角を全速力で曲がった。
「うわぁ!!」
覆面をした強盗犯三人組とばっちり鉢合わせる。
その三人が驚いている隙に、まずは先頭の男を思い切り殴り飛ばした。
「ぶべッ!?」
汚い悲鳴と鈍い音と共に男が吹っ飛ぶ。イグニスに上背があるせいで、その拳は男の顔面を直撃していた。
「な!?」
後続の二人は前を走っていた仲間が突然吹っ飛んだことに驚きつつも、反射的にその男を避けた。荒事慣れしているのだろう。
顔面を潰された男はそのまま伸びてしまったようだが、残った男たちはすぐさま盗品が入っているだろう袋を庇ったり、ナイフを抜いて立ち向かう様子を見せたりした。
それならもう、こちらも心置きなく叩きのめすまでだ。
残った二人の内の一人、ナイフを持った男が前に出て得物を振りかぶる。
「がふッ!」
男がナイフを振りかざした途端、その背後でゴシャッと音がして、袋を抱えていた仲間が倒れ伏した。
建物の上から追跡していたクラヴィスがちょうどいいタイミングで降りてきて、そのまま一人を踏み潰したのだ。
ナイフを振りかざしたままの男は、瞬く間に仲間を倒され驚愕に固まってしまう。
最初からイグニスとクラヴィスの武闘派軍人二人に敵う相手ではなかったようだ。ナイフを握っていた手をイグニスに掴まれ、腕を捻り上げられるとあっさり得物を落としてしまった。
「いでぇ! いッてててて!?」
埃っぽい地面に組み伏せられた男が悲鳴を上げる。もうこれで制圧完了だ。
「さて……望み薄とは思いますが、一応尋問してみます?」
あまりにもあっさり制圧できてしまったことで肩透かしを食らった様子のクラヴィスが、捕えられた強盗犯をつまらなさそうに見やる。
強盗犯を捻り上げたままのイグニスも、さすがにこの男たちが反王国勢力の手のものとは思わなかったが、そのために追いかけたのだから一応聞くことは聞いてみることにした。
「おい」
捻り上げられた腕にイグニスがほんの少しだけ力を入れてやると、荒く息を吐いて這いつくばっていた男はまた情けない呻き声を上げる。
「いでででで! な、なんなんだよお前ぇらは!」
「王国陸軍だ」
「はぁ!? け、警邏隊じゃねぇのか!」
男は覆面の奥で目を見開いた。
伯爵家の葬儀で多くの軍人や兵士が街にいるというのに、何故警邏隊しか犯罪者を取り締まらないと思ったのだろうか。
「安心しろ、どのみち警邏隊には突き出すことにはなる。だがその前に一つ聞きたい」
「な、なんだよ」
「お前たちは誰の差し金で動いている?」
「はぁ?」
覆面の男はわけがわからないという声を上げた。
「誰の差し金も何も……いや、お、俺たちは誰の指示も受けてねぇ!」
なんとも怪しい男の反応に、ふぅん、とクラヴィス。
「そうですか。一応言っておきますが、何か知っているなら早めに言っておくべきですよ。今我々がやっているのは取引でも何でもなく、尋問ですからね」
そう言って、クラヴィスはイグニスに目線で合図を出した。
合図を受けたイグニスは捻り上げた男の腕を膝で押さえつけ、右手を離す。その右手が突然、炎に包まれた。
火種もないのにイグニスの右手に宿った炎は、煙もなく、それなのにめらめらと音を立て、妖しい紫色に燃え上がっている。
「ひっ! な、なんなんだよそれは……!」
「何って、魔術で作り出した炎に決まっている。何も喋らんというならこれで指先からじわじわと炙ってやろうと思ってな」
「ひ、火炙りかよ……!」
「当然だが、本物の火と同じ熱さと痛みがある。早く吐いたほうが身のためだと思うぞ」
そう冷たく言い放ち、イグニスは男の指先に右手の炎を近づけた。
「あづっ! 熱い熱い熱い!」
男の指に魔術の火が移った。途端に男は激しく体をのたうち回らせ、強く抵抗した。
イグニスもさらに強く男を膝で押さえつけ、動きを封じる。
なおもどうにか火を消そうと男は手を閉じたり開いたりしてみるが、火は消えるどころかどんどん燃え広がっていくではないか。
「あああわかった! 言う! 言うから早く火を消してくれぇ!」
「お前が吐いたら消してやる。さっさと吐け」
犯罪者に容赦する義理もない。イグニスはただただ冷淡に告げた。
「熱っ、熱い! か、金貸しだ! 石工通りのセルペンってぇ金貸しに指示されたんだ! 三日以内に金を持ってこなきゃ、船に乗せて異国に売り飛ばすって言われてそれで……もう駄目だぁ! あぢぃよぉぉ! た、助けてくれえええ!!」
そこまで聞いて、イグニスとクラヴィスは互いに顔を見合わせ、この強盗事件が本当に反王国勢力とは関係ないと結論付けた。無駄骨である。
クラヴィスはやれやれと嘆息し、イグニスも冷ややかな顔で炎を消してやった。
火が消えてもなお男は苦しげに悶えているが、よくよく見ればその手は火傷も何も負ってはいない。この魔術の炎が、実際に物質を燃やす炎ではないからだ。
ヴェリタスの異能ほどではないが、イグニスもまた固有の魔術を持っていた。
それがこの魔術の炎である。
実際に炎を燃え上がらせ、物質を燃やす魔術ではない。魔力を燃料に燃える妖火を操ることが、イグニスの魔術なのである。
この炎に触れた者は本物の炎で焼かれるが如き苦痛を味わうが、実際にその肉体が焼き焦がされることはない。その代わり妖火はじわじわとその者の持つ魔力を消費させていく。
魔力とはすなわち生き物の魂が持つ力である。術者であるイグニスが消さない限り、妖火は魔力、つまり魂を燃焼させ続け、最終的には死に至らしめることもできる。
残念ながら敵を殺すには些か時間がかかりすぎるという欠点があるせいで攻撃用としては使いづらいが、それでも相手の魔力を強制的に消耗させたり、相手の攻撃魔術にぶつけて無効化させたりすることができるため、この魔術はイグニスにとって魔術師対策の切り札であった。
そして今、強盗犯相手に使ったようなやり方で、効果的かつ手軽に相手を拷問にかけることもできるというわけである。
尋問が無駄足に終わったところで、イグニスはばたばたと複数人の足音が近付いてくることに気が付いた。
「ああ、警邏隊を呼びにいく手間が省けたようですね」
と、クラヴィスは軍服の乱れをさりげなく直し、近付いてくる武装した集団に相対した。




