二日目・三 忘れられた男
久しぶりに帰ってきた故郷の街は、記憶の中の街とは似て非なる場所に変わっていた。
大聖堂や議事堂、広場の英雄像などのランドマークは変わっていないが、昔あったはずの店がなくなり、知らない商店が並んでいる。
見覚えのある家に知らない家族が住み、通った覚えのある路地も記憶とは違う方向に分かれ道ができている。
記憶と微妙に違う街は、どこかよそよそしく、まるで旧知の友人に他人行儀をとられているような気分になった。
あたかも、街自体がここはもうお前の居場所ではないのだ、と言っているかのような。
「イグニス」
不意に声をかけられ、イグニスは物思いから現実へと意識を戻す。
クラヴィスは馬から降りていた。どうやら、もう市場の前まで到着していたらしい。
市場の中は人でごった返しており、馬では通れそうにない。近くに馬を繋いでおくことのできる場所があるので、そこに預けるのだ。
馬はアーカリドゥス家の所有物を借りてきたので、市場で預けてもぞんざいに扱われることはないだろうが、念の為二人のうち一人が残ることにした。
「私がちょっと行って見てきますよ」
先に馬から降りていたクラヴィスが視察役に立候補した。大柄なイグニスは何かと目立つ。それとなく街を見てくるだけなら人当りのいいクラヴィスが確かに適していた。
「わかった。せっかくだから市場を視察しがてら、何か摘まめそうなものでも買ってきてくれ」
ポケットから財布を取り出し、クラヴィスに投げ渡す。
「わかりました。馬番よろしくお願いします」
財布を受け取ったクラヴィスは自分の乗ってきた馬の手綱をイグニスに渡し、颯爽と市場へと消えていった。
今日、二人が城を離れて市街地へやってきた目的は三つある。
一つは街の様子を見ておきたかったため。もう一つは大聖堂にアーカリドゥス家の家系図について確認するため。最後の一つはステラ達のいるアイテール商会へ顔を出すためである。
街の様子については、実際に自分の目で確認しておいて正解だった。こんなにも様変わりしているとは夢にも思わず、もしも街なかを走り回らなければならない事態になったとしたら相当苦労したはずだ。
二つ目の目的であるアーカリドゥス家の系図は、一応確認のためである。イグニス自身がレグルスのことを把握していなかったこともあり、一度きちんと系図を確認して現状のアーカリドゥス家というものをしっかりと把握しておきたかった。
三つ目の目的は、昨夜急遽手を取ることになったステラ達と足並みを揃えるための面会である。
イグニスは二頭の馬の傍に立ったまま、遠くを見た。
道の両側に石造りの店舗が所狭しと立ち並ぶ市場。頭上には天幕が張られ、雨の日でも商売ができるようになっている。その天幕の為に市場の中は少し薄暗いが、無数の角灯が吊るされ火を灯している様は、昼間でもどこか幻想的であった。
どこまでも続く長い市場通りでは、ありとあらゆるものが取り引きされている。
ここで手に入らないものなどないのではなかろうかと、錯覚を起こすほど。
人波は絶えず、流れている。
イグニスも、少年時代にこの市場を何度も訪れていた。
幸いにも小遣いには苦労しなかった身分である。自分の身の回りのものを買うだけでなく、小判鮫のように付き纏う子供たちの飲食代なども出してやったが、それ以上に悪さもたくさんした。店子たちや商人たちからは悪童たちの頭として、良くも悪くも顔を覚えられていたと思う。
だがこうして久方ぶりに故郷に帰って、かつて通った市場の傍に佇んでいても、今では誰一人としてイグニスに気付く者はいない。
知っている街のはずなのに、何故だか、本当に知らない街に辿り着いてしまったような――。
柄にもないことを考えているうちに、人混みの向こうからクラヴィスが戻ってくるのが見えた。
「戻りましたよ」
そう言って軽く片手を挙げたクラヴィスは、腕に紙袋を抱えている。
「揚げドーナツがあったので、買ってきました」
「そうか」
小麦粉を練った生地を油で揚げて作る菓子は、王国では庶民的な食べ物として広まっている。味付けは地方によって異なるが、糖蜜なり果物のジャムなり香辛料なりで甘く仕上げられるのが一般的である。
クラヴィスが袋から取り出したドーナツは、どうやら糖蜜で味付けされたものであるらしい。どちらかというと、ドーナツというより揚げパンに近いかもしれない。
濃いめの褐色を帯びた、見た目ごつごつとして少々不恰好な丸いドーナツが紙袋から取り出された。
「はい、どうぞ」
「うむ」
同僚から手渡されたドーナツを受け取り、イグニスはいまいち考えのまとまらぬ頭のままそれにかぶりついた。
「……なんか、あんまり美味しくないドーナツですね」
繋馬所で馬にも水を飲ませつつ、二人でもそもそとドーナツを齧る。
立ったまま、市場の景色を眺めつつ食べるドーナツはクラヴィスの言う通り、確かに味が薄くて食べづらい気がした。生地には風味の足しになるようになのか、この辺りでよく採れるナッツを砕いたものも混ぜられていたが、そもそもの甘みが足りていないのであまり美味しくない。
「糖蜜ケチってますよね、これ。高い砂糖を使えとまでは言いませんけど、値段の割にはお粗末ですねぇ。揚げ油でごまかされてますけど、生地もパサついてて……せめてもう少し卵を多くしたら、美味しくなる気がするんですけど」
「味については同意するが、お前が選んだ菓子だからな、これは」
「完全に騙されましたよ。この辺りで一番売れてる屋台だって言うから買ったのに」
クラヴィスは残念そうに溜め息を吐き、ドーナツを齧る。
イグニスもドーナツを齧りながら、眼前の景色に目をやる。
彼らの前に広がるのは、あいも変わらずの人の波であった。
「……流石に、軍属っぽい人間が多いですね」
同じく景色を眺めて、クラヴィスがぽつりと呟く。
イグニスも同じことを考えてはいた。
市場をうろつく人間の中に、軍服を着ている者たちがちらほらと混ざっている。
「伯爵家の葬儀に参列する者たちだろう。今の上層部は、戦後の大再編で恩恵に預かった者が多い。英雄グロリウスの家系には頭が上がらんだろうさ」
三十年前の戦争で王国は勝利こそしたものの、払った犠牲も大きかった。
有力な貴族や要職を務めていた者も多く戦死し、王国軍は終戦後、大々的な再編成を余儀なくされている。
その際、人材不足のせいで普通なら取り立てられないような階級の者や、将来性がないと思われてきた貴族の末子らも多く要職に就くことができたのである。実際に葬儀に参列するのは、その三十年前に取り立てられ、現在高級軍人の地位にいる者たちがほとんどだろう。
とはいえ彼らが動けば下の者たちも伴をしなければならず、それ故に市場は暇を持て余した兵士たちの立ち寄り所となっているらしかった。
さっきからイグニスたちが市場に立っていてもあまり気に留められていなかったのも、こういった原因があったからかもしれない。
「市場を見てきて、他に何か気付いたことはあったか?」
「そうですね。しいて言うなら、少しばかり物価が高いような気がしました。このドーナツも、都で買うよりちょっと高くついたんですよ」
まだ菓子の質への不満が収まらないらしいクラヴィスが、不機嫌そうに口を尖らせる。
「高いのは食料品か?」
「気になったのは食料品が多いですけど、その他のものもちょっと高いんじゃないかと。舶来品ならまだわかりますが、どう見ても国内産のものも高いですね。ここ数年は別に作物も不作っていうわけじゃないのに」
物価が高い。
それは十数年前までこの街に住んでいた身のイグニスとしても、違和感を覚える現象であった。
アルバトラムから王都へ移り住んだ後も、特に物の値段について差を感じた記憶はない。つまりもともとアルバトラムと都では物価に差はなかったはずなのだ。
何故物価が高騰しているかについてイグニスが思案を飛ばしていると、不意にクラヴィスが人混みの中へと手を振り始めた。
「ドーナツ、飲み込みづら……あ、お姉さんこっちにもお茶ください」
どうやら、茶売りが歩いて来ていたらしい。クラヴィスはすかさず二人分の茶を注文した。安物の茶であっても、このタイミングで水分は嬉しい。
茶売りの娘から、世間話に託けて街の様子について訊いてみた。
二、三年ほど前に近隣の農村から出てきたというその娘も、アルバトラムについて思っていることはクラヴィスと概ね一緒であった。物価が高く、質のいい品物を手に入れるのに少々苦労するのが一番の難点ではあるものの、移民が多いので余所者もすぐ受け入れてもらえるのがありがたいのだという。
ちなみに、彼女もこの街を統治していた伯爵が没し、近々葬儀が開かれることは知っていた。だが、伯爵の後継であるレグルスとその叔父イグニスについては何も知らないようだった。
「兵隊さんもどっか偉い人の付き人かい? よかったらイイ娘のいるお店紹介しよっか?」
茶売り娘の要らぬサービストークに、イグニスとクラヴィスは気まずい苦笑いを浮かべた。
伯爵の死は、街にはそれなりに利益をもたらしているらしかった。
現在は割と時間があるのでストックを書ける状態なんですが、お盆を過ぎたら多少執筆速度が落ちるかもしれません。書けるうちに書いておきたいですね。
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