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二日目・一 それぞれの朝

 港湾都市アルバトラムに朝が来る。

 人々は陽も昇りきらぬうちから活動をし始める。海では漁船が行き交い、市場では炊煙が上がり始める頃。

街を見下ろす高台に建つ銀竜城でも、また新しい一日が始まろうとしていた。


 水平線の上へ顔を出した太陽の光が、城の片隅の庭を照らす。少し肌寒い朝の風を受けながら、二つの人影がそこに立っていた。

 イグニスとクラヴィスである。二人とも軽装だ。上は素肌にシャツ一枚、下は乗馬用のズボンにブーツ。そしてどちらも手には剣を携えている。

 まずはそれぞれ剣を抜き、構えや基礎的な技を確認するようにゆっくりと身体を動かす。その準備運動が終わると、呼吸を整えながらお互いに向き直った。二人の間には、たっぷり十歩ほどの距離がある。

 無言のまま、得物を構える。クラヴィスは細剣を、対するイグニスは騎兵刀を用いていた。それぞれ切っ先を相手に向け、深く集中する。

 海から吹き寄せてくる風は僅かに潮の匂いがした。その風が庭を取り巻く木々の梢を揺らす。

 ざわり、と一際強い風が木の葉を鳴らしたその時。


「ふっ!」


 短く息を吐き、クラヴィスが芝生の地面を蹴った。

 十歩の間合いを瞬く間に詰め、細剣の切っ先が鋭く空を裂く。真っ直ぐに繰り出された突きは、イグニスの右手を狙っていた。

 イグニスは冷静に騎兵刀の刀身で細剣を滑らせ、突きを受け流す。クラヴィスも予測済みなのか素早く細剣を引き戻そうとした。しかしそこでイグニスは強く踏み込み、弾き出すように騎兵刀を振るった。


「ふん!」

「くっ」


 ギィン、と金属音が朝の庭に響く。重い騎兵刀の一閃だったが、クラヴィスはしっかりと踏ん張り、細剣の構造上一番頑丈な根元部分を使って巧くいなした。

 振るい、切り裂く為の武器である騎兵刀と、貫き、相手の武器を絡めとる武器である細剣は微妙に得意な間合いが違う。ここで後ろに下がれば騎兵刀の強力な追撃が来るが、あえて密着しに行けばイグニスの動きを封じる事ができると踏んで、クラヴィスはさらに半身分前へ。

 イグニスもその動きに対応するため、一歩下がる。下がりながら騎兵刀を振るって近寄らせない。だがクラヴィスはその攻撃を掻い潜りながら食い下がるように更に突きを繰り出した。その突きは急所ではなく、騎兵刀を狙っていた。

 細剣の複雑な形状をした護拳は相手の武器を絡め取り、封じることもできる。無論それはこの武器の扱いに十分習熟し、相手の動きを見極めることのできる熟練者でなければまともに使うことのできない技術ではあるが、クラヴィスは確かにその域に達した剣士であった。

 が。


「甘い!」


 がっちりと絡んだ細剣ごと、イグニスは大きく騎兵刀を振るった。クラヴィスも踏ん張ったが、呆気ないほどあっさりとその体が浮く。


「うぉッと」


 クラヴィスはイグニスより細身ではあるが、決して小柄ではない。並の男よりは頭半分ほどは長身であるし、その体はしっかりと鍛えられて筋肉質である。だがそのクラヴィスよりもさらに大柄で筋力のあるイグニスは、片腕一本でそのクラヴィスを投げ飛ばしてしまった。

 眼鏡がずれるが、そんなこと気にしてはいられない。クラヴィスは受け身を取って、身構える。吹っ飛んだ細剣が、一拍遅れて芝生の上に突き刺さった。


「……これで一本ということでいいか?」

「もう、加減してくださいよ。私の剣壊したらイグニスが弁償してくれるんでしょうね?」


 騎兵刀を弄うイグニスに、クラヴィスは前髪を掻き上げて眼鏡を直しながら溜め息を吐いた。


 クラヴィスの細剣は情報部隊の正式装備だ。彼らは任務の都合上、市街地での戦闘に重きを置いているためあまり大仰な武器を扱うことはないが、だからといって細剣が非力な武器というわけでは決してない。

 決してそういうわけではないのだが、残念ながらイグニスの並外れた膂力の前では細剣はどうしても力不足なのであった。

 イグニスの扱う騎兵刀は、騎馬の突進力を利用してすれ違いざまに対象を叩き切るための武器である。片手で扱う設計の剣の中では特に頑丈な部類にあるので愛用しているが、それでも激しい戦闘になって駄目にしてしまうこともしばしばであった。


 かつてイグニス・アーカリドゥスという男の出世の道は、その左腕と共に奪われた。

 それから血族への復讐のためにのみ人生を捧げ、戦い抜くことに決めた男は、文字通り血の滲むような鍛錬によって己を高めてきた。その鍛錬の結果が、この凄まじい膂力に繋がっている。

 ちゃちな防具や防御魔術ごと相手を両断してしまうその豪剣は、知る人ぞ知る達人ぶりであった。

 銃や砲の時代が来つつある今、その剣技を正しく評価できる者はあまり多くはなかったが。



   ◇ ◇ ◇



 朝の庭で、二人の剣士が稽古をしている。

 その様子をレグルスはじっと見つめていた。

 ここは使われていない客室。銀龍城の中で賓客向けに開放されている棟にある一室である。レグルスはこの部屋の中から窓の外の叔父たちの鍛錬を見ていた。

 昨日出会った叔父たちが朝によく二人で剣の鍛錬をしていると言っていたので、メイドのセレニタに頼んで早めに起こしてもらい、寝間着のまま二人が見える場所まで走ってきたのである。


「すごい……」


 レグルスは城の外に出たこともなければ、剣を握ったこともない。城の兵士ともほとんど接触がないので、このような剣士同士の打ち合いは初めて見る。

 ここからは少し距離があるのと、窓が閉まっているせいで音はほとんど聞こえないが、それでも熟達した剣士たちの立ち合いは、レグルスのような幼い子供から見ても緊張感があってとても惹き付けられた。


「絵本の騎士さまみたいだ」


 それが率直な感想だった。

 朝日を浴びて白刃が煌めいている。叔父のシャツの左袖が風に靡いている。

 姿勢よく堂々とした叔父の立ち姿は、ただただ恰好よかった。

 そんな叔父は同じく剣を携えた同僚といくつか言葉を交わし、再び剣を構える。また戦う姿が見れるのだと思ったら、レグルスはもうすっかり窓ガラスに顔をくっつけるようにして見入ってしまっていた。


 いつか、いつの日にか。自分もあのように剣を持てるだろうか。

 いや、そんな日が果たしてくるのだろうか。


 幼いレグルスの胸は、これまで感じたこともない強い憧憬と、将来への漠然とした不安にどうしようもなく高鳴っていた。



   ◇ ◇ ◇



 時を同じくして、アルバトラム市街地。

 上流階級向けの邸宅などが建ち並ぶ地区に、瀟洒な屋敷がある。かつて旧帝国時代にかの国から来た領事が使っていたという屋敷だが、最近になってとある王国貴族がここを買い取った。


 そんな屋敷の買い主は、早朝だというのにもう執務室で仕事に取り掛かっていた。

 静かな部屋にペンを動かす音だけが響いている。眼鏡をかけて書き物をしている老婦人の机の上には、様々な書状や書類が綺麗に分類されて積み上げられていた。

 老婦人――女侯爵ナーシス・ヒュメナイの朝は早い。未だ王国内に数少ない高位貴族の一人であり、貴族界において長老格にある彼女の元には、王国の内外を問わず様々な人間から手紙が届く。その一つ一つに目を通してきっちりと処理するために、朝早くから執務に取り掛かる必要があるのだ。

 高位貴族としてナーシスの地位を確かなものとしているその実績の数々は、この勤勉さによって築かれたのである。


 一枚、また一枚と書類を片付け、部下に任せるもの、関係者に確認を取らせるもの、直筆で書状を書く必要があるものと振り分けていき、また新しい手紙を手に取る。その文面に目を走らせた直後。


「おう、お袋! 朝飯できたぜ!」


 ばん、と雑に扉を開けて入ってきた男ががなり立てる。


「執務中はその呼び方で呼ぶんじゃないよ! この馬鹿息子!」


 間髪入れず、女侯爵はどん、と机を叩いて男を叱りつけた。その大声に窓の外で小鳥たちが驚いて、一斉に飛び立つ。


「悪ぃ悪ぃ、でも早くしねぇとせっかくの飯が冷めちまうと思ってよぉ」

「まったくこの子はいくつになっても落ち着きのない……この書類片づけたら食堂に行くよ。先に行って食べてな」

「あいよ。あ、でもついでだから秘書室に持ってく書類くらいは届けとくわ」

「そうしとくれ」


 もしこの会話を普段のナーシスの侯爵然とした姿しか見たことのない者が目の当りにしたら、きっと驚愕して腰を抜かしていたことだろう。他人の目のあるところでは冷厳たる女侯爵として振る舞うナーシスだが、家族の前ではこのように案外ざっくばらんな一面を見せるのだった。

 そう、ナーシスと男は親子なのである。


 男の名は、ウルサス・クルティオ。昨夜の晩餐会の折、灰色の軍服を着てナーシスの隣に座っていた男である。

 彼はナーシスの一番末の息子であり、これでも男爵の位を持ち、ヒュメナイ家が抱える私兵団「白鷹医療兵団」を束ねる団長であり、高齢のナーシスのためにアルバトラムへの旅に同行している主治医なのである。

 年齢は三十六歳。こげ茶色の髪を適当に首の後ろで一本に束ねるくらいに伸ばし、まだ朝の髭剃りも済んでいないのか、どこか愛嬌のある男くさい顔立ちに無精髭が見える。

 年を取ってもほっそりとして上品な面立ちのナーシスとは、似ても似つかぬ息子であった。

 というのも、彼は別にナーシスの実子ではないからである。ナーシスには子供が十八人もいるが、実際に彼女が産んだ子は長子である娘一人だけで、あとの子供たちは全て養子――帝国の支配を受けていた時代や戦争中に親を亡くした貴族の子供たちだ。

 ウルサスもまた、戦禍によって滅んだクルティオ男爵家の生き残りであり、成人してから生家の爵位を復興させた一人であった。

 子供たちは成長してナーシスの元から巣立っていったが、皆養母であるナーシスを深く慕っており、このように何かしらの形でヒュメナイ家を助けようとしてくれていた。そんな子供たちはナーシスの一番の宝であり、かけがえのない財産である。


 ウルサスが養母の机から秘書室へ持っていく書類の束を取り上げる。


「早く降りてきて、ちゃんと朝飯食ってくれよ」


 にかっと笑って、ナーシスの可愛い息子は執務室を出ていった。

 それを肩で溜め息を吐いて見送り、ナーシスは手元の書状に改めて目を落とす。


 ナーシス自身、己の人生を振り返ってみると、確かに波乱万丈ではあったが家族にはとても恵まれた人生であったと思う。辛いことや悲しいことも多くあったが、そんな時に支えてくれたのが家族、特に子供たちであった。

 齢七十を過ぎ、そろそろ家督を娘に譲らなければと思うが、彼女にはその前にやるべきことが残されている。


 ヒュメナイ家の姻戚、アーカリドゥス家の国家反逆の疑いをはっきりさせておかなければならない。


「……リリアム。あんたの嫁いだ家、潰すことになるかもしれないよ」


 何十年も前に死んだ妹のことを思い出しながら、ナーシスは書状を読み進める。

 そこには確かに、アーカリドゥス家が密かに戦争を起こす準備を進めているのではという疑惑と証拠の数々が記されていた。


遅筆ですが、「自分が一番読みたい作品は自分にしか書けない」の精神でのんびりこつこつ書いていきます。

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