一日目・十一 小さな同盟
「もう、レグルス様ったら、お話は明日にいたしましょうと申し上げたではないですか」
「ごめんなさい……でも昼間に叔父上に教えてあげなきゃいけないことをすっかり忘れてたんだもの」
椅子の上に座り、床に届かぬ足をぷらぷらと揺らすレグルス。メイドのセレニタは口調こそ詰る風ではあったが、その表情には幼い主人が無事に見つかったことへの安堵があった。心配はすれど、心から怒っているわけではないのである。
その証拠に彼女は気を利かせて、部屋に人数分のお茶を届けてくれた。ほのかな甘みと爽やかさのあるカミツレのお茶は、子供でも飲みやすく、心を穏やかにもしてくれる。
「レグルス、俺に教えたい事というのはなんだ? それにこの、床下はどうなっている?」
お茶のカップを受け取りながら、イグニスが不思議そうに尋ねた。ちなみにこの部屋には椅子が四脚しかない。元々二人部屋なのだから仕方がないが、今はクラヴィスが椅子をレグルスに譲ってくれていた。
席に座っているイグニスとレグルス、ステラとゼフィール、そして立ったまま話に加わっているクラヴィスとセレニタ。気が付けば部屋はなかなかの大所帯になっていた。
「あ、うんとね、お城にはいっぱい隠し通路があるの。時間がある時はそういう通路の探検をよくしてて、ちょっと詳しいんだ。
それでね、昼間叔父上たちに会った時に教えてあげなきゃって思ったことがあったんだけど、忘れちゃってて、気付いたらもう寝る時間で……叔父上たちのところに行こうとしたら絶対怒られるって思ったから、この通路でお部屋まで来たの。セレニタにはすぐにばれちゃったけど」
とのことだそうだ。あまりに可愛らしい顛末に、ステラ達がくすくすと微笑む。
「俺を気にかけてくれるのはうれしいが、あまりメイドを困らせてやるものじゃないぞ。彼女はお前を心配して捜しに来てくれたんだからな」
「う、うん……」
頭をぽんぽんと撫でてやると、レグルスは陶器のような白い頬をほんのりと赤らめた。
彼は頭を撫でられるのは、あまり慣れていないのかもしれない。
「で、教えなければならないこととは?」
クラヴィスがお茶を飲みながら訊ねた。
「うん、それがね」
と言ってレグルスは椅子からひょいと降り立ち、そのままステラの横へと移動した。話の聞き役に徹していたステラは、不意に近づいてきたレグルスに「あら?」と首を傾げる。
「ステラお姉さん、僕と握手していただけませんか」
そう言って、レグルスはステラに向かって右手を差し出した。
「ええ、構いませんよ。小さな紳士さん」
ステラが笑って片手を差し出す。
小さな手とたおやかな手がそっと結ばれた。
――が、次の瞬間。
「!?」
バチッと大きな音を立てて閃光が瞬いた刹那、ステラはびくりと身体を震わせて硬直し、そのまま後ろへ倒れそうになったのだ。
「ステラッ!?」
ひっくり返りそうになったステラをゼフィールが受け止める。これにはイグニスらも驚き、椅子から立ち上がりかけた。
幸いステラはすぐに気が付いて体勢を立て直し、何が起こったのかわからないという風に目をぱちくりさせている。
「いきなりごめんなさい」
と、手を離したレグルスが申し訳なさそうに謝った。
「でもお姉さんには悪いものがついてたから、今ので取ってあげたの。放っておくとどんどん良くないことになっちゃうから……」
「わ、悪いものですって?」
まだ状況が飲み込めないステラが戸惑いの声を上げる。
「これはね、父上が作った魔術。ヴェリタス叔父上からもらった悪いものを取ってあげられるの。お姉さんはイグニス叔父上のお友達でしょ? 明日からはあんまりヴェリタス叔父上と会わないほうがいいよ。また悪いものもらっちゃうから」
その言葉にイグニスが、ステラが、クラヴィスとゼフィールがはっとした。
「え、待って、それって」
「レグルス、悪いものというのはヴェリタスの魅了の異能のことか?」
ステラとイグニスが同時に尋ねる。
「失礼いたします。僭越ながら、そちらについては私から説明申し上げます」
二人の問いに答えたのは、意外にもセレニタであった。
「ヴェリタス様は恐ろしい異能をお持ちで、それに対してはアダマス様も常々警戒されておられました。お一人で極秘のうちにその異能に対抗する魔術を開発なさるほどに」
「対抗魔術か」
「はい、そして出来上がった魔術をレグルス様や、私どものようなアダマス様直属の一部の使用人たちへこっそりと伝えてくださったのです」
セレニタはそう言って、部屋の隅に置かれているビューローに近付いた。デスク部分を畳む事のできる書き物机である。引き出しを開けると、そこにはペンとインク、上質な紙でできた便箋と封筒が備えられていた。セレニタは紙とペンを持って、部屋の真ん中のテーブルへと並べていく。
「さぁ、レグルス様。この魔術の術譜を書いて差し上げてくださいませ」
「わかった!」
ペンを手渡されたレグルスが、便箋に向かって意気揚々と何かを描き始めた。
術譜とは、魔術の構成ややり方を古代文字や図で書き表した、言わば楽譜の魔術版ともいうべきものである。知識さえあればそれを見て魔術を習得できるため、共通魔術などの指導の際に使われることが多いが、一応論理が解明されてさえいればどんな魔術でも書き表す事ができる。
特殊な魔術や特定の個人だけが使用できる固有魔術など、他人に教える必要のない魔術はほとんど術譜が書かれることはないが、術譜があるということは、その魔術が最初から誰でも使えるように作られているということだ。
国を滅ぼすレベルの強大な異能への対抗魔術が、このように誰でも使えるものであるということ自体驚きであった。
「はい、できた!」
さらさらとペンを動かし、レグルスはいともたやすく複雑な図形を描き上げた。
「ありがとうございます、レグルス様。皆様、こちらがアダマス様が開発した対抗魔術です。現在城内ではレグルス様とレグルス様付きの数人の使用人だけが保有しております。あまり大きく広めてしまってもヴェリタス様に警戒されてしまいますので」
「これで異能に完全に対応できるのか?」
「いえ……先程のステラ様のようにごく初期段階であれば解除も難しくありませんが、深く洗脳されてしまっている場合は、もう……」
「そうか」
どうやら、この魔術でも異能の解除には限度があるようだった。しかしそれでも全く対抗手段がないよりはずっとましである。
それにこの魔術があれば、ヴェリタスが異能を隠していたということへの証拠にもなる。国や軍を動かすのにも有効な証拠は貴重だ。
「それ、見せてもらっていいかしら」
といって手を伸ばしたのはステラである。他の者達の首肯を見て、恐る恐る術譜へと手を伸ばした。
円や多角形を幾重にも重ねた上に古代文字を配したその術譜は、かなり高度な魔術ではあるらしい。魔術師として勉強していた経歴のあるステラも術譜を前に眉根を寄せ、横からそれを覗き込むゼフィールもぽかんと口を開けていた。
「……どう思う」
イグニスはステラに問いかけた。
「難しいけれど、少し時間があれば習得できなくはない、かな……でもこれ、凄い術式よ。多分これが基本形なんだろうけど、少し発展させられれば接触型以外の発動方法も試せそうね」
「そうか……俺はそういうのには詳しくないが、ヴェリタスの異能についてはどうだ?」
「あ、そっちね。ええ、信じたくはないけど、ここまでされちゃ認めないわけにはいかないわ。ヴェリタス卿は黒。これでもまだだいぶ分は悪いけど、アイテール財閥はあなたたちに賭けざるを得ないようね」
術譜の書かれた紙をテーブルに置き、ステラは小さく溜息を吐く。しかしその表情はどこかさっぱりとしているように見える。
その様子を見て、イグニスは改めて体ごと甥に向き直った。
「レグルス、ありがとう。この対抗魔術を知る事ができて、俺たちは一つ有利になった」
「えへへ。僕、叔父上の役に立てた?」
「勿論だ」
そういって笑いかけると、レグルスはまた恥ずかしそうに顔を赤らめ、セレニタの背後へと隠れてしまった。その様子を見て、ステラも微笑まずにはおれなかったようだ。
「……イグニス・アーカリドゥス殿」
ふふ、と微笑を浮かべ、ステラはしっかりとした口調でイグニスを呼んだ。
きっとそれは彼女が総裁としての立場の上で話をする時の態度なのだろう。堂々と、背筋をきっちりと伸ばしたステラがイグニスを見つめていた。
「どうした」
イグニスも臆することなく相対する。
「偶然の成り行きとはいえ、ヴェリタス卿について教えてくれたこと、レグルス様と引き合わせてくれたことには感謝します。おかげで自分たちの組織が今、どのようなことになっているかがわかりました。
私はこれから組織の長として、最善を尽くす必要があります。というわけで、私個人はあなたがたにつきますね」
「ああ、わかった」
「とはいえ。財閥の組織全てを今すぐあなたたちに味方させるのは無理です。私たちの傘下にまだどれだけ洗脳されたものがいるかわかりませんしね」
それは仕方がない、とイグニスだけでなくクラヴィスやゼフィールも頷いた。
「それと、私とあなたとの婚姻話についてですが」
「……ああ、そんな話もあったな」
思わず顔を背ける。忘れていたわけではないのだが、ステラと結婚したいわけではないイグニスとしては、このまま立ち消えてもらいたい話ではあった。
「……そんな嫌そうにしなくても、婿入りは取りやめてもらえるよう働きかけていきます」
「そうしてもらえると助かる」
「言っておきますけど、こっちだって好き好んで婿取りしたいわけじゃないんですからね。傾いてきた財政をどうにかしたくて私も必死だったんです。ヴェリタス卿の情報提供について感謝はしますし、これから協力は惜しまないつもりですけど、こっちから婿入り話について謝罪はしませんよ」
「無論だ。協力してもらえるのならありがたいし、それでお互い様だ。そもそもそっちだってこんな片腕のない男と結婚したくはなかっただろ」
「それを言うなら、あなたもこんな気の強い女はお断りって顔してるわね」
言葉に棘のある二人はそう言ってにやりと笑いあったが、その目はどうにも笑ってなどいない。横で見守るゼフィールはどこか悲しそうな顔をし、クラヴィスは小さく溜め息を吐く。
無表情なセレニタはいつも通りだったが、その背後から二人を見ていたレグルスは何が生きているのかわからず、首を傾げていた。
「……ま、それはこの際どうでもいいわ。お互い、最善を尽くしましょう。生き残るために」
からりと微笑を浮かべて、ステラは右手を差し出した。
「そうだな。お互い、目的が達成できるように」
イグニスも、彼女の右手をしっかりと握る。
「明日から、よろしく頼む」
今、ここに小さな同盟が成ったのである。
一日目が終わりました。これからも時系列に沿ってお話が進んでいきます。
よろしくお願いいたします。




