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一日目・九 疑惑の中心

 若き日のイグニス・アーカリドゥスは、故郷で誰からも顧みられずに生きるよりも、自分の力で未来を切り開く道を選んだ。王都へ出て幼年学校に入り、士官学校を経て軍のエリートの道を進むことにしたのである。

 幸い、彼にはその理想を叶えるだけの素養があった。生家はイグニスのやろうとしていることに無関心ではあったが、金は必要なだけ出してくれた。邪魔だった弟が勝手に独り立ちしようとしてくれているのだから、長兄は大助かりだったに違いない。

 同年代の少年たちと切磋琢磨するのは楽しかったし、家名のおかげで教官たちからも覚えがよかった。

 幼少期から気が強かったイグニスは年長の生徒相手にも平気で喧嘩を売ったし、売られもした。元々腕っぷしも強かったし、買った喧嘩はほとんど負け知らず。派手な活躍ぶりからイグニスは士官候補生のみならず、王都の若者たちから大いに注目を集めていた。

 そんな候補生時代を経て、優秀な成績で陸軍へ入ったイグニスはエリートコースの第一歩を踏み出した。

 その矢先のことである。


 参加した演習中、砲台の準備をしている時だった。イグニスが見ている傍で、一人の下士官が急におかしくなった。それまでごく普通に演習に取り組んでいたその下士官は、急に命令を無視して隊から離れ、弾薬置き場の火薬に火を付けたのである。

 イグニスは咄嗟に彼を止めようとした。おかしくなった下士官の様子に覚えがあったからだ。そのせいで避難が間に合わず、イグニスは爆発に巻き込まれ、左腕を失った。

 下士官の急な乱心による爆発事件は何故か事故として処理された一方で、将来を嘱望されていたイグニスは再起不能と判断され、栄達の道は呆気なく閉ざされたのだった。


「……爆発?」


 イグニスの話に耳を傾けていたステラが、ふと聞き返した。


「そうだ。思い当たる節があるな?」


 イグニスが頷くとその空っぽの左袖が揺れる。

 最初は彼の左腕がないことに僅かに動揺したような表情をしたステラだったが、爆発というキーワードで急に考え込むような仕草を見せたのである。


「ねぇ、待って……ゼフィール、父様たちの事故の原因って……」

「あ、あぁ、そうだね……船の、爆発事故だった」


 ステラとゼフィールが、顔を青くして見合わせた。


 アイテール財閥の前総裁が亡くなった一年前の事故はその航海の途中、寄港地に停泊している夜間に起きた。突如轟音を立てて炎上した大型帆船は、消火の手立てもなく一夜の内に海底に沈み、船室で休んでいた総裁夫妻をはじめとして多くの犠牲者が出た。

 僅かな生存者の証言によると、深夜、船員の一人が急に持ち場を離れて弾薬庫の番と揉め始め、それからしばらくして突然爆発が起きたのだという。港にいた者たちの目撃証言からしても、弾薬庫からの出火は間違いないようだった。


 それと同じ事故がまさか以前にも、海軍ではなく陸軍の演習中に起きているとは思わなかったのである。


 財閥の総裁が乗る船ということで、この船には財閥参加の海運会社に所属する船員の中でも特に選りすぐりの者たちが乗り込んでいた。海軍上がりの航海士や水夫も多く、練度は十分であり、火器の取り扱いの不始末ということは少々考えにくい。

 急に持ち場を離れ弾薬庫に向かった船員というのも不可解で、事故後にその人物について調査を行ったが、やはり海軍を退役後に海運会社に就職した、至って真面目な船員である以外のことはなにもわからなかった。


「大型の船を一撃で葬り去るにはそれが一番効率がいいと考えたんだろうな、あの男は」


 イグニスが、何か確信を持った口ぶりで呟いたのを聞き、ステラとゼフィールが彼に向き直った。


「あの男、って」

「決まっている。ヴェリタス・アーカリドゥスだ。なにせ元海軍参謀だからな、船にも詳しいだろうよ」


 隻腕の男は火傷顔を歪め、侮蔑を込めて言い捨てた。


 アーカリドゥス家の家宰、ヴェリタス・アーカリドゥス。英雄グロリウスの三男として生を受けた彼も、別に生まれてから現在までの全ての時間を故郷で過ごしていたわけではない。

 少なくとも彼を生んだグロリウスの二番目の妻は、自分の息子に家督を譲らせようと必死になっていたようだが、ヴェリタス少年はそのようなことに興味はなかったようだ。父が死に、兄たちと険悪な仲になっていた母が気を病んで、まだ幼い四男を放って塔の上から身を投げて死んだ時、ヴェリタスは清々したとばかりに郷里を離れ王都へと向かった。彼も軍で身を立てることを目指したのである。

 当時はまだ戦争が終わって間もない時代で、英雄グロリウスの名があれば上役からの受けも良かっただろうし、誰からも蔑ろにされなかったことだろう。戦後の混乱も、人材不足も彼の味方をした。士官学校を抜群の成績で卒業するや否や、ヴェリタスは海軍でとんとん拍子に出世し、ついには三十代で参謀の地位を得るまでに至った。王国軍の人材不足が深刻であったとはいえ、相当なスピード出世と言えよう。

 軍での人望も厚く、大きな功績もいくつも残してきた。あとは参謀長か、海軍大臣か――誰もがそう思っていた時、兄アダマスが倒れた。するとヴェリタスはあっさりと参謀の職を辞し、故郷へと舞い戻ったのである。


 ここまでが、誰もが知るヴェリタスの表向きの経歴だ。お家存続のため、兄を支える覚悟を決めて栄達の道を捨てた清廉の士であるともっぱらの評判であるが、無論実弟のイグニスはヴェリタスがそんな綺麗ごとばかりの男であるとは欠片も思っていない。


「俺が子供の頃、アダマスは明らかにヴェリタスを警戒していたし、城に仕える使用人たちも奴を恐れていた。少なくとも当時ここに使えていた者たちの間では、奴が異能持ちであることは知られていたはずだ」

「異能持ち、ですって?」


 イグニスの言葉にステラがぴくりと眉を震わせた。


「ヴェリタス卿が異能持ちだなんて、聞いたことないのだけど」

「無論、国に登録なんてされているわけがない。奴の異能はとても危険だ。アダマスも危険視してはいたが、国に売り渡す気にはならなかった程に有用すぎた……」


 ステラの疑問に答えたイグニスは、膝の上に肘を乗せ、片腕で頬杖をつく。


 この世界には魔術がある。火種もないのに火を起こしたり、手を使わずに物を動かしたり、急にコップの水を凍らせたりなどといった簡単な魔術は習得も容易で、おおよその人間が身につける事ができるものとされているし、誰もが知っている。

 そういった共通魔術以外に、特定の人物のみが身につける事ができたり、特殊な訓練や研究を積まなければ習得できない特殊な魔術もある。これは固有魔術や特殊魔術などと呼ばれ、一般に魔術師や魔法使いなどと呼ばれる者達と言えば、こちらの魔術を身につけている存在のことである。

 そしてさらに、特異で稀有な魔術、奇跡や天災ともいうべき絶大な効果を持つ魔術についてはわざわざ異能と称し、発見されればどのようなものでも国に届け出をし、国によって管理を受けるべしということになっているのである。

 異能と呼ばれる魔術とは、例えば死んだ人間を生き返らせるとか、国を滅ぼす規模の災害を呼ぶとか、時間を自由に遡ったり進めたりできるとか、未来に起きることを予言できるとか、そういったことが挙げられる。特に明確な基準があるわけではないが、このような魔術が発現されることなどそうそうあるわけではなく、その時々の人々が重大であると認識した魔術はとりあえず異能として扱われるのだ。

 こういった異能を国で管理しようとするのは、国家を運営する側としては当然の考えだろう。異能持ちの機嫌を損ねたせいである日突然国が滅んでは堪らないからだ。制御ができない能力であるなら何かしら封印する手立てを考えねばならないし、制御が効くなら金でも地位でも名誉でも何でも与えて国に忠誠を誓わせたい。

 しかしながら、人間というものは得てして有用な力を自分だけで独占したいと考えるものだ。異能という強大な力を律儀に国に報告して管理を受けようというのは、余程能力を扱いかねているか、根っからの愛国精神の持ち主くらいだろう。


「危険だけど、有用すぎる……その異能はどんな力なの?」

「魅了だ」


 そう教えてやると、ステラとゼフィールは「魅了?」と声を揃えて聞き返した。


「といっても、単に異性に恋情を寄せられるなどという生易しいものじゃない。男だろうが女だろうが、子供だろうが老人だろうが、魅了をかけられた者は誰でも奴を敬い、奴に尽くすことを心からの悦びとしてしまう……奴の言ったことは全て信じ、奴に命じられれば自ら進んで命を捨てさえする。人間としての生存本能やこれまでに個人が培ってきた経験、勘、信条、信仰、全てを『ヴェリタス』という存在に塗り替えていく。そんな能力だ」

「ということは、弾薬庫に火を付けた船員も、演習中の爆発事故の原因も……」

「ああ、操られていたということだろう」


 この世に、魅了と名の付く魔術が他にないというわけではない。昔から意中の相手の恋情を誘う愛の呪いは御伽話の定番だし、若者の間で恋のおまじないが流行らなかった時代もないだろう。実際に相手に好印象を抱かせるための魔術は一般に存在しているし、そんなことをせずとも人間多少の努力をすれば他人に好意を寄せられるようになるものだ。

 しかしヴェリタスの異能は、このような単純な魅了の域をはるかに超えていた。

 絶対的な信用。盲信、狂信ともいうべき絶大な支持。相手の思考を完全に奪い、全てを意のままに操れる万能性。簡単に、いとも呆気なく人間社会を破壊しさえする、正真正銘の異能――。


 ステラはその言葉を聞きながら、不意に考え込むような表情になった。何かに気付いたかのようなその表情に、イグニスは一つ頷き話を続ける。


「魅了の異能を発動させるのに、面倒な儀式や呪文は必要ない。恐らく奴と目を合わせ、しばらく会話をするだけでいいらしい。それだけで相手は自然と奴を無条件で信用しはじめ、同じことを何度も繰り返すうちに魅了がどんどん深くなっていき、最終的には最早正常な判断どころか人格が崩壊して廃人になってしまう」

「そんな……何か、防ぐ手立てはないのかい?」


 考え込み始めたステラに代わり、どこか青い顔をしたゼフィールが問う。


「はっきりしたことはわからないが、昔いた使用人たちやアダマスらはヴェリタスの異能に気付いていたし、その魅了にかかってはいなかったことからして、はじめからそういう能力があることを知ってさえいればある程度は防げるのかもしれない。ただ、その彼らがもうここにいない以上、絶対永遠に防げるというものではないのだろうな」


 はじめは、ほんの些細なことだったらしい。いつの頃からか、初代当主のグロリウスでも二代目当主のアダマスでも、女主人である夫人たちでもなく、三男のヴェリタスを信奉するものたちの集団が使用人たちの間で自然発生し始めたのだそうだ。

 最初は少数派と侮っていた他の使用人たちも、やがて彼らがどんどんとおかしくなっていく様子を目の当たりにして次第に恐れをなし、イグニスが物心ついたころにはヴェリタスは既に城内で孤立していたように思う。きっと彼に魅了された者たちは皆正気を失い、暇を出されたのだろう。

 そしていつの間にかヴェリタスは城を離れ、王都の学校へ入学していた。イグニス自身、子供時代の彼との接点はほとんどないが、使用人たちがヴェリタスの名を出されることを異様に怖がっていたということだけが印象に残っていた。

 そして、そんな使用人たちはもうどこにもいない。

 仮にも名家と言われたアーカリドゥス家の使用人で、イグニスの記憶にある人間がいない、つまり十五年以上仕えている人間がいないということは、ちょっとした異常と考えていいだろう。

 貴族の家など、そうそう人員の入れ替えがあるものではない。慣れた人間に働かせるほうが勝手もわかっているので雇う側も手放したがらないし、そも貴族の家の使用人は他の家に仕え直すにしても、紹介状や手続きが必要であったりして煩雑なのだ。

 それがこの広大な城に仕える者たち全てを入れ替える必要があったということは、ここで既に相当なことが起きていたということに他ならない。

 ただ一番皮肉なことは、ヴェリタスを生んだ母親自身が、息子の異能に気付くことなく発狂死してしまったことだろうか。


「……ちなみに、ステラ総裁。お前がヴェリタスと直接会って話をしたのは何度目だ?」


 イグニスが鋭い目でステラを睨む。


「まだ二度目よ。文書でのやりとりは結構あったけど、直接会って話したのはそれだけ。昨日、ここに到着した後に挨拶した時と、今日の晩餐会の時。でも、私はこれだけだけど、財閥の他の幹部たちはもっと頻繁にヴェリタス卿と会ってて……ああ、駄目」


 そう言って、ステラは急に自分の頭を掻きむしり始めた。


「まって、私こんなこと考えたくない。ヴェリタス卿に操られてるなんてそんなこと信じたくない、けど確かにあの人は海軍に顔が効くし幹部たちもみんな信用しきってて、ああでも、あの人が原因だとすると確かに辻褄が……!」

「ステラ、落ち着いて!」


 ゼフィールが慌ててステラの肩を押さえ、呼びかける。


「私だって不思議に思ってたのよ、何故私が新しい総裁に選ばれたのかって。だってうちは世襲にこだわりのある組織じゃないし、実績や経験から言えば幹部の叔父たちの誰でもよかったはずよね。でもそこに以前から繋がりを深めようとしていたヴェリタス卿の口添えがあったっていうなら……父様たちを排して、財閥をどうにかしたいと思って私を選んだっていうなら……」

「す、ステラ……」

「大丈夫よ、ゼフィール」


 不安げなゼフィールをそっと押しのけ、ステラはまっすぐにイグニスを見つめ返した。


「……ねぇ、教えてちょうだい。軍はヴェリタス卿についてどこまで把握しているの」


 ステラは聡明である。一瞬取り乱しかけたものの、それでもきちんと現実を把握しようと前を向く強さがある。

 彼女は恐らく普通に新総裁として選出されたとしても、立派に務めを果たしていけるだろうという程度には強く、しなやかな女だった。果たして彼女の周りにいる者たちが、その才をどれだけ把握できていただろうか。

 この才知がヴェリタスにとって予想外のものであったと願うばかりだ、とイグニスは頬杖を外して姿勢を正しながら考えた。


「陸軍はこの一連の反王国勢力への援助の他、特殊な異能を隠していたことへの罪を明らかにしたいと考えている。今の海軍はほぼ奴に乗っ取られているようなものだ。迅速に証拠を押さえ、対策を取りたいいうのが本音だな」

「やっぱりそういうことなのね……うちの設計した船に不備があるっていう話も、もしかして関係があるのかしら」

「証拠はない。しかし奴が何かしらの口添えをした可能性は否定できないな」

「そうであったら嬉しいんだけども。うちの設計部門が軍船の設計でミスするなんてあり得ないことだから」


 と、ステラは僅かに微笑する。


「海軍がほぼ掌握されてるってことは、この国結構ヤバいってことかしら?」

「その通りだ。反王国勢力なんてものより圧倒的にヤバい」


 イグニスは無慈悲に頷いた。その横でクラヴィスも同様に頷いている。


「どうしてアダマスが危険視しながらもヴェリタスの異能を黙っていたのかはわからん。だがその危険性がわかっていたのはこの家の人間だけだった。奴に殺されかけた俺は、復讐の機会を、奴の異能を告発できる機会を待っていた……俺は、何があろうとこの調査で奴を破滅させる」


 強い決意を込めて、隻腕の男は静かに宣言した。


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