百三十九話「第三回公式大会《8》」
前回のあらすじ
難攻不落かと思えるヴァニタス・エディタ。それに対応するは"鉄血の死神"こと、紅月であった。
「冷徹。冷酷。冷情。よくできている。まるで本当に人形みたいだ。
君は"意味のある戦い"をしているつもりだろう。剣を振るえば勝てると信じ、戦いを交え続ければ希望が自身を照らすと……だが、私は記す側にいる。君たちのその"信じること"も含めて、全部、私の中では"未確定項目"だ。一歩踏み出すたびに、私は確認する。
『この行動は誰の意志か?』
『この結果は誰が選んだのか?』
君の動きに合わせ、私は注釈を付ける。
『この先に、意味はあるのか?』
そして君が倒れたとき、私は──その戦いに"読了"の印をつける。……終わりの印は、いつだって静かだ。君がどんなに静かで代わりないとしても、世界はページをめくるだけだ」
ヴァニタス・エディタは語り続ける。それは攻撃ではなく観察、分析、理解、思考。紅月の繰り出す攻撃は通常ならばその細い体を真っ二つにできる。だがそれらもヴァニタス・エディタにとってはただの静観し、反応するべき事項。かの者は戦いをしているのではなく、ただページをめくっているだけなのだから。
(………攻撃が無かったことにされる。攻撃がすぐに反撃に変わる。攻撃の瞬間だけ先送りにされる。レーダーによる脅威度分析をものともせずに、必殺の攻撃が飛んでくる。)
紅月は考えていた。ヴァニタス・エディタの攻撃、防御はほぼ無敵の領域にいるということを、何かの動作をする隙はあれど、その隙を埋めるにしては隙がない。要は純粋に手数が多いのだ。そのため紅月は回避に専念しながら接近と後退を繰り返している。だが、それでも危ない瞬間はいくらでもある。
「!」
[────左腕動力消失]
「──この一節で、君の物語は終止符だ。」
紅月は自身を細切れにする赤い巣に対して魔力放衣を一瞬だけ展開する。攻撃はその防御により相殺され、紅月は五体満足で回避に再び専念した。
(左腕は戻ったか。あの赤いピアノ線。厄介だな、)
完全不規則に張り巡らされるピアノ線はヴァニタス・エディタの周りを駆け回る。レーザーカッターのようなものだと最初は誤認していた紅月も数分戦えば、それがあらゆる行動を制止する効果を持つものだとわかる。これは手足が麻痺して動かなくなると同様に、機械仕掛けの紅月であってもその部分のエネルギー供給が一瞬立たれることによって、それが成立する。
(だが、何とか時間は稼がないとな……!)
紅月はビームカノンで牽制をしつつ、確かにヴァニタス・エディタへと食らいついていた。しかしそれを理解していないヴァニタス・エディタではない。
「……驚いた。君はまだ、削除されずに立っている。何度も書き換えた。物理法則も、立場も、記憶も――君が何者であるかすらも。
だが君は、"語られ直す"ことを拒み続けた。
……ならば、舞台をまるごと変えよう。記述を破り、演出を抹消し、背景すら無に還す。
──見届けよ。世界は一文で終わる。『彼は宇宙空間にいた』。
空気はない。重力もない。温度も、音も、逃げ場も、ない。君の"粘り強さ"は実に見事だった。だからこそ、最後の行に書き足しておこう──"尊敬と終焉を込めて"
さあ、ページをめくろう。君の物語は、ここで新章だ」
ヴァニタス・エディタが語ると世界は帷が降りたみたいに真っ暗になり、そこらじゅうにキラキラと光星々が飾られていく、地面であった場所には地面はなくそこは上下左右もない宇宙空間。天体という天体は消滅し、ヴァニタス・エディタを新たな太陽と据えて、本体が軌道上を回り始める。その中にいる紅月は彗星が孤独存在でありながら、その宇宙において例外的な存在であった。
ゆえに宇宙空間の全てが彼を殺しにかかる。
「っ!!」
四方八方から引かれる赤いピアノ線を不恰好な回避によって、かろうじて避ける紅月、地球の重力とは圧倒的に違う慣性に戸惑いをあらわにしつつも、スラスターを点火し、摩擦のないそのままのGを体に受けながら、ただただ回避だけに専念する。
「────こんな、ところで行きたくなかったなッ!エルド、姿勢制御システム、バランサーノズルの修正を!」
[────了解]
デブリもない宇宙空間において、紅月は今溺れている状態にある。そもそもの話大量の推進剤を搭載した機体であっても宇宙用に作られているかそうじゃないかでそもそも違う。宇宙の慣性、宇宙の気温、あらゆる面を考慮しなければいけないところを、紅月は何の準備も無しに放り込まれたのだ。そしてひとえに今、ヴァニタス・エディタの攻撃を回避できるのは、紅月自身と纏っているへカントンケイルが単純にオーバースペックなだけである。
そしてそんな超常的な現象を目の当たりしていた。カイは思考を巡らせていた。
(ヴァニタス・エディタ!書き換えると言ってもそこまでできるか。だが、やっぱりブラックボックスを何とかできるほどではない、いや正確には不成立で終わっているのか……?いや、いや、もっとそんなことよりも重要なことだ。こいつは、"宇宙をどこで知った"?)
「うわああぁ?!カイさん!戻ってきてください!自分の世界に浸らないで、私じゃなんて言えば良いかわからないじゃないですかぁ!!」
MYYは混乱していた。そしてそんな二人と同じように会場にいるプレイヤー達も息を呑む。ヴァニタス・エディタと紅月の戦いは一見不利のように見えるが、それでもこの理不尽な最強種と渡り合っている紅月に感服するほかなかったのだ。
(オートマタじゃなかったら酸素切れで死んでる。だが───まだ、時間はかかるっ!)
紅月は回避の合間に挟み込むビームカノンでヴァニタス・エディタへと攻撃を開始する。それすらも防ぐヴァニタス・エディタ、だが紅月が気になったのはそこではない。
(───なんで、宇宙空間なのに、ビームが……っ?)
そう思った矢先目の前に本の怪物が現れて、慣性を乗せたままの紅月を丸呑みにしようと口を開き襲いかかる。スラスターの方向を変えたとしても感性を打ち消すのには時間がかかる。紅月は絶体絶命に突如陥った。
[───修正完了]
「ええいッ!!!」
最小限の動きで丸呑みをかろうじて回避した紅月はその大剣で本の怪物を真っ二つに切り裂いだ。しかしその事象が修正され、本の怪物は何事もなかったかのように再び紅月の背後を突いて回った。
(事象改竄!何でもありかッ!!)
「……おかしい。君は呼吸できないはずだ。音も、熱も、命も遮断した。
それなのに、君はまだ“ここ”にいる。
私の書いた宇宙は、君を殺すには足りなかった。私はすべてを知る者ではない。
だが──この場面、この行、この瞬間までは、そう在ると思っていた。
一文で終わらせたはずのページが、君によって次の章へと繰り延ばされた。
私は、君を"理解しきれていない"。
それが、実に……たまらない。
君は、何者だ?
何が君をここまで“生かして”いる?
私の記述を拒む"何か"。
構文化不能な意思。
──魅力的だ。
君の全てを、私は知らなければならない。
欲しい、知りたい、解析したい。
私は記述者だ。ならば、君のような存在こそ、"最も書き記すべき奇跡"だ。
まだページは残っている。私は、君の物語を──"最後まで読みたい"。」
[ピピ]
「!───きたか。」
紅月の通信機に連絡が来る。紅月はこの宇宙空間の中で上を見上げる。その視線に釣られてヴァニタス・エディタも上を見上げる。彼は宇宙の中心となっているのだから、上下という概念がどこにあるのかわかるだが、なぜそれが紅月にもわかったのか、そこまでの考えに至る前に。
[バリリリリィィッッッッッッッッ!!!!!]
ヴァニタス・エディタの構築した宇宙空間の世界は完璧に破壊され、空には巨大隕石が世界の終焉をもたらすが如く空を覆い尽くしていた。
ツングースカ・フラグメントである。
「……これが君の筆跡か。私の構築した宇宙を、割れた鏡のように粉砕し、その先に、空を覆う“象徴”を――いや、"結末"を放り込んできたか。
《ツングースカ・フラグメント》。
素晴らしい。破壊の質量に、これほどまでの“物語性”を持たせた者が、かつていただろうか。君はもはや、暴力の語彙で詩を綴る詩人だ。
……だが、その詩は、私には届かない。
君が投じた終局の光は、あまりに雄大で、美しく、そして……遅すぎた。観測域の境界線──世界の縁に触れる前に、私は“修正”してしまう。」
ヴァニタス・エディタは静かに左手を掲げ、指先で空間の一点を突く。触れた瞬間、時間が"消音"されるように緩やかに停止し、世界を破滅に導くかのような轟音も、目の前を真っ赤に染める剛温の灼熱も、そして巨大な隕石そのものの動きが凍った。
「君の筆致は崇高だ。しかし、私は“結末”を書くために在る。
君に許されるのは、その前のページまでだ。
さて──続きを記そう。この壮麗な対話が、空虚な力比べでは終わらぬように。」
だが、ヴァニタス・エディタは見間違えていた。ツングースカ・フラグメントはただの質量攻撃もそうだが、何より独性を保有していた。それは、必ず"そこ"に落ちるということ、これは世界がこの大隕石に許容する絶対制度であり、ヴァニタス・エディタがいくら書き換えの能力を保有していたとしても、その制約を止めるには完全に至れない。
ゆえに
[ゥゥゥゥグゴゴゴ─────ッッッッ!!!!!]
その大隕石は動き出した。
「……妙だな。指先が触れた時点で、書き換えは完了しているはずだった。……にもかかわらず、この質量は"ページの外側"から、私の世界へと侵入してくる。
君の隕石は、ただの重力の集合ではない。概念の塊だ。
落下とは、"否定"だ。
圧力とは、"強制"だ。
それを君は、この隕石に――《ツングースカ・フラグメント》に封じ込め、物語の中へ投げ込んだ。……なるほど。これは、"書き換えられる"ことすら想定された攻撃か。
私の手が届く領域に、わざと遅延を発生させるように設計されている……?」
ヴァニタス・エディタは語った。そして続けた。
「君という存在は、やはり──私が読むには、一冊の本では足りないようだ。
だがそれでも。
私は書き続ける。遅れても、滲んでも、破れても──頁は、閉じさせない。」
ヴァニタス・エディタは、今度は"指"ではなく、"掌"全体を空に向けて掲げる。圧力を捻じ伏せるようにして、その隕石に対して真っ向から迎え撃つのだ。
「……来い、《破滅の読点》。
君の語りを、"次の文"へ繋げる準備はできている。」
そしてヴァニタス・エディタはその隕石を、少しずつ分解していきながら、解析。そして書き換えを敢行しようと続ける。しかしそれを許さないもの達がいた。
「全員攻撃開始ッ!!」
そこに一斉転移でプレイヤー達が雪崩れ込んできた。紅月とヴァニタス・エディタだけだった戦場は千をも超えるプレイヤー達で溢れかえる場所はと変貌した。そしてその全てがヴァニタス・エディタを倒すために集った勇士であった。
「いけ!!ヴァニタス・エディタの書き換えがツングースカに集中している間がチャンスだ!奴の許容量を超える攻撃で撃ち倒せ!!」
そうこれこそが作戦だった。紅月というヴァニタス・エディタの解析、書き換えに時間がかかる者に時間稼ぎを願い、その隙にツングースカ・フラグメントの落ちる時間を稼ぐ。ヴァニタス・エディタがその巨大隕石の質量と独性の書き換えに時間をかけている間に、全プレイヤーで一斉の攻撃。
いくらヴァニタス・エディタが速かろうと、いくらヴァニタス・エディタが書き換えることができようと、その範囲と効果には限界があると仮定した上での作戦。実際に紅月を最後まで解析できなかったヴァニタス・エディタはそれを遠回しに証明した。
勝算があると踏んだら行動するのは早い。ここにいるプレイヤー達はどんなに弱くとも大会出場者だ。それぞれが特異性と、相応の知識があるため、大軍戦は得意とするところだった。
そして、そんな光景からヴァニタス・エディタは語る。
「嗚呼──これが、君たちの"答え"か。
この世界に“正解”はないと、私は定義した。
だが、君たちはそれでも定義を持ち寄り、理念を束ね、意味を撃ち出してくる……!これは、私がかつて"創りえなかった情景"だ。──圧倒的多様性による、情報の暴走。
君たちは、私の枠組みを破壊することで、何を残すつもりなのか?よいだろう。君たちの言葉で、私の“ページ”を埋めてみせてくれ。
──私は編集者。だが今この瞬間、君たちの創造を拒絶はしない。ならば、この一頁を、
"人類による、最も美しい編集"として刻もう。」
「──魔弾・死虹!!!」
「主神穿槍──!!!」
「雷帝・終雷ッ!!!」
「邪竜殺剣!!!」
千を超えるプレイヤーたちの攻撃が、夜空の隕石の如く降り注ぎ、爆音と衝撃が空間を書き換える速度を上回り始める。だがヴァニタス・エディタは宇宙を仰ぎ、ゆっくりと両手を広げる。そしてその瞳に、一瞬だけ"悦び"にも似た光が宿ったのだ。
群れなす攻撃の奔流の中ヴァニタス・エディタはふと静止する。次の瞬間――世界が"沈黙"した。まるで今の今まで流れていた光景が誰かの手によってストップを掛けられたかのように。白黒した光景は古く全ての色を同時に失った。
「……だがこの“頁”は、あまりにもノイズが多すぎる。よく辿り着いた、千の意思よ。
君たちの解析は確かに正しかった。私が"書き換え"に集中している今こそが、唯一の隙であると。だが────。
その『真実』すら、私は"脚注"にできる。
なぜなら私は――"編集干渉"の具現。
一つに"攻撃"という概念を、この場に存在してはならないものとして上書きする。……だが、君たちの到達を無にするのは、些か無粋だろう。
二つに"ここにいる者の誰かが、私を『穿てた』なら、私はこの場での編集権限を放棄しよう"。
それまでは──全員、停止。
終わらせる。これは私の“最終稿”だ。」
全ての攻撃が、空中で停止する。剣も、弾も、魔術も、咆哮すらも――まるで映像が一時停止したかのように。
そしてゆっくりと、手を掲げる、彼の手の動きと共に、すべての攻撃が音もなく崩れ、虚無に還る。その瞳に宿るのは、解析対象への敬意、そして一つの遊戯心。
空間が震え出す。次の瞬間、彼の周囲に漆黒の文字列が展開され、断罪の如き反撃が始まる。
逃れるものはいない。ここにいるものは全員だ。ヴァニタス・エディタが展開したこの二つの条件は平等なものであるが、その場にいないものしか攻略はできない。だがそんなものどこにいるのだろうか?
そう、全員なのだ。ここにいるのは全ての勢力。ゆえにこれを攻略するものはいなく、次のヴァニタス・エディタのセリフによって全てが終わるのだ。
これにて、この大会は幕を閉じる。
「いいえ。そんなことにはさせません。」
メイド服を着た一人の女性が遥か遠く、遠く遠く遠くの場所からそれを見ていた。巨大隕石が落ちるその地点は何よりもわかりやすかったが、その中で人型をしたアリよりも小さいものを捉えるのは不可能に近かった。だが彼女は託された、こんな状況があるのかもしれない、こんなことがあるのかもしれないと託された。
彼女は炎を操り、弓を作った。そしてそこに自身の火を矢として正しい姿勢でまっすぐ、ただただまっすぐに引いた。
(…………。)
彼女の脳裏にあるのは自分に託してくれたものの言葉。
『っていうことがあるから。』
『そうなのですね。』
『………ねぇ、ウミさん。』
『はい?』
『弓道の心得はある?』
「───あります!!」
ウミが矢をさらに力強く引っ張る。矢は細くなり青白い炎を吹き出しながら熱線と化した。そしてウミは狙う。何千と離れた先にいるヴァニタス・エディタを彼女の眼はそこまで良いものではない。だがそれでも彼女はあらゆるものからあらゆる能力を託されている。ゆえに不可能はない。あるのはそれを可能にするだけの能力と、それを絶対にするだけの力のみだ。
「ヴァニタス・エディタ………ウミ、、、発ッッ!!!!」
彼女が矢から手を離すとそれは光をも超越するかのような速度でまっすぐ誰にも負けない彗星のように飛んだ。彼女の背後に広がっていた山は一瞬にして業火に包まれ、彼女の立っていた足場はすでに炎熱化していた。その矢は何よりも熱く、何よりも強かった。空気中に舞う魔素さえも燃やし尽くし、その奇跡は炎の跡を残した。
そして燃えかけるその矢は何千ともある距離を一瞬にして縮地して、ヴァニタス・エディタの心臓を穿った。
その攻撃に、ヴァニタス・エディタは反応すらできなかった。彼は甘く見ていたのだ。人という存在をただ一回の編集者には、知りえない領域があり自分はすでにその上に立つ存在ではあるが、殺される対象の中、つまりは物語に入ってしまっていることを。
そして、それを悟ったヴァニタス・エディタは語る。
「……ああ。ついに、そうか──これが、あなたたちか。私はずっと上から観ていた。
あらゆるエントロピーを編集し、書き換え、否定し、書き直すことが私の特権だった。
けれど、あなたたちは私の外側で、私の“理解の外側”で、一度も“書かれなかった”という奇跡のまま、ここまで来たのだ。
……私には、反応すらできなかった。
それは、甘えだったのかもしれない。
私のルールにあなたたちを落とし込めると、どこかで信じていた。
だが気づけば、私はこのページの中にいる。
"物語の登場人物"として、"殺される側"として。
ならば──これは、私の終わりにふさわしい結末だ。編集不能の物語。書き換えられない意志。
見事だ。本当に……見事だよ。
プレイヤーたちよ。あなたたちは、私を超えた。だからこれは、敗北ではない。」
「これは……賛美だ。」
彼の静止が解かれ、全ての攻撃が彼に殺到する。────その一瞬前、ヴァニタス・エディタは───語った。
「──物語は、止められない。なんて、美しいんだ。」
『topic』
ヴァニタス・エディタの討伐ポイントはそれぞれが本体に与えたダメージ量に比例したポイント配布になっている。




