顔なし
「課長、経費の算出と見積もりの作成終わりました」
課長の顔は茶色い。いや実際は茶色くない、普通のおじさんなんだけど、私には男性の顔が黒か茶色にしか見えないのだ。誰にも話したことはない。高校の頃付き合った彼氏や、大学の時の彼氏も、黒か白、茶色い。顔がないのだ。私は26歳で普通の会社員だ。ここは火曜日の、とある建設会社のオフィスだ。エレベーターを上り13階。眺めは悪くない。私は経理部の事務員だ。朝9時に出社して、夕方は5時に退社する。
ごく普通、趣味もないし、楽しみといえばお酒を飲むことぐらいで取り分け何かするわけでもない。幼い頃はそういえば夢があったかもしれないが、確か、アイドルとか、アナウンサーとか?けど、成長するにつれて夢なんてどうでも良くなった。学校では成績で評価される。別に勉強しとけば問題ない。勉強もそこそこ出来た。ただ、なんかつまらなかった。そうやって、なんとなく毎日を過ごした。みんなが楽しそうなら私も楽しそうに。真面目というわけでもなく、時々は少し道を外れた友達とかとも遊んで、適度に危ない事も学んで、表向きは問題ない。けど、なんか毎日つまらない、そうやって成長してきた。
大学を卒業してそのまま社会に出た感じかな。恋人も人並み。高望みはしなかった。手に届くくらいがちょうど良くて。恋愛はこんなものかなと満たされない。男の人が苦手、どちらかと言えば嫌い、友達の付き合いの飲み会は行く、みんなの前ではハイテンション。今日も学生時代の里子先輩の誘いで、先輩の友人と飲み会だ。街中のよくあるチェーン店の居酒屋の店内、男女8人。今日も私にとって男性の顔はみんな黒塗り。なんだか私はいつも目の前に現れる男性は黒塗りだった。まあ、そんな事はいい。私はいつも盛り上げ役。楽だから。その方が。今日もハイペースで飲んでいく。...っと!ふらふらする、いつも以上にふらふらする。そこから私は記憶がなくて、気がついたら、全く知らない人の家にいた。
「え?!ん??ここどこ?」
部屋の奥から見知らぬ男性が出てくる。ちなみに私の目には黒塗りに映らなかった。
「あのさ、君、覚えてないの?なんか8人で飲みに来ていて。突然倒れて、で、俺が連れてきた」
「はっ?連れてきたって?日本語おかしくない?」
「いや、連れてきた、君の顔が黒く見えなかったから」
まさか、この人も黒塗りの顔を知ってるの?私は心の中で驚く。この話は親友の美紀にも話していないし、親にも話していない。
「状況が飲み込めないけど、私、誘拐されてない?」
「いや、俺何もしてないから、むしろ助けてる」
噛み合わない会話が繰り返された。
言うのを忘れてた。彼は意外と端正な顔で、まつ毛が長かった。あとはスタイルは良い方に見えた。じゃがいもみたいな部類でもないし、特段変な人にも見えない。それに私は衣類を身につけていた。だけど、だけど、これ?おかしいでしょ?心の中で叫んでいたら、男性が雑誌を差し出す。
「世界も認める日本の技術者100人?」
ビジネス誌の記事が目に入った。
「半導体の未来を担う男、京大卒の俊才、三谷幸!」
本に写っていたのは彼だった。私は驚く。けど、なんで、こんな天才が私に?そう思って聞いてみる。
「なんで私を連れてきたの?」
すると三谷は口を開く。
「いや、君が、僕にとって初めて顔のある女性なんだ。良ければ君のことももっと教えて。」
普通に考えたらおかしな展開かもしれないが、お互い顔がある。あるのだ。私は実は自分も男性の顔が今まで黒塗りにしか見えず、顔を認識出来ないことを話した。顔があることを初めて認識した私たち、なんだか昔から知っていた気がした。そして私は、三谷に自分の事をたくさん話し始めた。三谷がわたしの脳裏にきちんと記憶出来たはじめての男だった。