発達障碍と自閉症スペクトラム障碍
勉強が出来ると言う事に喜んだ私ですが、勉強がしたいです。それでは明日からどうぞ。なんて具合にはいかないのが何にでも規則で決まっている少年院です。
勉強をしたい!そう思った時に最初にする事は、先生に願箋と言う紙を貰い、そこに自分の希望や要望を書き提出する。と言う事から始まります。また願箋を出したからと言って、その日や次の日に希望が叶う訳でもありません。そこから希望を叶えても問題が無いかと言う見えない審査が始まるのです。そして審査を乗り越えて初めて希望が叶うのです。
私は、その頃からマルチタスクに物事を推し進める事が出来ない人間だったようです(後に判明)。
掃除の時に畳の水拭きをしていた時です。何気なしに同じ部屋の人から言われた
「水拭きの汚れた水を捨てるついでに流しも雑巾で拭けば早く終わるよ」
的な事だったと思います。私はその言葉を聞き、畳の水拭きを中止して、流しの水拭きを始めました。そして後に、畳の水拭きが終わってない事が判明するのです。
食事の時も同じような感じです。私は昔から所謂、三角食べと言うものが出来ません。ご飯ならご飯をみそ汁ならみそ汁を無くなるまでひたすら食べ続け、次の料理を食べる。と言う食べ方をしていました。
同室の人に何の悪気もなかったと思います。
「トンカツをご飯の上に乗せて一緒に食べるとカツ丼みたいになって美味しいよ、真似してごらんよ」
その一言に私の心の中では、ご飯を全て食べた後に美味しそうなトンカツを食べるつもりだったのに、一緒に食えと言う……そこで私のあたまの中はパニックを起こし、少年院に来てから初めての癇癪を起こしたのです。食事が乗ってるプレートをテーブルの上からほうり投げ、頭を鉄格子に何回も何回も血が出るのにも構わずぶつけると言う行為に。
部屋長の……
「先生!先生!3号室です!複数人至急お願いします」
と言う言葉が聞こえたような気がしたまま私は意識を失い、気が付いた時にさ医療室のベッドの上で四肢を革のベルトで拘束された常態で横になっていました。
そして、長いようで短かった私の雑居生活は終わりを告げたのです。
私は覚醒後に医務の先生と問診を行い表面上は問題が無いと言うことで、保護室に移されました(自殺や自傷行為をする院生の為に壁にウレタンが貼ってある部屋です)
保護室で数日過ごした後に、すっかりと落ち着きを取り戻した私は、先生から。
「雑居での生活は少し難しいのかも知れないね、これからは独居で生活をしていこうね」
その後、独居に戻った私は心理カウンセラーの先生の立ち会いの元に、IQテストともう1つ別のテストを行いました。
イジメが原因で、まともに学校に行く事が出来てなかった私の学力は、算数や理科社会に関しては非常に低く、国語だけが突出して高くはあるのものの、IQ自体に何の問題もありませんでした。
ただ……もう1つ受けた別のテストによって私は【発達障碍】を発症していると言う事が判明しました。
そしてその後、心理カウンセラーの先生との会話のやり取りにて、さらに【自閉症スペクトラム】も発症している事が判明するのです。
★★★★★を☆☆☆☆☆にすると作者のやる気が一気に無くなるそうじゃ、優しい読書のみんなはそんな事をせずに
☆☆☆☆☆を★★★★★にしておくれ