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魔王は玉座で「もう遅いのだ」とつぶやいた

作者: 曲尾 仁庵

「……惨いものだな」


 無数の骸が折り重なって倒れ、死してなお苦悶の表情を浮かべている。家は焼け落ち、柱の一部が黒く炭となって残るのみだ。戦の後――人は人同士で争い、殺し合う。そしてそれはしばしば、悪魔が人に為すよりもはるかに凄惨な結果をもたらしている。

 真新しい廃墟を、魔王はひとり、歩いていた。人の領域と魔物の領域、その端境にある、かつて人間の村であった場所。炎が上がり、悲鳴が響いたのは昨夜のことだった。夜が明け、生きる者の気配がなくなったこの場所に、魔王は足を向けた。それは状況を確認するため、ではあったが、もうひとつ、奇妙な胸騒ぎを覚えたからでもあった。この場所には何かある――そう思えばこそ、魔王は配下の一匹も連れずにここに来たのだ。



――ザッザッザッ


 魔王の靴が土を踏む音だけが聞こえる。逃げ惑った挙句に奪われた命たちが道端に散乱している。魔王はそれらに心を寄せることなく、村の奥へと繋がる道を進んだ。魔王にとって人間は仇敵。野ざらしの骸を哀れに思うことはあっても、死を悼む気持ちはない。

 しばらく進むと、道沿いの一軒の家の玄関に一人の女が倒れているのが見えた。まだ若い女、いや、昨夜までそうであったもの。今は朽ちるのを待つ物体に過ぎない。魔王はその傍らを通り過ぎ――ようとして、ふとかすかな気配に気づいた。命の気配、生きた人間の気配だ。女の骸は身体を不自然に丸めていた。まるで、何かを抱えて隠しているように。

 魔王が足を止める。そして女の骸に近付き、その身体を仰向けに転がした。女が抱え隠していたものが姿を現す。そこには、穏やかな寝息を立てる赤子がいた。魔王は赤子をじっと見下ろす。陽光を遮るものが失われ、赤子は眉を寄せる。やがて赤子はゆっくりと目を開いた。つぶらな瞳が魔王を見上げる。そして、赤子は魔王に向かって、にっこりと笑った。




「いったい何を考えておる!」


 厳しく叱責する声が魔王の城を渡る。城の兵士が思わず顔を見合わせ、肩をすくめた。声は魔王のおわす玉座の間から聞こえてくる。魔王を叱責することができる者は城の中にはひとりしかいない。宰相であり宮廷魔術師でもある大魔導が問い詰めているのだ。


「人間の赤子など拾ってきおって! しかもそれを育てるじゃと!? 我らと人間の、はるか古より相争うてきた歴史を忘れたとでも言うつもりか!!」


 魔王は玉座に深く腰掛け、その膝に人間の赤子を抱いていた。赤子は安心しきったように眠っている。


「生まれたばかりの赤子に過去の恨みを向けたところで詮無き事」


 魔王は大魔導の叱責を気にする様子もない。大魔導は苛立った様子で大きな声を上げた。


「今は赤子でも、長じて後には我らの敵となる! 気付いておろうがっ! その赤子はただの人間ではない! 勇者となるべき赤子じゃ! 今この場で殺さねば、やがてお主を殺しに現れることになろうよ! 自らを殺す者を自ら育てるなど、愚かと呼ぶ以外になかろう!」


 魔王は首を横に振り、赤子をゆっくりと揺らしながらその寝顔を見つめている。大魔導は大きなため息を吐き、頭を抱えた。




 そして赤子は魔王の城で育てられることとなった。魔王は配下の人型モンスターに乳を乞い、離乳食を作り、おむつを替え、沐浴をした。最初は怒り、呆れていた大魔導もいつしか魔王を手伝い、やがて魔王の配下の魔物たちは人間との戦いをも中断して、総出で赤子の世話をするようになった。赤子は物怖じしない性格なのか、どんなに怖ろしげな魔物にも笑顔を向け、そしてどんなに怖ろしげな魔物も、赤子に笑顔を向けられると穏やかに笑った。魔王たちは赤子に歯が生え始めたと喜び、初めて立ったと城中が沸き立ち、初めての言葉は自分の名であったと言い争いながら、赤子の成長を見守っていた。穏やかな月日が流れ、三年が経った頃、赤子は突然、魔王の城から姿を消した。




 魔王の軍勢と人類は、はるか古の時代から生存圏を巡り争う、敵であった。魔物は多様な種が存在し、その生存に適する環境もまた多様であった。しかし人類は自らが生きやすいように自然を作り替えていく。人類が適する環境が生存に適さない魔物たちは、人類がその生息域を広げるに従い生きる場所を奪われていった。魔王は人に追われ行き場を失くした魔物たちを糾合し、人類に戦いを挑んだ。それが、千年以上も前に起こった、人と魔王の戦いの始まりである。




 赤子を失った魔王たちは、深い喪失感を抱えながら、再び人類との争いに身を投じた。善悪の介在しない、生存を賭けたその戦いに妥協はなく、人と魔王たちは互いに怨みと憎しみを積み上げながら、山河を道を海を血の色に染めていく。




 さらに十年を超える月日が経ち、人と魔王たちとの戦いは新たな局面を迎えていた。勇者と呼ばれる少年が聖剣を携え、次々と魔物の群れを打ち破っている。勇者の登場は戦いの趨勢を一気に人類側に傾けた。魔王の支配域は急速に縮小し、そして遂に、勇者は魔王の居城、その玉座の間に足を踏み入れた。




「……お前が、魔王か」


 まだ幼さの残る面差しの勇者が、玉座にある魔王に聖剣を向けて言った。魔王は重々しくうなずく。


「いかにも」

「人類のため、世界のため、すべての禍の元凶たるお前を討つ!」


 剣を水平に構え、勇者はそう叫んだ。魔王は無言で勇者を見つめる。勇者の足が地面を蹴り、魔王との距離を詰めた。魔王は、動かない。勇者が淡く光を放つ刃を魔王の首に向かって突き出し――


――ガツッ


「……なぜ、殺さぬ?」


 魔王が静かに問うた。勇者の剣は魔王の首のわずか右を貫き、玉座の背もたれを抉っていた。勇者がかすかに震える声で問い返す。


「……なぜ、戦おうとしない!?」


 魔王はほんの少しだけ目を伏せる。


「人間は敵だと、必ず私を殺しに来ると、何度も言われた。裏切られると分かって心を寄せるのは愚かだと。そしてそれは正しいのだろう。だが――」


 魔王は穏やかな笑みを浮かべ、そして言った。


「もう、遅いのだ。お前が私に敵意を向けても、その刃を私に振るおうとも。あの日、お前が笑いかけてくれた。そのときから私は、お前を、愛してしまったのだから」


 勇者が大きく目を見開く。その身体は小さく震えていた。かすれた声で、ようやく搾りだすように、勇者は魔王に問う。


「……どうして、僕が、ここまで来たと思う?」


 問いの意味を捉えかねたか、魔王が眉を寄せる。勇者は言葉を続けた。


「憶えていたからだ。声を、眼差しを、ぬくもりを、憶えていたから!」




 三歳の時、勇者を魔王の城からさらったのは、賢者と呼ばれる一人の男だった。賢者は勇者の資質を、魔王を討つことのできる力を持つ者を探し、それがあろうことか魔王の城にいることを知った。賢者は魔法の力を駆使して魔王城に潜入し、隙を伺い、魔王に『誘拐』された幼児を『奪還』することに成功する。賢者は幼児を魔王を討つ勇者とすべく、自身の持つあらゆる知識と技術を惜しみなく与え、鍛え上げた。賢者は幼児に常にこう言い聞かせた。


「魔物は人類の敵。魔王はそれを統べる絶対悪。お前はそれらを討ち、人々を救う力と責務を持った特別な存在なのだ」


 賢者は時に厳しく、時に優しく、勇者を導いた。それは勇者にとって父親に等しい存在であった。しかし彼には、深い記憶の底に懐かしむべき別の面影があった。おぼろげな風景の中にいる、自分を見守り、慈しむ者たち。充分に力を付け、賢者の許を離れた勇者は、その形も定かならぬ面影を探して、世界を旅していた。




「ずっと捜していた。養父とは違う、いつか僕の傍らにいてくれた誰かを。そして今、ようやく分かった! その声が、瞳が、教えてくれた!!」


 勇者が聖剣を投げ捨てる。玉座の間の床に聖剣がカランと音を立てて横たわった。


「僕は、ずっと、あなたに会いたかった!」


 勇者の目から涙がこぼれる。勇者はまるで幼子のように泣きながら、魔王に抱き着いた。


「どうか、人と共に歩む道をください。人と手を携える未来を、僕にください。ようやく会えたあなたを殺さなくていい世界を、僕にください!」


 魔王の胸で、勇者はしゃくりあげ、懇願する。勇者の身体を強く抱きしめ、魔王は「すまなかった。すまなかったな」と繰り返した。




 勇者の来訪の翌日、魔王は全軍に人間との停戦を通達し、和解の道を模索し始めた。対する人間側は魔王の意図を疑い、交渉の提案はことごとく拒絶されることとなった。勇者は人々を説得して回ったが、勇者の偽物よ、裏切り者よと石を投げられ追いかけ回されるのが常であった。


「……甘くないな」


 うつむく勇者に魔王はその肩を叩く。


「だが、始めねば、始まるまいよ」


 魔王の顔に絶望はない。勇者は大きく息を吸うと、


「よし、行こう!」


 遥か高い空に向かってそう叫んだのだった。




 こうして人類と魔物たちは、共生に向けた最初の一歩を踏み出した。道のりは遠く険しい。しかし少しずつ、ほんの少しずつ、勇者の声に、魔王の言葉に耳を傾ける者は現れ始めている。戦い、血を流した歴史は消えるものではなく、わだかまりがなくなることもないかもしれない。しかしそれでも、互いを慈しみ、尊重する未来は絵空事ではないのだ。魔王が勇者を愛したように。勇者が魔王の愛を、思い出すことができたように。

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― 新着の感想 ―
[良い点] これは良いまおゆう小説! [一言] いうて、魔物側が多種族居るなら一回勝てば人間も傘下種族の1つとかになりそうなものですけどね(魔族オンリーとかだと難しいかもだけども)。
[一言] 僕もこういうのを書きたいんですよ! でも、なぜかギャグに振り切ってしまうんですよ(´;ω;`) すばらしい作品をありがとうございました。 小さな一歩から始まる明るき未来が尊い…… (自分の…
[良い点] 良い物語を読むことが出来ました。 涙脆いので、涙ぐんでいるほどです。 勇者は、最初に受けた愛を忘れていなかった事がとても感激しました。 最後には偽勇者と言われながらも、魔王と一緒に道を模索…
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