ある使用人の昔語り(後)
アルベス様がラグーレン領へお帰りになるお姿を見送っていると、フィル様が声をかけてくださいました。
「よく知らせてくれた。君も戻りたいだろうが、今日は休め。部屋と食事を用意した」
「ありがとうございます」
お礼を言うと、フィル様——フィルオード殿下は初めて悲しそうな顔をしてうつむきました。
「親父さんは、やはりアルベスに知らせるなと言っていたのか?」
私がお答えせずにいると、ため息を吐き、私の肩に手を置きました。
「ロブ。君は私が誰か知っている。だから、何かあったらすぐに知らせろと私に命令されたら断れない。そうだな?」
「……いいえ。私は、私自身の意思で参りました。だから、私がアルベス様のご出世をつぶしたのです」
「それは違うな。僕は第二王子だよ? 僕が望んだことで叶わないことなど、ほとんど存在しない。だから、君は主人の命令に逆らった。そして、アルベスに離脱をそそのかしたのも、僕だ」
だから気にするな。
殿下はそう言って、傲慢そうにお笑いになりました。
……確かに尊い身分のお方だし、傲慢なお顔もよく似合う。
でも、私は「フィル様」のことはよく存じ上げています。悪人ぶっても、あたたかいお気持ちは見えてしまうのです。
「……これをお返しします」
メダルを差し出しましたが、殿下は手を出そうともしませんでした。
「それはまだ持っていろ。あいつは僕の介入を好まない。だが、本当に困った時があれば、僕が動く。そのために君はそれを持っていてほしい。報酬は別に出そう」
「いいえ。それは受け取れません。私はラグーレン家の使用人ですので」
「……そうか。そうだったな」
フィルオード殿下はうなずいて、少しだけ苦笑を浮かべられたようでした。身分が違うので、まじまじと拝見することはできませんでしたが。
改めて、私にもう休むようにと言ってくださった殿下は、軍本部の奥へ戻っていかれました。
王国軍の制服を着て、離れたところで待っていた複数の騎士様方を従えて歩くお姿は煌びやかで、私は圧倒されてしまいました。
あのお姿こそが、本来のお姿なのだと思い知り、とても遠く感じてしまいます。
ただ、手に残ったままの金のメダルの重みは、少しも変わらないあの方のお心を示している。
それを心強く思いながら、メダルを大切に布に包み直しました。
——その後のことは、皆様もご存じの通りです。
アルベス様は騎士を辞めて子爵となり、領地と復興に全力を尽くしていかれました。
妻ユラナの話では、ルシア様は帰宅したアルベス様を見た途端に泣き出したそうですが、私がラグーレンに戻った時にはもうしっかりなさっていました。……しっかりしすぎていると、心配になるほどに。
月日が流れ、ラグーレン領に少しずつ賑やかさが戻り始めた頃、国王陛下が突然代替わりされました。
恐ろしい陰謀があったと聞いています。
しばらくしてラグーレン家にお見えになったフィルオード殿下は、とても暗いお顔をしていました。
それでもあの方はルシア様には何も言わずに笑いかけ、私ども使用人にも気さくに声をかけてくださいました。
この地があの方の安らぎであることが、あの時ほど誇らしく思ったことはありません。
領民たちは皆、あの方を「フィル様」とお呼びして、早く元気になってもらおうといろいろなものを持ち寄っていました。あの方が元気になれば、私どもが敬愛するアルベス様とルシア様もお元気になるのですから。
フィル様は次第にお元気になり、お屋敷にまた明るい笑い声が戻ってきた時には、とてもほっとしたのを覚えております。
さらに月日が過ぎ、あの方の眼差しがルシア様を追うようになりました。
アルベス様は密かに気を揉み始め、私どもにも相談してくださいました。アルベス様は仮定の話だとおっしゃって、何とかぼやかそうとしたようでしたが、妻や私も同じように感じているとお伝えすると、ほっとしたような、でも複雑なお顔をなさったものです。
いろいろなことがあった末に、フィル様とルシア様が婚約なさいました。
領民たちが喜んだのは言うまでもありません。
結婚式を一週間後に控え、ルシア様が王都に向かわれる前日。
アルベス様とルシア様は、兄妹お揃いでお墓参りに行かれました。
ご両親へのご報告だったのだと思います。お戻りになったお二人は、何やら楽しそうにお話になっていました。
そのお姿を見た私どもは……ルシア様がついに嫁がれていくのだと実感して、嬉しさと共に胸が痛くなりました。
ルシア様が嫁いでしまった後、アルベス様はお一人になってしまいます。あのように楽しくお戻りになるのも一旦は最後。
日常的なお墓参りもお一人になってしまうのだと、妻のユラナと共に真剣に悩んだものでございます。
幸いなことにと申しますか、当然と申しますか、アルベス様は人に好かれるお方。ルシア様がご結婚した翌日には、騎士の皆様が多数お寄りくださりました。
ルシア様がフィル様と内々にご婚約なさった頃から、王国軍の騎士様たちはよくラグーレンにいらっしゃいました。ルシア様の護衛のためでございます。
その口実はなくなったはずなのに、騎士の皆様はよくお寄りくださいます。とても賑やかですから、アルベス様は少しも寂しく思う暇がないでしょう。
それに、近頃は尊い身分の方々もよくお寄りくださいます。
そろそろフィル様にいただいた金のメダルは、お返ししてもよいかもしれません。
……そう思っていたのに、メダルが二つに増えてしまいました。
一つはフィルオード殿下からいただいたもの。
そして、新たにいただいたメダルは、近頃よくお見えになる双子のお子様方からのものでございます。
「困ったことがあったら、絶対に連絡してね!」
とても明るく、とてもおきれいなお二人のお顔には、かつてのフィル様ととてもよく似た真摯な表情も含まれていました。
ですので……当たり前ですが、お断りできませんでした。
全く、アルベス様は大変な方々に慕われているようで。
あとは、お気持ちの優しい女性が奥方様としておいでいただくのを待つばかりですが、それも遠い日ではないのかもしれません。
アルベス様は大変な苦労をなさってきたお方です。
でも今は、誰よりも楽しそうでいらっしゃる。
そんなアルベス様を、これからもお支えできることこそ、私どもラグーレンの領民が何よりも誇りに思うことなのでございます。
(番外編 ある使用人の昔語り 終)




