(7)使者がもたらしたもの
オーフェルス伯爵家からの使者は、恭しい礼をして部屋を出ていきました。馬車が去るのを確かめてから、私は急いで応接間に戻りました。
アルベス兄様はまだ座っていました。
使者が持っていた封書を見つめていましたが、表情を消し、静かに怒りを抑えているように見えました。
「アルベス兄様。それはどういうものだったの?」
「……最悪だ。こんな屈辱は初めてだ」
アルベス兄様の声は低く、緑色の目は冷ややかでした。
でも、私を見上げた時には、わずかに皮肉っぽい笑みを浮かべていました。
「ルシア。ゴルマン卿が結婚するらしい」
それは……。
予想外のことに、流石に驚きました。
私と婚約破棄したのは、まだ一週間前です。それなのに、もう結婚が決まるなんて。
お兄様はさらに何か言おうとしますが、何故か口ごもってしまいます。
いきなり立ち上がって部屋の中を歩き回り、しばらく窓から外を見て、ようやく私を振り返りました。
「これは、オーフェルス伯爵家からの、正式な招待状だ」
「招待状?」
私が首を傾げると、お兄様は低く唸ってから続けました。
「ゴルマン卿とイレーナの結婚式に、……お前を招待するそうだ」
「……はぁっ?」
あまりのことに、私は変な声を出してしまいました。
ラグーレン子爵家に生まれた私と、ベルティア子爵家のイレーナさんは、母方の従姉妹に当たります。
私たちは同い年で、幼い頃には一緒に遊んだことがありますし、王都に行った時は屋敷に泊めてもらったりもしていました。
そのくらいに仲がいい、と私は思っていたのですが。
……ゴルマン様と結婚するなんて、全然聞いていませんでした。
「しかし……ベルティア子爵家のイレーナか。聞いてみれば、納得できる選択だな」
「長く王都を空けているからよく知らないんだが、ベルティア家は今そんなに勢いがあるのか? いくつか有名な産物があるとは聞いたが」
「今年になって染料が伸びている。王宮で薄い紫色が増えていなかったか? あの色の染料はベルティアの特産で、今は大量に売れているはずだ」
「薄紫か。そう言えば兄上がこぼしていたな。男も女も、似合わない微妙な色を着ている貴族が増えて、見るに耐えない、と」
「……相変わらず口が悪い方だな。俺は何も言わないぞ。何も聞いていないからな」
「もっと聞いてくれよ。久しぶりに顔を合わせると、とんでもない勢いで愚痴を聞かされるんだ!」
「俺は絶対に聞かないからな。だいたい全部オーフェルス伯爵が悪いんだ。坊ちゃんもご当主も顎がないんだよ。一度殴らせろっ!」
「農夫もやってるアルベスが殴ると死ぬぞ。僕が演習のふりをして伯爵領を攻めてやろうか?」
アルベス兄様とフィルさんは、一見冷静なようで、全然冷静でない会話をしていました。
すでにかなりのお酒を飲んでいるただの酔っ払いなので、内容などは本気にしてはいけません。
でも、何か言う度にナイフを投げているのは、さすがにどうかと思うんですよね。
でも、こういうことになるんだろうなと予想していたので、壁に木を切っただけの的を複数取り付けておきました。
ナイフは全てその的に刺さっています。
酒が入っても、腕が鈍らないのだけは褒めてあげます。
それに、この二人が言いたい放題になっているので、私は冷静になれていました。
冷静にならないと、この惨状に対処できません。
まったく、この男どもは。
でもちょっとすっきりしたので、豆入りの蒸しパンを出してあげましょう。
「お、うまそうだ! ルシアちゃん、ありがとう!」
「そうだ。もっと妹に感謝しろ。褒め称えろ。俺の妹はな、あの坊ちゃんなんてもったいないようないい女なんだ! 今年中の結婚にこだわらなかったら、うちの収入ももっと増えたんだ! なのにイレーナだと? あんなふにゃふにゃした小娘の方がいいって言うのか!」
ふにゃふにゃって、なんですか。そんな言い方するからモテないんですよ。
イレーナさんは小柄で可愛らしくて、でも胸が大きくて甘え上手なパーフェクトレディーですよ。ちょっと計算していますが、そこも含めて完璧なんです。
ねぇ、フィルさんもそう思いますよね?
「天然ならともかく、作り物は僕は嫌いだな。だが、そのふにゃふにゃに騙される男はいる。……僕は気が強い女性がいい。僕が死んでも笑って子供を育て上げてくれそうな女がいいんだが、嘘泣きして男の同情を買って、さらに金を巻き上げそうな女ばかりなのはなぜなんだ!」
「ははは! お前、まだそんなこと言ってるのか!」
「言うくらいいいだろう。先日もな、帰還報告で王宮の軍本部に戻ったら、どこから聞きつけたのか、兄上が釣書を持って来たんだ。まだ仕事が残っていたのに周りが逃げてしまって、仕事は滞るし、逃げ道はないし、どうしようもなかったんだぞ!」
「いや、だからお前の身内の話は俺に振るな。聞きたくないことを聞いてしまいそうだ」
「聞けよ! うちの甥っ子と姪っ子、あいつら猿だぞ! 子犬とか子猫とかそういう可愛らしいものじゃない。猿だ! 僕があいつらの近くにいたのは一日だけなのに、メイドが何人も泣いてたし仕事を辞めると言っていたぞ!」
「……聞いていない。俺は何も聞いていないからな!」
この酔っ払いたち、何を話してるのでしょうね。
アルベス兄様も、そこまで耳をふさがなくてもいいんじゃないかな。フィルさんの家庭はそんなに複雑なのでしょうか。
豆入り蒸しパン、回収したくなってきました。
お酒も没収してもいいですよね?
「ル、ルシアちゃん! 酒は我慢するから、蒸しパンだけは許してくれ! 夢にまで見たんだからっ!」
「ふーん、フィルさんはいつもそんな言い方しているの? でも悪い気持ちはしないわね。お兄様も少しは見習ったら?」
些細なことですが、少し気分良くなってお兄様を振り返ります。
まさに、その瞬間にナイフを投げたアルベス兄様は、酔いで少しとろんとした顔で瞬きをしました。
「……えっ? 俺にも、こいつみたいに床で寝転がれって言ってるのか?」
「そうじゃないでしょ!」
やはり酔っ払いを相手に、まともな反応を期待してはだめでした。
こうして、その日の夜はいつの間にか酔っ払いの戯言と笑いの中で更けていきました。