ある上官の結婚式直前の騎士たちの反応
コミカライズ4巻発売記念。
フィルとルシアの結婚式直前に、騎士の皆さんが疑心暗鬼に陥っている話。
書籍版2巻の最後のあたりやコミカライズ4巻の最終話前後の頃のこぼれ話としても読めます。
王弟フィルオードの結婚式の朝。
国中が祝福ムードに染まっている真っ只中のその日、王宮の一画にある王国軍の本部は静寂に包まれていた。
警備の任務に就くために、騎士の姿がいつもより少ないというのもある。
それでも本部には多くの騎士がいる。そのほとんどが集まっているのではないかというほど、会議室に大勢がいた。
なのに、騎士たちは黙り込んでいるために、会議室は不自然なほど静かだ。
その重苦しいほどの沈黙は、やがて深いため息によって破られた。
「……やっと、この日が来たのだな」
ため息に続いたのは、短いつぶやきだった。
だがその低い声は、魂の叫びにも似た深い感情が含まれていて、それはこの場に集まった騎士たち共通の心情である。騎士たちはそれぞれ深く頷いていた。
「思えば、あの人が王国軍に入ってから、我々は気が休まることがなかった気がする」
「ああ。あの麗しき殿下が何をやらかすかと、毎日が緊張の連続だった」
ボソボソとつぶやいているのは、王国軍の中枢部にいるベテラン騎士たち。若い頃の王弟を指導する立場にあった不幸な男たちだ。
第二王子という複雑な立場と、まばゆいほどの華やかな美貌と、愚かな若者そのものの派手な行動の数々。
ただの貴族の子弟なら殴っていた。
だが、フィルオードは第二王子である。
気軽に殴っていいのか、無心でゴマスリに徹すればいいのか、人を惹きつける王族の魅力に従って一緒に馬鹿騒ぎをすればいいのか、いつも迷っていた。
当時の軍団長が、他の若い騎士と同じ扱いで殴り飛ばした時は肝を冷やした。
王妃の暗殺事件があった時は、どう接していいか悩んだ。
第三軍で真面目に軍団長となっていると聞いた時は、憑き物が落ちたかのような真面目ぶりに、驚きつつも胸を撫で下ろした。
誰よりも華やかで魅力的な王子も、ついに落ち着いたのだろうと安心したこともあった。
——なのに、本気の暴走という「本番」がその後に待っているなど、どうやって予測しろというのだろう。
「……あの人は何をやっても派手だよな」
「むしろ、派手じゃないことがあるのか?」
「メシ食ってる時は普通だろ」
「フッ、甘いな。食っているだけでキラキラしているぞ!」
「確かに無駄にキラキラしているな!」
騎士たちの中に笑いが広がる。気が抜けたような空気が流れた。しかし笑いはすぐにため息に変わって沈黙が落ちた。
ただし、今度の沈黙は長くは続かない。
一度気持ちがほぐれたからか、騎士たちはまたボソボソと話し始めた。
「あの人がアルベスの野郎と仲良くなった時は、あいつに任せれば、全てなんとかなると思ったんだがな」
「ああ、あいつといると、あの人も普通の馬鹿な若者だったからな」
「今も馬鹿じゃないか。癖のある東部の貴族たちを完全に掌握しているらしいが」
「一緒に馬鹿騒ぎをやってくれる王族なんて、普通はいないからだろう」
「普通じゃないところが、あの人のいいところだと思うがな!」
「馬鹿な行動も、普通ではないところも、悪いとは言わない。言わないが……俺たち第一軍は、あの人のせいでどれだけ苦労したことか……!」
「そうだったな、大変だったな……」
「ああ、大変だった……」
第一軍の赤色のマントを身につけた騎士たちが、しみじみとつぶやく。第二軍の青色のマントの騎士たちも、同情的な目をしている。
北部から来た第三軍の黄色のマントの騎士たちだけは、笑いを堪えるような顔をして目を逸らした。
そんな中、一人の騎士が勢いよく立ち上がった。
「だが、それも終わりだ。あの人は結婚する!」
「そうだ! 噂では、嫁さんのいうことは素直に聞くそうじゃないか! 俺たちの任務から『王弟殿下の監視』なんて馬鹿馬鹿しい項目がようやく消えるぞ!」
騎士たちの表情が急に明るくなった。
だがその空気を壊すように、また重々しいため息があちこちで発生した。
「……王弟殿下関連の任務が、本当になくなると思うのか?」
「よく考えてみろ。妃殿下が病気になったりすれば、また馬を飛ばして帰ってくるぞ!」
「そのうちご懐妊もあるだろうし、任務を放り出す可能性だって……えっ、そうなったら、さすがに軍法会議ものじゃないか!?」
「いや、さすがにそこまでしないだろう!」
「しないと断言できるか? あの人なんだぞ?」
「……くそっ。アルベスの野郎、一人でさっさと逃げやがって!」
猜疑心に駆られた騎士たちが頭を抱えてうめく。
体格のいい男たちが悶える姿は、まるでこの世の終わりを告げられた神話の民たちのようだ。
そんなげんなりするようなむさ苦しい光景を、銀髪の双子たちが笑顔で見ていた。
彼らも王族として出席することになっているはずだが、まだ挙式まで時間があるからと、いつも通りの普段着のままここにいる。
双子たちは顔を見合わせてくすくすと笑い、背後で身じろぎもせずに立っている男を振り返った。
「みんな、フィルのことになると荒れて面白いね!」
「……フィルオード閣下には、多くの騎士が関わっているからでしょう」
「それはそうなんだろうけど、騒ぐわりに、みんなよく笑っているんだよね。それが面白いなぁって。オルドスはあの中に加わらなくていいの?」
「殿下方の護衛任務中ですので」
相変わらず、オルドスは表情を変えない。
この男、第一軍の中でも最精鋭を誇る騎士隊の隊長なのに、よく王弟フィルオードの見張りを命じられるし、最近は双子たちの護衛もしている。
今日に限って言えば、近衛騎士たちが忙しくて双子たちの脱走に付き合えないという切実な理由もあるから、双子の姿を見かけてすぐに捕獲して、護衛という名目の見張り役になっていた。
双子たちも、オルドスには勝てないと諦めているので、オルドスに見つかった後はおとなしく軍本部にいる。
「フィルって、騎士たちに人気があるよね」
「あれだけ言いたい放題なのに、いつの間にかみんな笑っているんだもの」
「私たちも、フィルみたいに慕われる王族を目指したいなー!」
アルロード王子とリダリア王女は、笑っているが真剣だ。
それを聞いた周囲の騎士たちは一瞬動きを止め、少しばかり虚ろな目をした。
「……いや、殿下方はあの人より常識的でいて下さると嬉しいです」
「着飾っている間は、走り回らない方がいいと思います」
冗談のようなことを言っているが、騎士たちは真面目な顔だ。
双子たちはまた笑ったが、ふと首を傾げた。
「そういえば、アルベスとフィルは年齢が近いはずだけど、アルベスはまだ結婚しないんだね」
深い意味のない、何気ない言葉だった。
しかし、途端に騎士たちの動きが止まった。最初の沈黙よりも重くピリピリとした空気になってしまう。
「あれ? どうしたの?」
双子たちは首を傾げる。
見回しても、周囲の騎士たちは不自然に目を逸らしている。また首を傾げ、双子たちはオルドスを振り返った。オルドスは目を逸らさず、でも一瞬苦笑を浮かべた。
「騎士たちの前で、アルベスの結婚問題を口にするのはお勧めできません」
「どうして?」
「それは……」
オルドスにしては珍しく、迷うように言葉に詰まってしまったが、双子たちは目をキラキラさせて続きを待っている。
「オルドス?」
「……それについては、また後日お話ししましょう。今は、フィルオード閣下の婚儀に集中させるべきかと」
今ひとつ要点を得ない。
双子たちは首を傾げたが、お互いに顔を見合わせてからニヤッと笑った。
「つまり、面白いことになるってことだよね?」
「そういうことなら、後の楽しみにしておこうかな! 今日は僕たちも忙しいからね!」
双子たちはそう言って、扉の方へと目を向けた。
開け放った扉口の向こうに、キョロキョロと落ち着きなく周りを見ている若いメイドたちの姿がある。
身支度のために、双子たちを呼びに来たらしい。
それだけならば、一人で十分なはずなのに、なぜかメイドたちは複数来ていて、周りを見ながらほんのりと頬を染めている。
双子の確保のために人員を揃えたというより、普段は見ることができない軍本部に入るということで張り切ったようだ。あまり見目麗しくない残念な状況のはずなのに、そんなことは関係ないようだ。騎士たちを見て興奮しているように見える。
素直に彼女たちのところへ走って行こうとして、双子たちはふと足を止めて周りを見た。
「何か気になることでも?」
「んー、第一軍と第二軍は、そろそろ動くのかなって思って」
「……何か聞いたのですか?」
「お父様付きの近衛隊長さんが、私たちの前で独り言を言ってたんだよねー」
「面白いことが起こるのは結婚式の後だから、しばらくおとなしくしておく方がいいだろうって!」
「…………それで、なぜ第一軍と第二軍に動きがあると思ったのです?」
「だって、最近の騎士たちは不自然に静かだったもの。絶対おかしいでしょう?」
「結婚式の後に起こるなら、つまりアルベス関係かなと。あ、何も言わなくていいよ! 今知ってしまったら僕たち動けなくなるから!」
双子たちはオルドスに手を振って、メイドたちのところへ行った。
王家の双子たちは賑やかに去っていく。
それが聞こえなくなってから、オルドスはため息をついて室内を振り返った。
「何をするつもりか、俺は聞かないことにしておくぞ。だが、頼むから騒ぎを大きくするなよ?」
「もちろんであります!」
「俺たちは閣下と違って常識的だからな!」
一部の騎士たちがニヤッと笑って敬礼をする。
その顔ぶれを見て、ほぼ正確に計画を悟ったオルドスはまたため息をついて首を振る。でも今度は何も言わず、部下たちに合図を送って会議室を後にした。
その後、一部の騎士たちが「訓練」の名目でラグーレン領に押しかけた。
本当の目的は、元騎士であるラグーレン領主の勧誘。
元気な王家の双子たちにも面倒すぎる王弟にも有効な切り札として、自軍に引き入れたいと各軍の中枢部は長く切望してきた。
しかし双子たちが察知していたように、王弟妃となる領主の妹に配慮して暗黙の了解で自重してきた。
結婚式が終わって、遠慮する必要がなくなった途端、第一軍と第二軍はすぐに騎士たちを動かして盛大に張り合ったようだ。
たまたま休暇で居合わせた騎士たちによると、のどかな田舎が王国軍の訓練施設になったかのような暑苦しい光景になっていたらしい。
その話を聞いたオルドスは無言でため息をつき、双子たちは手を叩いて笑い転げていた。
(番外編 ある上官の結婚式直前の騎士たちの反応 終)
最後まで読んでいただきありがとうございました。
【書籍化情報】
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(1巻はweb連載版の本編相当・大幅に加筆修正済。2巻3巻は書き下ろし)
【コミカライズ情報】
ガンガンONLINEより全4巻発売中