ある父親の戸惑い(1)
過去の話です。
本編開始時より8年くらい前の、まだ父親が健在だった頃。ルシア10歳、アルベス17歳です。
一夜にして栄華を失ってから、十年が過ぎた。
今のラグーレンに昔の面影はない。
かつて豪華な馬車が連なっていた道は、ややもすれば草の中に埋もれそうになる。
ありがたいことに、領民たちが善意で手入れを続けてくれる。おかげで道は少し狭まりながらも保たれていて、収穫した作物を王都へ運ぶ時に役立っていた。
そういうささやかな田舎道を、しかし最近は若者たちが行き来する。
息子アルベスの同僚たちだ。
体が弱い私とは異なり、アルベスは頑丈な体を持つ。体格にも恵まれ、剣を取れば王国軍の騎士たちの中でも指折りなのだとか。
ラグーレン家の先祖は、華々しい戦功を挙げた騎士だったと言う。きっと息子は先祖の血が濃く出たのだろう。
誇らしいことだ。
いずれは子爵位を継いでくれるとは思うが、騎士としての出世の可能性もある。どこかの名門貴族から声がかかることもあるかもしれない。その時はルシアに婿をとって継がせても良い。
そんな未来も、つい思い描いてしまう。
親馬鹿だとは自覚している。だが、もしそうなってもいいように、ラグーレン領をしっかりと立て直しておかねばならない。
ささやかな夢を見ながら、地道な領地経営に打ち込んでいたある日。
アルベスから手紙が届いた。
王都とラグーレンは、馬車でも半日ほどで行き来ができる。だから、滅多なことで手紙は送ってこない。用事がある時は、アルベスが直接戻ってくるから。
手紙を送ることを贅沢だと考えている向きもある。
幼い頃はそれなりに贅沢な生活をしているはずなのに、息子はとても堅実な性格なのだ。
その息子が、わざわざ手紙を書いて送ってきた。
手紙に慣れていないルシアは、とてもはしゃいでいる。あまりにも期待に満ちた顔をするから、すぐに封を切って内容を確認する。そして……私は驚愕をなんとか呑み込んだ。
「ねえ、お父さま。お兄さまからのお手紙、どんなことを書いているの?」
「……明後日から休暇なのだそうだ。戻ってくるようだぞ」
「お兄さま、帰ってくるの?!」
「ああ、そうらしい。それで……もしかしたら、客を連れてくるかもしれないそうだ」
「お客さまが来るのね! でも明後日だなんてすぐだわ。大変! お客さま用の部屋のお掃除、すぐに始めなくちゃ!」
「うん、そうだな。ユラナに伝えてくれるか?」
「もちろんよ! 私もお手伝いするわね!」
目を輝かせたルシアは、興奮したように部屋を走り出ていった。台所のユラナに知らせにいったのだろう。
元気な子だ。
質素な生活しか知らないあの子は、客を迎えることを何よりも喜ぶ。従姉妹のイレーナの家のようだと言っていた。たとえそれが村人たちであろうと、ユラナと一緒にお茶の支度をして、菓子を出すのを楽しそうに手伝っている。
アルベスはルシアのことをよく理解している。だから、面倒臭そうな顔をするくせに、同僚が遊びに来るのを拒まないのだろう。
それに……最近また私が寝込んでしまったから、ルシアは今までよりもさらによく手伝おうとするようになってしまった。あの子も貴族の娘なのに。
ため息が漏れそうになる。しかしアルベスからの手紙が目に入ったから、すぐに我に返った。
アルベスからの手紙に書かれているのは、ルシアに教えてやった通りの内容だ。
特に伏せた内容はない。
だが、私は考え込んでしまった。
アルベスが同僚たちを連れて帰省するのは、今まで何度もあった。
同じ年頃の若者たちは皆体格が良くて、賑やかで、礼儀正しい。滞在中はよく食べるからユラナが悲鳴を上げるが、その分以上に農作業や掃除を手伝ってくれた。
だから、客を連れてくることはおかしいことではない。
問題はこの手紙だ。
無意識に倹約しようとする息子は、めったなことで手紙を送ってくることはない。休暇の予定を伝えるために手紙を寄越してきたことは一度もなかったし、来客の予告もまずしたことはない。五人が一気にやってきた時は、さすがに手紙で知らせてくれたが、それくらいだ。
だから、この「客」は特別なのだろう。これまでの若者たちのように、部屋の準備ができていないからと、毛布を配って雑魚寝をさせるような相手ではない。
必ず客室を用意して欲しい、という意味があるはず。
そこまで気を使うということは、よほど身分のある人物か、あるいは……雑魚寝などさせられない女性か、だ。
「……ふむ。もう、こういう日が来たのか」
アルベスはまだ若い。騎士になってまだ一年程度だ。
休暇で家に戻ってきた時は以前と変わらず畑仕事を手伝ってくれるし、同僚たちと楽しそうに騒いでいる姿は、形だけ大きくなった猟犬の仔犬たちが戯れ合っているような無邪気さがある。
だが、王国軍騎士としての息子は、どうやらそれだけでは終わらないようなのだ。
アルベス自身は全く匂わせないが、それとなく同僚の若者たちに聞いた感じでは、実は女性たちにはとても人気があるらしい。
そういう年頃の息子が女性を連れてくるのなら……それは未来の子爵夫人かもしれない。
「そう言えば、私も妻と出会ったのは十九歳だったな。アルベスも早すぎることはないか」
妻との出会いは、王宮での舞踏会だった。
アルベスはそういう華やかな場に出ることは滅多にない。だがアルベスは王国軍の騎士だ。制服を着て舞踏会の警備にあたることもあるだろう。女性たちに常に注目されているとしても、全く不思議ではない。
我が息子ながら、アルベスは整った顔立ちをしているし、立ち居振る舞いも粗野ではない。それに母親を早くに亡くしたせいか、女性たちに対して下心なしにとても親切だ。
そういう息子を見れば、女性たちは熱を上げるだろうし、数多の出会いの中から家族に会わせたいと思う女性ができてもおかしくはない。
「……明後日か。楽しみだな」
年甲斐もなく、私は浮かれてしまった。
◇
アルベスが帰省する日。
私は朝から何度も鏡の前で足を止めては覗き込んでいた。髪はきちんと整えたが、最近めっきり白髪が増えている。アルベスの父親にしては、年寄り臭く見えないだろうか。
せめて散髪を済ませておけば良かったかと後悔する。手紙を受け取った後に散髪をするのは流石に張り切りすぎかと、ためらってしまったのが敗因だった。
「……む、襟が歪んでいるな」
鏡の前で襟を直し、ついでに袖口も整える。
我ながら浮ついている。ルシアが私以上にはしゃいでいるから目立たずに済んでいるはずだが、背後を通り過ぎたメイドのユラナは呆れ顔をしていた気がする。
まさか、鏡の前でこっそり自己紹介の練習をしていたところを見られてしまったのだろうか。いや、それはない……と思いたい。
「お父さま! 羊飼いが合図をしているわよ!」
朝から何度も外に出ていたルシアが、息を弾ませて駆け込んできた。
はやる気持ちを押し隠し、娘にぐいぐいと手を引っ張られながら、私はできるだけゆっくりと玄関の前へと出た。
遠くの丘で、羊飼いの誰かが手を振っている。
私も手を挙げて合図を返し、王都と繋がる道に目を凝らした。
「見えたわ! 二人だから、お客さまは一人ね!」
ルシアが声を上げた。私にはまだ点にしか見えない。娘も目がいいようだ。
やがて、私にも点が人に見えるようになった。




