北部砦の日常(2)
「相変わらず、東部の人間は血の気が多いですね。それに呆れるほど酒を飲む方々だ」
東部貴族たちを見ていた男が、のんびりと笑った。
朝から軍務があるから、この男とその部下たちは水をすすっている。つまらなそうな表情の部下たちは、代わりに山盛りの料理を平らげていた。
フィルオード軍団長の近くには、常にこういう素面の騎士たちが控えている。フィルオード軍団長は、護衛がつくべき尊き生まれだから。
しかし護衛対象である王弟フィルオードは、切なげにため息をついた。
「僕だって、ラグーレンにいる時はあのくらい飲むんだけどね。ルシアちゃんに会いに行っていいなら、潰れるまで飲まされてもいいよ」
「……第一軍に睨まれるような事態は、もう勘弁してください」
素面の騎士は、心の底からうんざりした顔をした。
そこへ、空気を全く読む気のない男たちが乱入してきた。今度は絡みにきたわけではないようで、ナイフを何本も手に持っている。
「おい、閣下! 次はあんたの順番だぞ!」
どうやら、ナイフ投げゲームに誘っているようだ。
フィルは、呆れたようにため息をついた。
「君たち、僕をゲームに巻き込むなと、いつも言っているだろう?」
「それは無理ですよ。酔っても閣下が一番外さないですからね!」
「ご要望があれば、的に『ナントカ伯爵家』と書きますよ!」
「今は『アルベス』がいいんじゃないか? クズ王子殿下が、手を握るのがやっとらしいからな!」
「想い人の兄はまずいだろう。あの頭の硬い第一軍の隊長殿の方がいいんじゃないか?」
「いつも王都から見張りで付いてくる奴か? あいつこそ喧嘩を売りたくない腕利きじゃねぇか!」
何がそんなにおかしいのか、騎士たちがゲラゲラと笑っている。
もう一度ため息をついたフィルは、やや乱れた銀髪をかき上げた。
「言っておくが、僕は後ろ暗いことは何もしていないし、ルシアちゃんは世界で一番かわいいと思っている。異論があるやつは名乗り出ろ。いくらでも相手をしてやる」
「異論はないから、ナイフを真ん中に投げてくださいよ! それで俺たちは逆転だ!」
「おい、いつの間に閣下がそっちのチームになってるんだ!」
騎士たちが大きな声で騒いでいる。こんな男たちも、酒が抜けている間は精悍な騎士である。だから、砦の外に出れば女性たちにも人気があるのだ。
その中でも群を抜いた人気を誇る銀髪の軍団長は、ため息をついて差し出されたナイフを壁に投げる。無造作な投げ方だったが、ナイフは手書きの歪んだ的の最高得点部に刺さり、どよめくような歓声があがった。
北部砦の夜が更けていく。
物騒で、死と隣り合わせで、気候は厳しく、しかしここにいる人々は今の瞬間を楽しんでいる。
そんな男たちを、王弟フィルオードは少しぼんやりしながら見ていた。
ここの空気は嫌いではない。
血統と権力にすり寄るのではなく、腕っぷしを重んじる気風は心地よい。持っている能力を全て見せても、不快な追従はない。一人の武に優れた人間として見てもらえる。
そう言う意味では、自分を偽る必要がない。この地は思う存分に息が吸えるのだ。
だが……。
フィルオードは虚空に目をさまよわせ、深いため息をついた。
「ルシアちゃんに会いたいな。……ちょっと顔を見に行こうかな」
「そんな危険なことは口にしないでくださいよ! ルシア嬢に、閣下がいかに素晴らしい上官かを報告してあげますから!」
「妹ちゃんはあんたの格好いい姿は知らないんだろ? 俺たちが腕によりをかけて、最高の軍人であることを伝えてやるよ! きっと惚れ直すぞ!」
「……え、ちょっと待て。ルシア嬢が知っている閣下って、どんな姿なんだ?」
「それは……まあ、知らない方がいいぞ。精神の安定のためにもな」
周囲の騎士たちが、声をひそめてそんな話をしている。
だが、ほんのりと酒が回ってきているせいで、フィルはどうでもよくなっていた。いつもの警戒心は、すでにどこかへ飛んでいる。
「ルシアちゃんは、最高にかわいいんだ。でも気が強くて、働き者で、頑張りすぎるくらいに頑張り屋で、欠点はアルベスが兄と言うことだけなんだ。でも、アルベスの妹だったから出会えたから、やっぱりそれもいいところなのかな……」
ナイフが刺さった壁を眺めながら、ため息混じりにつぶやく。
周囲の騎士たちは、一瞬動きを止めて顔を見合わせた。
「……おい、閣下が何か語り始めたぞ?!」
「しっ! 邪魔すると会いに行くと言い始めるから、黙って聞いてやれ!」
「だが、これは聞いていいことなのか?」
「機密事項だな。第一級指定だ。そのつもりでいろよ」
「了解です。…………くそっ、勘弁してくれよ!」
びしりと敬礼をした騎士たちは、直後にうんざりした顔でため息をついていた。
そんな騎士たちの緊張感を無視し、フィルオード軍団長はくしゃりと前髪をかき上げて、手にしていた酒杯をぐいっと煽った。
「……ルシアちゃんに会いたいなぁ」
また、切なげなつぶやきが漏れる。
騎士たちは重いため息をついて、目を逸らしながら両手で耳をふさいだ。
◇◇◇
後日。
ラグーレンのルシアのもとに「フィルオード軍団長に関する報告書」と称したものが届いた。
発送元は北部砦。
ラグーレンに滞在したことのある騎士の名前も添えられていた。
列記されているのは、日付と、ある軍団長の行動。
何枚にも及ぶそれを見ながら、ルシアは困惑していた。
「……アルベス兄様。これ、私が見てもいいものなのかしら」
「あいつらが送ってきたんだから、いいに決まっている」
「でも、これ……報告書というか……」
「ただの観察日記だな」
ルシアより先に目を通したアルベスは、深いため息をつく。
一応、妹に見せてもいい内容かどうか、事前に吟味した。軍の常識は一般人の非常識。血生臭い話題なら見せるべきではないし、品位に関わる話題も削除しなければならない。
兄として、いろいろ気を遣ったのだ。
だが、それは無駄な配慮だった。
跳ね方に特徴のある友人の字で、言い訳のような補足が書かれていた最初の数枚は念入りに見ていた。
しかし補足が書き込まれていない後半部分に入った途端、アルベスの表情が渋いものに変わった。一応はざっと最後まで目を通したものの、投げやりにテーブルに置いてしまっている。
それを丁寧に読んでいたルシアは、兄の表情を気にしながら首を傾げた。
「アルベス兄様、この細かい書き込みはフィルさんの字よね?」
「そうだな」
「でも、途中からそれはなくなっているんだけど」
「フィルの検閲が入っていないんだろう。……あいつら、フィルに見つからないようにこれを送ってきたようだ」
「見つからないように……」
上官であるフィルに見つからないように、こそこそとこんなものを書いていたのだろうか。
……北部砦の騎士たちは、一体何をしているのだろう。
つい首を傾げてしまったが、ルシアは気を取り直して咳払いをした。
「つまり、フィルさんはとても元気、ということでいいのかしら?」
「馬鹿馬鹿しいほど元気なようだな。……毎日のように脱走したいと口にするなんて、指揮官としての自覚はあるのか?!」
「でも、きちんとお仕事はこなしている様子もあるし……」
「軍の運用については、あいつは極めて上手い。それに面倒な貴族相手でも、うまく接待をこなすだけの忍耐力もある。だが、それ以外がダメすぎる。それに……」
まだ、手元にあった報告書にちらっと目を向け、はぁっとため息をついた。
「……この、第一級機密事項というのは、たぶんお前のことだぞ」
「え? 私?」
「それ以外に、酔ってだらだらと口にしたことが機密指定にされるわけがない。あいつはそのあたりもしっかりして……いたんだがなぁ……」
アルベスの声も、力が抜けるようにだんだん消えていく。
そんな兄の手元の報告書を、ルシアはおそるおそる手に取った。
散々に酔った末に、第一級機密事項を口にしていた、という一文はある。でも、それが自分のこととは想像もしていなかった。
「……えっと、つまり?」
「つまり、あいつはのろけていたんだろう。第三軍はあいつに絶対の忠誠を誓っているらしいから、外部に漏れることはないはずだ。だが……気が緩みすぎているぞ!」
吐き捨てるようにそう言って、アルベスはとうとう頭を抱えてしまった。
ルシアはもう一度、その報告書に目を落とす。
そこだけ、妙に持って回った文面になっていたけれど、ルシアが知っている酔ったフィルの姿をあてはめてみると、確かにぴったりする気がする。
「そうか。そうよね。フィルさんは向こうでも酔っ払うわよね」
こっそり笑った時、自分の左手の指にはまっている金の指輪が目に入った。
ずしりと重い幅広の金の指輪には、王家を示す紋章と可憐な花の紋章がある。
これはフィルからの贈り物で、婚約の証だ。
兄アルベスの友人としてではなく、王弟フィルオードとしてこれを差し出してくれた。いつでも外していいとも言った。
指輪は重い。だが、今はその重さすら心地よい。
フィルとの婚約を示すものだから。
柔らかく微笑みかけて、ルシアは、はっとしたように真顔になった。
「……ちょっと待って。私のことって、フィルさんはどんなことを話しているの?」
アルベスは何も答えない。
妹に同情的な視線を向けたけれど、すぐにまた顔を背けた。
「えっ、お兄様、その反応は何なの?!」
「気にするな。あいつは酔っても最低限の常識は残るから」
「それ、どういうこと?!」
「つまり、品のないことは口にしないということだ。どうせ、お前がかわいいとか、手料理が美味いとか、時々台所でこっそり歌っているとか、その程度だろう」
「嘘っ! 歌っていたのをフィルさんに聞かれていたの!?」
「……いや、大丈夫だ。酔った俺が、あいつにそういう話をしてしまっただけだから。悪かったな」
アルベスはそう言ったけれど。
妹として生きてきたルシアは知っている。これは兄の優しさだ。
本当は、ルシアがこっそり歌っているのをフィルも聞いていたのだ。それをアルベスとの会話の中で話題にして、北部砦の騎士たちの前でも披露した可能性があるだけだ。
「…………!」
ルシアは真っ赤になった顔を、手で隠す。
そんな妹を見て、アルベスは「あいつ、絶対にしめてやる」と小さくつぶやいた。
◇ 番外編「北部砦の日常」終 ◇
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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