(終話)ラグーレンの夕べ
結局、五隊もの騎士隊に連行されてしまったフィルさんは、一週間後に、ようやくラグーレン家を訪れました。
さすがに今度はきちんとお仕事をこなした後のようで、フィルさんのきれいな顔には、疲れが色濃く現れています。
玄関まで迎えに出た私は、念のために王都方面の道を見てみました。
幸いなことに、見張りの騎士隊はついてきていませんでした。
「……今日は一人で来た、のよね?」
「うん。途中まで護衛がついていた気がするけど、いつも通りに振り切ってきた」
…………へぇ。フィルさんにも一応護衛は付いていたんですね。それはそうですよね。
そして、いつも通りに振り切った、と。
えっと。深く考えすぎるのは、たぶん健康に良くない気がします。
あまり気にしないようにしましょう。
私は気を取り直し、軽く咳払いをしました。
「お仕事、ご苦労様でした。いつ来るかわからなかったからシチューしかないけど、それでもいい?」
「十分だよ」
疲れ切っていたフィルさんの顔が、ふと和らぎました。
「ここで過ごせることも、今夜のシチューも嬉しい。でも……ルシアちゃんに会えることが一番嬉しいよ」
フィルさんはふわりと微笑み、私の手の甲に恭しく口付けをしました。
ごく自然で、完璧で、思わず見惚れるような美しい動作でした。
それからフィルさんは、笑みを消しました。廊下の奥に立っているアルベス兄様にちらりと目を向けます。
ポケットから何かを取り出す顔は、どこか硬く見えました。
「君に贈り物がある。……と言っても、兄上が用意した物だけどね。でも……受け取って欲しい」
そう告げたフィルさんは、おもむろに片膝を床に突きました。
驚く私を見上げ、手に握り込んでいたものを私の指に通します。体温で温まっていたそれは、私の指にぴったりとはまりました。
フィルさんの手はそのまま離れていきましたが、硬い指先は細かに震えていました。
指に、ずしりと重い金属が残っていました。
夕焼けの色に染まり始めた光の中、私は手を顔の高さに掲げてみました。
女性用の指輪にしてはやや幅広のそれは、細やかな模様で飾られていました。花のような模様は、フィルさんのイヤーカフの紋章と同じです。
ひときわ大きな模様は、王家を示す紋章でした。
……指輪とは、こんなに重いものだったのでしょうか。
信じられないほどの重さに身体が震え、見れば見るほど息が詰まりそうになりました。
「ルシアちゃん、重すぎると思うなら……外してもいいんだよ」
片膝を突いたままのフィルさんは、気弱そうにつぶやきました。
ゆっくりと深呼吸をした私は、無理矢理に指輪から目を逸らしました。
「……外さなかったらどうなるの?」
「その時は、一年と半年後に僕と結婚することになる。君にあげられる猶予はそれだけだ。その代わり、どんな手段を使っても君を守る」
傲慢なほどの権力者の顔で、きっぱりと言い切りました。
でも、すぐにまた気弱そうな顔になりました。
「……もし指輪を外す選択をしても、ルシアちゃんの誇りと名誉は必ず守る。この紋章の重さは知っているからね。……僕はルシアちゃんが好きだ。絶対に安全とは言えないし、兄上を優先することもある。でも、命をかけて君を守り抜く覚悟はある。だから、その指輪をはめ続けてほしい」
フィルさんの顔は、とても不安そうに見えました。まるですがるように私の手を……指輪をはめた手を握りしめていました。
私にとって、この指輪は重すぎました。
でもフィルさんを縛っているものは、もっと比較にならないほど重いはずです。
……もし、その重さを、少しでも引き受けることができるのなら。
フィルさんはもっと笑ってくれるでしょうか。我が家にいる時のような、優しくて穏やかな顔をたくさん見せてくれるでしょうか。
床に寝転がっていた姿や屈託のない笑顔を思い浮かべた私は……気が付くと指輪の重さは全く気にならなくなっていました。
自由な方の手で銀色の髪に触れ、深く青い目に笑いかけました。
「……私、それなりに図太くて丈夫なの。だからきっと、この重さにも慣れてしまう気がするわ」
だから、しっかり守ってね。
……そんな言葉を、冗談まじりに続けるつもりでした。
でも、弾けるように立ち上がったフィルさんに抱きしめられ、アルベス兄様に引き離してもらうまで身動きができなくなりました。
いつものように、質素なシチューでもてなした夜。
ずいぶん浮かれているな、とか、今日はお酒を飲むペースが早過ぎるな、とは思っていました。
でもフィルさんは……よりによってその勢いのままに、アルベス兄様が王国軍にまだ籍があることを、全部話してしまいました。
ナイフ投げや剣舞は、もう諦めました。
でも、私にアルベス兄様には秘密だよとか、切り札になるとか言っていたのは、たった一週間前のことです。
もう、本当に……何をやっているの?
「いいか、アルベス、君は今も僕の部下なのだから、絶対に逆らうなよ! さっさと現役復帰して、僕とルシアちゃんのために第一軍を掌握しておけっ!」
「はぁっ? そんなの知るかっ! おい、それよりお前、絶対にルシアに手を出すなよ! 体力が余っているなら外に出ろ! いくらでも剣の相手をしてやる!」
「よーし、俺たちが立ち会ってやろう! というか俺たちも混ぜろ! 木剣はいくらでもあるぞ!」
簡易の的にナイフを投げながらの言い合いは、なぜか滞在中の騎士たちを巻き込んだ剣の試合になってしまいました。
……みなさん、とても楽しそうです。
王国軍の最精鋭の騎士って、やっぱりこういう人たちばかりなんですね。
他の民家とは離れていますから、あえて止めませんけれど。
あれだけお酒を飲んでやることではないと思うし、もう夜で外は真っ暗なんだけどなぁ……。
そう呆れているはずなのに、私は窓から外を見ながらずっと笑っていました。
たぶん、自分で思っている以上に幸せなのでしょう。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
(この後に番外編が少しあります)
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