(42)僕は、動いていいの?
「フィルさん。顔を上げてください」
私の言葉に、のろのろと顔を上げました。
乱れた銀髪の隙間から、深い青色の目が見上げてきます。その青い目をぐっと睨みつけました。
「フィルさんは騎士でしょう? 騎士がみだりに死んでもいいなんて言ってはいけません。我がラグーレン家ではそう言われてきました」
「……まあ、そうだよね」
「小さな領主は、弱気になったらすぐに食い尽くされるんです。ついこの間も、オーフェルス伯爵に狙われていました」
「そうだったね」
フィルさんは頷きながら、睨みつけてくる私を不思議そうに見上げていました。
私はゆっくりと深呼吸をしました。
「フィルさんは私を誤解しています。確かに、もう会わないようにしようと思っていました。でも、黙って去るつもりはなかったわ。きちんと話をするつもりでした。……なのに、そんなに消極的になって。すぐに死んでもいいなんて言うくらいなら、死ぬ気で動きなさいよ!」
つい、声が大きくなってしまいました。
でも言いたいことは言いました。一人ですっきりして、にっこりと笑いました。
フィルさんは、戸惑っているように瞬きをしていました。
でもやがて迷いながら口を開きました。
「……僕は、動いていいの?」
「え?」
「僕は、君に……嫌われては……いない?」
「えっと、嫌っては、いない、かな」
「僕の全財産を君の前に積み上げて、そばにいてくれとお願いしてもいい?」
「そ、それは」
言葉につまり、私は目を逸らしました。
「……私は、あなたの奥様とうまくやっていけるほど器用ではないわ。だから……そういうのは無理よ」
「知っている。そんなことは求めないよ」
フィルさんは、そっと手を伸ばして私の手を握りました。
「僕と一緒にいてくれるだけでいいんだ」
「……私はわがままなの。日陰ものにはなりたくないのっ!」
「日陰になんておくものか。結婚して欲しい」
フィルさんの手に力がこもりました。
手を抜き取ろうとして、私は動きを止めてしまいました。
「……今、なんて言ったの?」
「愛している」
「そうではなくて」
「君としか結婚したくない。絶対に君を守る。敵対するものは全て殲滅する。だから結婚して欲しいんだ!」
「な、何を言っているの! そんなの無理に決まっているでしょう! あなたは王位継承順位が一位なんでしょう!」
「あと数年で本来の三位になる! 姉上にも子供が三人いるし、僕一人が抜けたって問題ないんだ! 僕は王位など絶対に欲しくない!」
「そういうわけにはいかないでしょう! 陛下も、あなたは家柄のいいご令嬢と結婚して欲しいと思っているはずよっ!」
「兄上なんて知るかっ! もし反対するなら死んでやる! 君が他の男のものになるのを見るくらいなら、死んだ方がましだっ!」
「もう、そんな簡単に死ぬなんて言わないでっ!」
私が叫び返した時。
戸口から重苦しいため息が聞こえました。
「……フィルオード。私はそのお嬢さんの言葉に、全面的に賛成だな」
「兄上」
フィルさんは慌てて顔を向けました。
開け放ったままだった戸口に、兄上様が……ロスフィール国王陛下がいました。
渋い顔で、額に手を当てています。
陛下の後ろに、顔を引き攣らせたアルベス兄様もいました。
私はそっとフィルさんから離れようとしました。でも、フィルさんは手を離してくれません。それどころか私の体に腕を回して、座ったままのフィルさんの顔の前へ引き寄せられてしまいました。
「フィ、フィルさん!」
「兄上。聞いていたのなら話が早い。僕はルシアちゃんと結婚する。許してくれなければ……軍を動かす」
「え? ちょっと! 何を言っているの?」
「第三軍は全て動かせる。第二軍も半分近くは動くだろう。第一軍は……現状では一割くらいかもしれないが、手始めにオーフェルス伯爵領を攻めるくらいは簡単だ。農地に被害が出ないように、最速で攻め落としてみせるっ!」
「だから、おかしな脅迫はダメよ!」
引き寄せられて動けない私は、目の前の銀色の頭をパチリと叩きました。
でも、フィルさんは少しも堪えた様子はありません。腹が立ったので、もう一回パチリと叩きました。
私の耳に、また重々しいため息が聞こえました。
「……フィル。お前の本気はわかった。国王としては、勝手に内乱を起こされたくはないのだよ」
ロスフィール陛下は、頭痛に耐えているかのようにこめかみを指で押していました。
「だが、お前自身も言ったように、あと何年か、少なくとも二年は無理だ。だから……そうだな、二年後までその本気が続いているなら、その時は好きにしていい」
「さすが、兄上だ! では二年の間に、国内外の憂いは全て取り除いておきましょう。このフィルオード、全身全霊を懸けて事に当たらせていただくっ!」
「…………うん、まあ、ほどほどにな?」
陛下は諦め切った顔をして、私に目を向けました。
困惑している私には優しい笑顔を向けて、しかしすぐに深いため息をついて背を向けました。
でもアルベス兄様の前を通り過ぎる時、ふと足を止めて言いました。
「昨夜は顔は殴るなと言ったが、撤回しよう。君も好きにしなさい」
「……ご配慮、感謝いたします」
アルベス兄様は恭しく礼をしました。
もう一度重苦しいため息をついたロスフィール陛下はそのまま歩き去り、開け放った扉の前にアルベス兄様、部屋の中に椅子に座ったフィルさん、それにフィルさんに抱き寄せられた私だけになりました。
「フィル。いつまでルシアに触れている。手を離して、ちょっと来い」
「あまり行きたくないな」
「いいから来い。一発殴るだけだ」
アルベス兄様は、地を這うような低い声で言いました。
しばらく考え込んだフィルさんは、私から手を離して立ち上がりました。何が起こるかを予測して顔を強張らせる私に笑いかけ、それからアルベス兄様と一緒に廊下へと出て行きました。
私がそっと戸口から廊下を見た時。
フィルさんが廊下の向こうへと殴り飛ばされていました。




