(4)兄の友人
「いつこちらに戻ってきたの?」
「王都に戻ったのは一昨日だよ。まあ、いろいろ片付けることがあって、やっと今日ここに来ることができた」
そう言って、一動作で立ち上がります。
軽く伸びをすると、腰に帯びた剣が硬い音を立てました。
でも途中で動きを止め、私を見ながら悲しげな顔をしました。
「……お帰り、とは言ってくれないの?」
「はいはい。今言いますよ」
私はため息をついて、カゴを地面に置きます。
それからアルベス兄様と同じくらい背の高いその人に、軽く膝を折る令嬢らしいお辞儀をして、にっこりと笑いました。
「お帰りなさい。フィルさん。お勤めご苦労様でした」
「いいね。帰って来たって感じがする。頑張ってよかった!」
いつものことながら、フィルさんは変なことに感動していました。
でも、呆れ顔になった私に気付くと、照れ臭そうに咳払いをして少しだけ姿勢を正しました。
「ただいま、ルシアちゃん。またしばらくお邪魔していいかな」
「もちろんよ。アルベス兄様が喜びます」
「君は喜んでくれないの?」
「別に。だって、フィルさんは畑仕事は下手でしょう?」
「……うっ。まあ、そうだけど。その分、狩りを頑張るよ!」
「期待していますね」
私はカゴをまた持ち上げて、畑へと入っていきます。
ちらりと振り返ると、フィルさんも上着を脱いで、腕まくりをしながら畑に入ってきていました。
私とアルベス兄様は、七歳ほど年が離れています。
お兄様は十代半ば……私がまだ幼い頃に王国軍に入って、騎士の制服を着るようになりました。
その頃から付き合いがあるのが、フィルさんです。
銀髪碧眼に端正な顔立ちをしていて、一見すると顔だけが取り柄の優男に見えます。でも、腰に帯びた剣は飾り物ではありません。かなり腕の立つ騎士なのだと聞いています。
アルベス兄様が王国軍に所属していた頃から、時々うちの領地に遊びに来ては、ダラダラと滞在していました。
その後、お兄様は王国軍を辞めてしまいましたが、フィルさんは変わらず遊びに来ています。
最近は忙しいようで、年に数度くらいですが。
「今回の休みは、どのくらいあるの?」
「そうだな……だいたい一ヶ月かな」
「じゃあ、その間はずっとうちにいるのよね?」
「うん、お願いします」
蕪を収穫しながら聞くと、フィルさんは私が持ってきたカゴを手に頷きました。
フィルさん専用の客間は時々掃除していたから、軽い掃除をしてシーツを出せば大丈夫。
とりあえず今夜は蕪のシチューを作って……あ、鶏を絞めた方がいいかな。卵は昨日市場に売りに行ったばかりでないのよね。残念。シチューは牛乳を入れて、チーズも少し足して……。
「わがままで悪いんだけど」
蕪をカゴで受け取りながら、フィルさんが言いました。
「もしシチューを作ってくれるなら、塩だけで味付けしたものにしてくれる?」
「塩だけ? それでいいの?」
「うん。実は最近、ずっと北部にいるんだけどね。乳製品の入った料理ばかりを食べているんだよ。腹持ちはわりといいし、寒い場所ではちょうどいいんだけど、僕は王都生まれの王都育ちだろう? 塩味だけのシチューが食べたいんだ」
確かに、王都近辺のシチューは塩味のものですね。
でも、最近はいろいろな調理法が広がっていて、裕福な庶民の間では牛乳入りのシチューを食べる人が増えたらしいですよ?
我が家は、主に経済的な理由で伝統的なシチューばかりですが。
「すぐにお腹が減るかもしれないわよ?」
「別に激しい訓練をするつもりはないし、十分だよ。ああ、卵もいらないよ。というか、豆が食べたい。豆のスープとか、豆入りのパンとか。でもやっぱり豆と芋の煮物が一番好きだな」
「フィルさん、そんなに豆が好きだった?」
何となくそう聞いたら、フィルさんの表情がスッと真面目になってしまいました。
「……王都近辺は王国建国時代から豆栽培をしているけど、北部は気候のせいもあって豆を栽培していない。だから豆料理の文化がないんだ。料理人は気を遣って豆を出してくれることもあるんだが、正直に言って微妙に不味い。豆を食べたいとうっかり言ったのは僕だから全部食べるけど、どうしても美味くないんだ!」
静かだったはずのフィルさんの言葉は、どんどん熱くなっていきます。
そんなに豆がいいんですか? 豆がいいみたいですね。とにかく豆料理が食べたいと。
私は助かりますが。
「では、明日は豆の料理も作るわね。今夜は蕪の塩味シチューで」
「ありがとう!」
フィルさんはとても嬉しそうです。
ずっしりと重いカゴを運んで、水路で嬉々として蕪を洗い始めました。
畑仕事は下手なままですが、野菜を洗う姿はすっかり板についています。腰に剣を帯びたままなので、なんだか不思議な光景でした。
……あ、そうだ。
あのことは、先に言っておく方がいいかもしれません。
「アルベス兄様から聞くと思うんだけど」
「ん?」
きれいに蕪を洗い終え、フィルさんは満足そうにまくっていた袖を戻しています。
念のため私は周囲を見ました。
領民たちの姿も、アルベス兄様の姿もありません。
だから、安心して、でも少しだけ声を潜めて言いました。
「実は、私の婚約がなくなりました」