(34)木の上に
「ルシアちゃん、そろそろ疲れた?」
少し考えすぎたようです。
フィルさんが心配そうに顔を寄せてささやいてきました。
まだ大して疲れていませんでしたが、私は小さく頷きました。
「そうね、少し喉が渇いたわ」
「では、この曲が終わったら休憩しよう」
フィルさんはくるりと私を回しながら、壁際へと目を向けていました。
どこで休むかを探してくれているようです。
そういえばお兄様を放置したままだったと思い出し、自分の薄情さを少し反省した時、曲がちょうど終わりました。
フィルさんは私の手を取って、すでに目星をつけていた場所へと案内してくれました。
中庭に面した窓辺で、開け放った窓から少し冷たい風が入ってきます。
窓の周りには椅子がいくつも置いてありましたが、じっと座っているには涼しすぎるのか、誰もいません。
「飲み物を持ってくるよ」
私を座らせると、フィルさんはまた足早に歩いていきました。
疲れの全く見えないその後ろ姿を見送り、私はふうと息を吐きました。
踊っている間は疲れを感じませんでしたが、座ると足が少しだるくなります。足に合わせた靴を履いていますが、普段の靴ではない分、足に負担がかかっているようです。
体力には自信があるつもりでしたが、明日は筋肉痛になるかもしれません。
そんなことを考え、私は窓の外を見ました。
明るい広間とは対照的に、外は暗く静かでした。
中庭の木々が風に揺れ、その葉擦れの音だけが聞こえます。
ここが王宮であることを忘れさせるような、私には馴染みのある静かな夜でした。
でも、中庭にある木は私が知っている木とは少し様子が違います。
暗くてよくわかりませんが、種類が違うのかもしれません。
あるいは、十分に人手をかけて定期的な剪定をしているから、枝の伸び方が違うのかもしれませんね。
枝を見つめていた私は……ふと気付いてしまいました。
「お待たせ。飲み物コーナーにはアルベスはいなかったから、本当に食事をしているかも……ルシアちゃん? どうかしたの?」
戻ってきたフィルさんは、手の銀杯を手渡しながら首を傾げました。
反射的に受け取りましたが、私は木から目を逸らすことができませんでした。
「あの、フィルさん」
落ち着くために、私はもらったばかりの飲み物を一口飲みました。
水と果汁で薄めた葡萄酒のようです。
喉を潤すと、少し落ち着きました。私は不審そうなフィルさんを見上げ、そっと中庭の木を指さしました。
「あの木の上に、子供がいるみたい」
「…………は?」
フィルさんは瞬きをしました。
それから、慌てて窓から身を乗り出すように外を見ます。
私が指さした木を探し、じっと目を凝らしました。
もう一口飲み物を飲んで、私もフィルさんの横で木を見ました。
闇の中、その木は静かに風に葉を揺らしていました。
その他には何もおかしな事はありません。
私が見たものは、もしかしたら幻だったのでしょうか。
そう不安になりますが、フィルさんは私に疑いの目を向けることもなく、ひたすら木を見ていました。
そして。
木の枝が、がさりと揺れました。
葉の間から小さな足がひょろりと見えました。
「あれは……子供、よね?」
「……子供だな」
「なぜ、こんな時間に、あんな木の上にいるのかしら」
「……舞踏会の様子を見たいんだろうな」
フィルさんは淡々と答えていました。
でも、顔から表情が抜けて強張っています。
それになんだか、あの子供に心当たりがあるような……。
「ごめん。ルシアちゃん。ちょっと行ってくる」
「フィルさん?」
「君はここにいて。そのうちアルベスが探しにくるはずだから!」
それだけ言うと、いきなり窓枠に足をかけました。
「え、ちょっと、フィルさん!」
「あいつらを捕まえてくる!」
「待って! 私も行くわ!」
なぜそう言ってしまったのか、わかりません。でも思わずそう言ってしまうくらいフィルさんの声は真剣でした。
フィルさんは一瞬だけ動きを止め、私を見ました。
でもにっこり笑うと、そのまま窓から降りてしまいました。
私は慌てて立ち上がりました。
どうやらこの辺りは二階ほどの高さだったようで、何事もなかったかのように走っていくフィルさんが見えました。
私は窓から離れて周りを見ました。
近くに、外へ出られる階段がありました。そこから外へ出て、窓から見た木を探します。
中からでは見えにくかったのですが、外に出ると木々の根元がよく見えました。
そこに、背の高い人がいて、木の上に向けて何か言っています。仮面は外したようですね。
私は早足でそちらへ向かいました。
「上にいるのはわかっているから、顔を見せなさい!」
「あれ? もしかして、フィル?」
「そうだよ。君はリダだな。とりあえず降りてきなさい。怪我をするぞ!」
「いや。もう少し見たい」
「来年から出ていいと言われていただろう!」
「今、見たいんだもん!」
どうやら、木の上にいるのはフィルさんの知り合いだったようです。
私が近くまで行くと、高いところにある枝に小さな子供が座っているのがわかりました。
その子供が、ふと私に目を向けました。
「フィル、その人は誰?」
「私はルシアよ。よろしくね」
木の上に向けて言うと、子供はじっと私を見ていましたが、やがてニヤッと笑いました。
「もしかして、フィルの彼女?」
「おい! いい加減にしろ! 兄上が駆けつける前に降りてくるんだ! アルもいるんだろう!」
「僕はここにいるよー」
別の枝から、子供の声が聞こえました。
どうやら木の上にいるのは二人のようですね。
私が見たのは最初に答えていた子だけですから、やはりフィルさんの知り合いだったようです。
なぜ、王宮で子供が木登りしているかは知りませんが、とりあえず何事もなく終わりそうでよかったです。
「でもね、あのね……降りれないんだ」
「は?」




