(29)当日の準備
女性として、美しく着飾るのは喜びです。
でも……やはり苦痛でもあるのは、私だけなのでしょうか。今、無性に草取りがしたいです。床掃除でもいい。とにかく体全体を使って働きたい。
人間は、なぜ絶対にやってはいけない時に逃避したくなるのでしょうね。
「いかがですか?」
ティアナさんは自信たっぷりに聞いてきますが、私は曖昧に微笑んだだけで鏡に目を戻しました。
鏡の中の私は、舞踏会のための美しいドレスを着ていました。
少し古いものだそうですが、仮面をつける人がいるような舞踏会なら、この古風なデザインはより馴染むと思います。
今日の私は、物語の中のお姫様のようです。
こういうドレスを着るときに、髪をこんなに高めに結い上げるのは初めてかもしれません。
小さな宝石と細い鎖だけのネックレスも、首を美しく見せている気がします。
日焼けした肌も、ティアナさんの超絶技巧によってごく自然な肌色になっていました。
さすがです。
鏡に映っている私は、まるで別人。でもしっかり私のままでした。
「……なんだか、不思議な感じがするわ。私なのに、私ではないみたい」
「いつものお姿も、こちらのお姿も、どちらもルシア様ですよ。私としてはいつもこのくらいに着飾って差し上げたいのですが、フィル様はそうでもないみたいですね」
「そうね、こんな格好ではお料理はできないものね」
「それは……まあそれでも良いのですが。でも、お嬢様。フィル様が仮面をつけて欲しいと言ってきても、絶対に了承してはいけませんよ? 私も断固阻止します。今日のお姿を仮面で隠すなんて、冒涜ですから!」
力強く語っていますが、私なんて仮面をつけようがつけまいが、たいして変わらないですよね?
首を傾げ、それから開け放ったままの扉を振り返りました。
「ところで、フィルさんは?」
「先程、こちらにお戻りになりました。今日はお支度に時間がかかるはずですから、少しお待ちください」
「……待っている間、何かつまんでもいいかしら」
「もちろんでございます。ご用意していますよ」
ティアナさんは、小さく切った軽い食事を運んできてくれました。
まるで赤ちゃんのようにしっかりとエプロンをつけて、汚さないように気をつけながらゆっくり食べます。
舞踏会用のドレス姿ですから、流石にお腹いっぱいにはできませんが、とりあえず空腹で倒れることはなくなりました。
これで思い切り踊れます!
そう満足していた時。
「やっと用意ができたよ。待たせてしまってごめんね」
「結局、髪は切らないのか?」
「僕は切ってもいいんだけどね。短いのは貧相に見えるとかなんとか、兄上がうるさいんだよ」
「……今のも聞いていないことにする」
廊下から騒がしい声が入ってきました。
アルベス兄様とフィルさんです。
振り返って声をかけようとして、私は一瞬怯んでしまいました。
ダークブロンドの長身の貴族。
こちらはアルベス兄様です。私と同じ目の色ですし、装いが貴族的なだけで、いつも通りです。
でも……もう一人は……。
栗色にしては明るすぎる髪の色は、お兄様のダークブロンドに近い色合いです。背も同じくらい高く、深緑色の少し昔風な貴族の衣装を着ていました。
私の視線に気付いたのでしょう。
その人はことさら髪を強調するようにかきあげて、にっこりと笑いました。
「どうかな。似合う?」
「……フィルさん、ですよね?」
声を聞くとフィルさんです。
表情もフィルさんです。
でも……髪の色が違うだけで、まるで別人のように見えました。
つい、いぶかしんでしまう視線に、フィルさんはショックを受けたような顔をしました。
「え? もしかして、僕とわからなかった?」
「……今は、フィルさんだなと思うんだけど。アルベス兄様と並んでいると、なんだか似ている気がして。私が知らない兄弟がいたのかと思ってしまったわ」
正直に思ったことを言うと、フィルさんは真剣に考え込みました。でもすぐにニヤリと唇の端を吊り上げて笑いました。
「そうか。兄弟っぽく見えるか。よし、今夜はアルベスの生き別れの兄弟という設定で行くのはどうだ? お兄さんと呼んでいいか?」
「……おい。なんで俺が兄になるんだ。縁起でもないからやめろ!」
なぜかアルベス兄様が怒っています。
実際にはフィルさんの方が年上らしいですから、原因はそれでしょうか。
私が首を傾げている間も、二人は何かコソコソと言い合っています。
それは、ティアナさんが馬車の用意ができたことを告げに来るまで続いていました。




