(17)準備完了
「大変に結構でございます。お髪だけ、ご自分で整えてくださいませ」
「うん」
「それから、例のものはご用意いただけましたでしょうか」
「もちろん」
両手でざっくりと髪をかきあげて整え、フィルさんは持ち込んでいた小さな箱から何かを取り出しました。
「どう思う?」
「はい、完璧でございます」
やや不安そうな問いかけに、ティアナさんはしっかりと太鼓判を押していました。
いったい何でしょうか。
私が不思議そうに見ていると、フィルさんはやや照れたように言いました。
「悪いんだけど、体を横に向けて、少し下を向いてくれる?」
「こうですか?」
言われた通りに、座り方を変えて、少し下を向きます。
すると、フィルさんが腰を浮かせて腕を伸ばしてきました。失礼、と低くつぶやいてから私の首に何かを巡らせました。
すぐ目の前にフィルさんの体があります。
今日のフィルさんは、土臭くも汗臭くも埃臭くもありません。狩りを終えてきた時の血の臭いもしません。
まるで豪華な花から風に乗って流れてくるような、柔らかくて甘い香りがしました。
なんとなく目を逸らした時、冷たい金属が肌に触れました。わずかに震えてしまった間に、フィルさんはカチリと留め具をはめました。
「どうだろう?」
「予想を遥かに上回る完璧ぶりでございます」
再び向かいの席に戻ったフィルさんとティアナさんが、満足そうに頷き合っています。
でも、私にはよく見えません。
そっと首に手をやると、硬い感触があります。ネックレスのようです。
じわりと肌の温度に馴染んだ金属は、ちらりと見えた範囲では金色です。後は何かの石。見えないのでよくわかりませんが、ずしりと重いので、かなり豪華な首飾りなのではないでしょうか。
「フィルさん、これは」
「ティアナから首回りが寂しいと言われてね。新しいものより、少し馴染んだものが良いだろうという話だったから、母上が若い頃に使っていたものを持ってきた。イヤリングもあるからつけてみてよ」
「でも、高価なのでは……」
「それは……うん、君はごまかせないから正直に言うけど、それなりに高価だと思う。でも、君にはよく似合っている。君はそのくらいの装飾品が似合う女性だと言うことを示して欲しいんだ。……クソ生意気な坊ちゃんに思い知らせてやるためにね」
そう言って、イヤリングも差し出してきます。
少し迷いましたが、これも戦いのために必要なのなら、気合を入れなければなりません。イヤリングをつけると、ティアナさんがすかさず手鏡を用意してくれました。
「……きれい」
ネックレスは、思っていたより豪華すぎることはありませんでした。
大きな真珠と青い石は、それぞれが大粒でしっかりと主張していますが、きらびやかな宝石をあまり使ったりしていないからか、意外にスッキリしてみえます。雫のようなイヤリングの真珠も、重苦しく見えがちな私の黒髪をより艶めいて見せてくれました。
デザインそのものは、私が自分の婚礼用に用意しようとしていたネックレスに似ているかもしれません。そう言うデザインが好きで、あまり高価になりすぎないものを選んだ結果です。
でもこのネックレスとイヤリングは、それぞれの石たちがとても上質なので、決して貧相には見えません。でも派手すぎもしません。
私が密かに思い描いていた理想の装飾品より、さらに美しいものでした。
「気に入ったのなら、あげるよ?」
フィルさんは、出来が良いリンゴをあげるよ、と言うくらいの気軽さで言いました。
もちろん、対象はリンゴではありません。ラグーレン領の収入のかなりの割合が吹き飛ぶような装飾品です。
私は慌てて首を振って、フィルさんを睨みました。
「こんな高価そうなものは貰えないわよ!」
「でも……まあいいか。今日はただの貸し出しだ。それでいいよ。僕の選んだもので君を飾れる喜びに浸るだけにしておく」
フィルさんは、ニヤニヤ笑いながら引き下がってくれました。
そんな姿を、ティアナさんは呆れ顔で見ていました。
しばらくして、アルベス兄様が動いている馬車の窓から覗き込んできました。
ネックレスとイヤリングをつけた私の姿に目を見開きましたが、フィルさんを睨みつけるだけで何も言わず、軽く手で挨拶をして離れていきました。
空馬を引いた若い騎士も、その後を追っていきます。
これから役所に向かうのでしょう。
アルベス兄様、頑張って。
私も、一世一代の大勝負をしてきます!




