(16)移動中の馬車の中
また何気なく外に目を向けると、馬車のすぐ横で馬を歩かせているアルベス兄様が見えました。
馬上で手綱を持っているお兄様は……多分、あれは寝ていますね。
ちょうど前髪が目元に落ちていて見えませんが、絶対に目を閉じているはずです。
馬を歩かせながらうたた寝するのは、熟練騎士の特技の一つだそうです。今日のお兄様も見事に揺れません。
馬車に乗ってもらった方がゆっくり眠れそうなものですが、アルベス兄様は馬の上の方がよく眠れると言い張っています。
同行者がいるとき限定の休息方法だそうですが、私にはあまり理解できません。
あのような姿を見るたびに、王都で宿に泊まればお兄様も少し楽になるだろうなと思います。日帰りで戻ってくる必要がなくなりますからね。
貴族が泊まる格の宿は高いから、よほどのことがない限りお兄様は家に帰ってきます。
お金に余裕があれば、そのくらいしてあげたいのに。
……使う宛のなくなった私の持参金で、期間限定で家を契約したらダメでしょうか。
それに、お兄様もそろそろ新しい服を作るべきだと思うんです。
今着ている外出用の服は、子爵位を継いだ頃に作ったものです。手入れをしているので古びて見えませんが、アルベス兄様のダークブロンドには、流行りの薄い紫色もよく似合うはずです。
少し日焼けしていますが、お兄様はとても背が高くて、肩幅が広くて引き締まった体型で、顔立ちだって整っています。
働き者だし、剣を持てば盗賊たちが逃げていく強さだし、情が深いし、財産が乏しいことを差し引いても、十分に注目株だと思います。
恋人すらいないのは領地にこもって農作業や経営ばかりをしているからで、人目につく機会が増えれば、縁談もいろいろと来るはずで……。
「ルシア様。あちらに、フィル様が」
また考えに耽っていたら、ティアナさんがそっと声をかけてくれました。
すでにラグーレン子爵領を出て、王都に近いところまで来ていました。その道の少し先の方に、馬を降りて手を振っている人がいました。
もう一人、騎士の制服を着た人がいますが、そちらは緊張したように直立していました。
馬車が速度を緩め、止まります。
そのまま馬を歩かせていたお兄様は、やっと目が覚めたのか、道を戻って来ています。その間に馬車の扉が開いて、フィルさんが乗り込んできました。
「おおっ、ルシアちゃんはきれいになっているね!」
軽い挨拶の後に私の向かいに座ったフィルさんは、じっくりと私を見て満足そうに笑いました。
「ぎりぎりまで仕事を頑張った甲斐があった。盗賊どもを追い詰める時より気合が入ってきたよ。……おい、アルベス、君は死にそうな顔をしているぞ?」
「このくらいで死ぬか。少し寝たから元気になったくらいだ」
馬車の扉から覗き込んでいるお兄様は、大きなあくびをしています。
事情を察しているのか、フィル様は苦笑を浮かべました。
「まあ、後のことは任せてくれ。それより、これから財務の連中とやりあうのだろう? あの若いのを連れて行け。剣の腕は頼りないが、バロイス伯爵の息子だから顔を見せるだけで効果がある」
「……馬の回収係かと思ったら、そういうことだったのか」
「今回は全く手伝えなかったからな。このくらいはさせてくれ」
フィルさんはそう言って、馬車の扉を閉めました。
馬車が再び動き始め、お兄様も馬を歩かせます。その後ろは、空の馬の手綱を引く若い騎士。心なし、しょんぼりとしていました。
……もしかして。
フィルさんは、仕事を途中で放り出してしまったのでは……。
つい、いぶかしむ目を向けてしまうと、フィルさんは慌てたように言い訳を始めました。
「僕の仕事はしっかり終わらせてきたよ。部下には泣きつかれたが、それは僕の仕事ではない。使えない同僚がぐちぐち言っていたが、それは無視していいし、追手はまいてきた!」
「……それ、本当に仕事の放置はしていないんですよね?」
「本当だよ! 元々、王都の仕事は僕の範囲ではないからね! 格式とか何とか言って、僕に任せようとしていることがおかしいんだ! 本来の適任者は有能なんだから、生まれが低すぎるとか、そんなつまらないことでこっちに仕事を回そうとしてくる方が間違っているんだっ!」
大変な熱弁です。
でも、えっと、それは……頼られているということとは違うんでしょうか。それとも……ただの押し付け合いなのかな?
相変わらず、フィルさんの家の話が関係してくると、よくわからなくなります。
微妙に伏せているというか、アルベス兄様の反応から考えて、私も知らない方がいいのかなと遠慮してしまうというか。
それにしても。
フィルさんが今身につけているマントは鮮やかな黄色ですが、王国軍の騎士のものですよね。
黄色というと……第三軍でしょうか。
そう言えば、最近は北部が勤務地だと言っていました。
「フィル様。そのマントは外してくださいませ」
「ああ、そうだった。うるさい連中の目をごまかすために着ていたんだった」
ティアナさんの静かな指摘に、フィルさんは狭くて揺れる馬車の中で器用にマントを脱ぎました。
下から現れたのは、私のドレスとよく似た青色の服でした。
その服の色を私のドレスの色とじっくりと比較し、それから銀糸の縁取りや控えめな小さな襟飾をじろりとチェックしたティアナさんは、満足そうにゆっくりと頷きました。




