(1)婚約破棄
※この話は「ざまぁ」を主体とした話ではありません。
「こんな婚約は無効だ。オーフェルス伯爵の子ゴルマンは、ルシア・ラグーレンとの婚約を破棄する!」
ゴルマン様の高らかな宣告は、私の思考を止めてしまいました。
ラグーレン子爵家の領地は、王都から半日の距離にあります。
遠くではありませんが、何の用もなくふらりと来るような距離でもありません。でも領民の羊飼いは、ゴルマン様の馬車が近付いていることを知らせてくれました。
前触れもない突然の訪問なんて初めてで、何か大切な話かもしれないと緊張しながらお迎えしました。
それなのに……なぜこんなことになったのでしょう。
あまりにも急すぎます。
一緒にお迎えしたアルベス兄様も、予想外な展開に唖然としていました。
でもすぐに落ち着いたようで、ゆっくりと口を開きました。
「……なぜそんな話になったのか、聞かせていただきたい」
「ラグーレン子爵、胸に手を当てて考えたまえ。君は最近、我がオーフェルス家にとんでもない要求をしてきただろう?」
「それは」
アルベス兄様は何か言い返そうとしました。
でも青ざめて口を閉じてしまいました。
ゴルマン様は、神経質そうな、でもとても整った顔に高圧的な表情を浮かべました。
「我が父は今まで君たちに目をかけてきたし、ラグーレン子爵家とはこれまで長く交流してきた。だから温情をかけてやる。我がオーフェルス家は、君たちに何の賠償も求めない」
ゴルマン様の口調は穏やかでした。声も甘く響きます。
でもその眼差しは冷ややかです。
私はそっとアルベス兄様を見ました。
目を伏せ、手を握りしめ、でもなぜかゴルマン様の一方的な言葉に全く反論しません。
こんなお兄様は初めてです。
戸惑う私の表情に気づいたのか、ゴルマン様は眉を動かして優しそうな顔をしました。
「おや? ルシア嬢、君は何も知らないのか? そうだったら気の毒だな。……だがそうではないだろう? 君たちは結託してオーフェルス家に不利益を働こうとしたのだ。そうに決まっている!」
優しげな顔は、でも、すぐに醜悪に歪みました。
吐き捨てるように言い放ち、私を見る目には嫌悪が満ちています。
婚約して初めて舞踏会に一緒に行った時は、田舎育ちで何も知らない私に、傲慢に、でも優しくステップを教えてくれたのに。
何となく気付いていましたが。……私、嫌われていたんですね。
「……お待ちください。妹は、ルシアは何も知りません」
「それはどうかな。では、言ってやろう。ルシア嬢。君は自分の持参金がどれほどのものか知っているか?」
「もちろんです」
私は動揺を隠し、できるだけ平坦に聞こえるように努力しながら頷きました。
ゴルマン様が私を嫌っているのはどうしようもありません。
でも、不当な侮辱に耐え続けるほど私は気が弱くもありません。
私にだって子爵家の娘としての誇りがあります。
ゴルマン様には、私の態度は不快だったようです。
端正な眉をひそめ、細すぎる顎を反らしながら私を睨みつけました。
「偉そうにしているが、君の持参金は馬鹿馬鹿しいほど少ないのだぞ。伯爵家と結婚するのにあの金額! それでもこれまでの交流を考えて大目に見ていたのに、そこの男はさらに減額を求めてきたのだ!」
それを聞いて、私はハッとしてお兄様を見ました。
アルベス兄様はぐっと歯を食いしばり、一度呼吸をしてから口を開きました。
「ゴルマン卿。減額とは言っていません。私が相談したのは……持参金の分割か婚礼の延期です」
「はっ! 聞いたかい? 分割っ! ささやかすぎる持参金を、さらに分割だと? 君は伯爵家をなんだと思っている! 婚礼の延期などもっとありえない! こんな屈辱を受けて、まだオーフェルス家が婚姻を進めるとでも思っていたのか!」
ゴルマン様はお兄様を睨み、それから青ざめた私へとぐいと顔を寄せてきました。
「これでわかったか? お前とは婚約破棄だ!」
嘲笑を浮かべながら目の前に指を突きつけ、私の表情が変わるのを待っているようでした。
きっと泣き崩れることを期待しているのでしょう。
でも、私は泣いたりしません。
ぐっとお腹に力を入れて、ほとんど目線の変わらないゴルマン様を真っ直ぐに見返します。
ゴルマン様の顔が、怒りで歪みました。
「……おい、何か言ってみろっ!」
「とても残念です」
声が震えないように、ゆっくりそう言うと、ゴルマン様はカッとしたのか、拳を握って振り上げました。
殴られる。
一瞬、反射的に回避へと動きかけました。でも家格の差を思い出し、私は目を閉じてその場に留まる道を選びました。