食べ物の恨みはこわい
天井出ユースィー町に、警報が鳴り響いた。
テレビも、ネットも、電話回線も一斉受信、一斉放送。
差異はと言えば、どこの電波がいち早く辿り着いたかくらいの大警報。
天井出ユースィーから電車で4時間の、隣の隣町。
そこの自然公園と合併した魔物の住処、地底湖山自然公園城から、遥かかなたの首都ティアルモ東京へ向けて魔物の飛行部隊が発ったという。
残念ながら、天井出ユースィーはその経路に重なる。
特別魔物警報により、町は外出自粛。保存食を備蓄しての巣篭りを余儀なくされた。
「魔物の集団だなんて、怖いねえ」
テレビを見ながら、飯堂家の家族もその知らせを固唾を飲んで見守っている。
父だけが必死にパソコンに向かって仕入れの調整をテレワークしている他は、普段から肉体労働が全てであるりんの祖父母、母、兄夫婦なんかは他にすることもないのだ。
「ほら、経路を逸れて襲われたって前例もあったでしょう?台風の日に外に出るようなものよね。警報中は大人しくしていないと」
兄嫁は真剣な表情で祖母に語る。祖母も渋い顔で頷く。
警報中は警戒態勢が取られていて、普段より町の防衛もかなり厚い。それでも、魔物なんて存在と関わりあいなく生きてきた地球人の大半が、大きく不安を抱えていた。
辛気臭く語り合う家族を横目に、りんはこじんまりした家の台所に立つ。
迎撃予定地はこの町よりもずっと向こうで、今回の襲撃ではこの町は安全と言われているものの、やはり不安でしかない。
予想警戒期間なんてものが出されていても、出来るだけ備えは十分にしておきたいのが堅実な人のサガであるだろう。
普段、飯堂家の面々の食事は、三食全てが天井出食堂のまかないだ。まかないと言いながらも、多種多様なメニューと副菜が常に用意されている中から、客と同じに近いほど好きなものを選んで食べられる。
アルバイトの学生にも大好評のこのまかないだったが、それは、食堂ありき。
営業自粛で年中無休の食堂が臨時休業になってしまったからには、今日は家族の食事なんてものを作らなければならない。
「ねー、りんちゃん何作るの」
目をキラキラさせてりんに纏わりつく駄犬を肘鉄で制す。
「大したものじゃないわよ、今日はお店もお休みだから。内輪で贅沢する必要なんてないでしょ」
りんは、後姿でメサイアに語りかけながら慎ましやかな食事を調理しはじめる。
「僕、今日はハンバーグが食べたかったのに」
「身内だけなんだから、贅沢言わないで食材整理!」
りんの背後で駄犬はしゅんと丸まって、台所の片隅からりんの後姿をじっと見つめている。まるでいじけた犬そのものだった。
仕入れの中で、早めに使ってしまいたかった葉野菜を味噌汁にして。
鮮度が落ちる前に使ってしまいたかった鮮魚を、もう面倒だから塩焼きで。
在庫オーバーになるだろう卵で卵焼きを添えて。
家族の食卓なんて、これだけあれば立派なものじゃないだろうか。
不良在庫をなるべく出さないようにと調整はできていたから、ロスになりそうなものを小出しに使う。
大根おろしにしらす。これさえあれば祖父母は文句は言わない。
出来上がったのは彩も普段より地味な、和食である。
りんの確かな腕に掛かれば、最低限の和定食としても成り立つかもしれない。
普段の選び放題の一汁三菜よりはずっと質素ではあったけれど。
決して粗食という訳ではなかった。
「………おいしいけど」
それなのに、メサイアはすっかりとご機嫌斜めだ。
「僕が今日食べたかったのはコレじゃない……」
りんは我儘を言う駄犬を、だったら食うなとばかりに睨みつけた。
メサイアは、泣いていた。最弱の駄犬である。
「お店が開くまでは普段のメニューはお預け。それじゃなくても、臨時休業で多少の食品ロスは出てるんだからね」
りんはイライラと言い放つ。
自分の食事に文句をつけられる。これはりんにとっての地雷だ。
メサイアは更に縮こまった。俯いてプルプルしている姿は、もはやチワワだ。
そして、チワワは全ての食事を綺麗に平らげてから、吠えた。
「僕、ちょっと行ってくる!!」
闘志に燃えて宣言するなり、その姿は跡形もなく消え去る。
カラン、と最後まで握っていたらしい箸が転がった。
飯堂一家はその姿に目を瞠って絶句した。
が、この世界に不思議な魔法があるのは今に始まった事ではない。すぐにテレビへと向き直った。
「もう、箸を転がして行儀が悪い!食べた皿くらい下げろっていつも言ってるのに!」
ふくれっ面のりんは、甲斐甲斐しくその後片付けをしながら、消え去ったメサイアへと文句を言い続けた。
2時間後、特別魔物警報は解除された。
詳細はまだ知らされていない。
町人達は何が起きたかわからずに半信半疑ながら、解放感に安堵していた。
3時間後、メサイアは出かけた時と同じように、急にりんの目の前に現れた。
無事なのはわかっていたのに確認せずにはいられず、りんは天井出食堂の内部の点検をして、ついでに掃除をしていた。その前に、何の前触れもなくひょっこりと人が姿を現したものだから、りんは驚いて危うく手にしていた陶器の灰皿を取り落とすところだった。
「ただいま」
悪気なく笑うメサイアに腹が立つ。この警報の中、何も言わずに出かけていったことが心配でない訳ではなかった。
「ちょっと!出かけるときはきちんと事前に言う!帰ってくる時間も連絡する!きちんと報・連・相できないのはうちの子じゃありませんからね!!」
メサイアは切なそうなチワワの瞳でりんを見つめて、しゅんと落ち込んだ様子でおずおずと手にしていた紙袋を差し出した。
その紙袋は、一目でわかる全国的に有名な柄で。ティアルモ東京の銘菓がどっしりと詰まっていた。
「ごめんなさい。魔物、討伐してきた。これ、お土産」
少し離れた場所に同時に出現していた数人の黒服が、唖然とした顔でこちらを見つめていたのに気付いたのは、銘菓の内容を吟味し終わった後だった。