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濁った血  作者: 紫 李鳥
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前編

 


 その事実は、父が交通事故に遭ったことで発覚した。警察の電話で病院に駆けつけると、手術の真っ最中だった。廊下の長椅子に腰かけ、携帯電話に登録しているアドレス帳を何度も見ていた。携帯が使えない海外に旅行中の母と連絡が取れないのは分かっていても、ヒント探しのように、携帯を持った親指を動かしていた。


 丸めた背中にどっしりと覆い被さった不安という重みを感じながら、ふと、〈手術中〉の照明に目をやった。途端、その下のドアからマスクをしたナースが慌てて出てきた。


「輸血が必要です」


「私の血を」


「何型ですか」


「A型です」


「A型じゃ駄目です。O型じゃないと」


「!――O型?」


 その瞬間、頭の天辺(てっぺん)に鉄の(かたまり)を落とされたような衝撃を覚えた。



 ――手術の甲斐(かい)もなく父は逝ってしまった。出血多量で……。



 母が帰宅したのは、翌日の夜遅くだった。浮かれ気分でスーツケースからみやげを出した母に、


「……お父さんが死んだわ。交通事故に遭って」


 と、抑揚のない言葉を吐いた。途端、母は、えっ?と小さく声を出すと目を丸くして、握力をなくした指先からルイヴィトンの財布を落とした。


「O型同士から、どうしてA型が生まれるのよっ!」


「……」


「私は誰の子なの?」


「……」


「お母さんっ!」


 母の肩を激しく揺すった。


「……レイプ……されて」


 思いもしなかった言葉が母の口から発せられた。


「……レイプ?」


 私は愕然(がくぜん)とすると、衝撃のあまり砕けるように座り込んだ。


「……高校二年の時に」


 母はその重い口を開いた。


「――あれは、夏休みだった。お昼を食べた私は、近くの川に遊びに行った。農道から下りる、その樹木に囲まれた浅い川が私はお気に入りだった。


 いつものように、スカートの裾を太股(ふともも)のパンツのゴムに挟むと、川の中を(のぞ)いていた。揺れる水草のそばを小さな魚が泳いでいて、まるで水槽のようだった。


 せせらぎを聴きながら夢中になって覗き込んでいる時だった。その黒い影は、私の背後から不意に現れた。気づいた時は遅かった。口を押さえられ、片方の腕で体を持ち上げられた。足をバタバタさせてもがいたけど、無駄だった。


 草木に覆われた茂みに置かれると、重なってきた。目深に被った帽子の(つば)から覗く目が、刃物のように光った。……怖くて声も出せなかった。――」


「どうして、そんな男の子供を産んだのよっ!」


 私は激しい怒りで震えていた。


「……お祖母(ばあ)ちゃんが、私が育ててあげるから産みなさいって」


「……」


「授かった子に罪はないって……」


「……」


「高校を中退した私は、あなたを産んだのちに上京して働いた。その会社で知り合ったお父さんと結婚したの」


「お父さんなんかじゃないわっ!」


「……血は繋がってないけど、いい父さんだったでしょ?」


「ええ、いい人だったわ。父さんじゃないけど」


「……私、子供が居るの、実家に。そう言ったら、じゃ、一緒に暮らそうって言ってくれて。一歳の誕生日を迎えたお前を東京に連れてきたの」


「……」


「……未来(みらい)。母さんを許してね」


「イヤよ。許せるわけないじゃない、どこの誰だか分からない男の子供を産んどいて――」


「分かってたわ」


「何が?」


「……相手が誰なのか」


「えー?……誰よっ!」




 ――あれから四年が経つ。母と同じように二年で高校を中退した私は働きもせず、母に反抗するかのように不良グループと遊び呆けていた。


 立ち直ったのは十九の時だった。だが、時すでに遅く、母が過労で逝った後だった。父を亡くしてから、母は昼も夜も働いていたのだ。


 私が死なせたも同然だ。そんな母への懺悔(ざんげ)の気持ちと並行して、血縁上での父親への復讐が芽生えた。


 なぜ、母を暴行した?なぜ、逃げた?なぜ、謝罪しない?なぜ、なぜ、なぜ?心の奥底にあった憎しみが形を成していた。


 母がなぜ、私を連れて一度も帰省しなかったのか、その理由が分かった。強姦(ごうかん)というまわしい出来事があった地に、私を連れて行こうと思うはずがない。このまま野放しにはしない。お前の幸せを壊してやる!



 ――駅前のビジネスホテルにボストンバッグを置くと、電車とバスを使って、生前に母から聞いた母の実家に行った。


 すでに他界している祖父母の残した家は、壁に(つた)が生え、周りにはペンペン草が生い茂っていた。その光景は、物悲しさを如実(にょじつ)にしていた。


 すべてが、二十年にこの村で起きた。一人の男の、悪意に満ちた行為が、私という不義の子を母に宿させた。


 母から聞かされた名前は、【鴻上温彦(こうがみはるひこ)】。


 近所で訊いた鴻上の家は、実家からさほど離れていなかった。広い庭には農機具等をしまう納屋があり、軒先には柿を吊るしていた。


 鴻上が今も実家に住んでいるとは限らない。長男でなければ、農家を継いでいる可能性は低い。しかし、母の実家を見たかったのも帰省した理由の一つだから、もし鴻上がこの地に居なくても、決して無駄足と言うわけではなかった。


 ホテルに戻ると、電話帳で鴻上の電話番号を調べ、話す内容をメモった。――電話に出たのは、母親と思われる年老いた女の声だった。


「――わたくし、近所に住んでいました土田奈央子(つちだなおこ)の娘で、未来と申します。突然に申し訳ありません。……実は、母が病気で亡くなりまして。母から温彦さん宛の手紙を預かっているのですが、直接渡すように頼まれまして。温彦さんはいらっしゃいますか?――そうですか。現在、どちらに?」



 鴻上の住所と電話番号を入手した私は、翌日、東京に戻った。

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