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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第五章 南国 エメラルド
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第九十九話 ホルガーの居場所


「ダンラス王!? 何故ここに!?」


 ルイさまとオルトさまが叫ばれると、その方は、「説明している暇はない! 早く奴を助けに行かねば!」と返されました。

 ハントさまが呑気に腕を組まれます。


「どうする? ルコットちゃん」

「早く拾って差し上げてください! あの方の足元も崩れかかっています!」


 ハントさまは「本当にお人好しだなぁ」などと呟かれながら、銀竜の耳に何かを囁かれました。

 銀色の竜は小さく鳴くと、地面すれすれまで舞い降りて行きました。



* * *



「狼煙の灯を見、ここへ向かう途中、我らは一人の女に出会ったのだ」


 その女は行く手を遮るように、道の真ん中に立っていた。

 金色の髪に赤い瞳を持つ、一目で人ならざるモノだとわかる女だった。

 しかしホルガーは彼女を恐れる様子を見せなかった。


「戦いに行くのか?」

「いや、違う。戦いを止めに行くのだ」


 常と変わらない調子で平然と答える。

 女は眉を寄せ、しばし沈黙した後「どうやって?」と問うた。

 ホルガーは女をまっすぐに見返し、答える。


「わからない。だが、話せばきっとわかるはずだ」


 その瞬間、女の目が怒りに燃えた。


「そんなことで人間の争いが止むものか!」


 ごうっと突風が吹きすさび、女の長い髪が顔にかかる。

 美しい顔が歪められ、唇から新たな言葉が出んとしたそのとき、国境沿いから乾いた銃声が聞こえてきた。


「とうとう銃を放ったか……! もはや我慢ならぬ!」


 女が両手を広げると、周囲の砂が盛り上がり、たちまち人型のゴーレムとなった。


「今一度世をやり直すべし。万年前の平らな世界を取り戻す」

「万年……?」


 呆然としているダンラス王に、ホルガーが耳打ちした。


「ダンラス王、ここは俺が引き受けます。国境へ赴き、俺の部下たちを連れてきてください」


 驚きに目を見開く王に、ホルガーは頷く。


「……この魔物たちの相手をそなた一人で致すと言うか」

「ご安心を。しばらくはもちます」


 ダンラス王は、腰の剣へ手を伸ばしかけたが、結局その柄を握ることはなかった。


「……わかった。すぐに連れてくる。待っていろ」


 仮にここに残ったとして、自分では冥府の悪魔の足手まといにはなれ、助けにはなれない。

 プライドの高い王が受け入れるにはあまりに酷な事実だったが、賢王は判断を誤らなかった。

 再び馬に跨り、ゴーレムの集団を迂回して、国境沿いへと向かう。

 女は、追ってはこなかった。



* * *



「……とても、ホルガーさまらしいですわ」


 ルコットが両手を握りしめ呟く。

 その声はしっかりとしていて、瞳の中に動揺は見られなかった。


「……ルコットちゃん」


 ロゼ夫人が青ざめた顔で問いかける。

 心配では、不安では、ないのかと。

 ルコットは首を振った。


「ホルガーさまが『しばらくもつ』と仰ったなら、大丈夫ですわ」


 ハントがうっすらと微笑を浮かべ、問いかけた。


「さて、ルコットちゃん、どうする?」


 ルコットは、紺碧のスカートを翻し、微笑み返した。


「もちろん、ホルガーさまを助けに行きますわ」


 竜の背に乗る人々が一斉に歓声を上げる。


「よっしゃ! 待ってろ大将!」

「すぐに助太刀しますからね!」


 銀色の竜も心なしか晴れ晴れとした表情をしていた。



* * *



 そこは、一面砂色の世界だった。

 豊かな緑も、水路の中も、辺り一帯ゴーレムの集団に埋め尽くされている。


「……増えている」


 王が硬い表情で歯噛みする。自国の変わり果てた姿は、堪えるものがあった。


 ルコットは、微動だにしなかった。

 じっと両目を見開き、砂粒一つ見落とさないような緻密さで、地上を見下ろす。

 そのアーモンドブラウンの瞳は、無意識のうちに魔力をまとい、金色に光っていたが、誰も言葉を発することなどできなかった。


「……いましたわ!」


 とうとう、彼女がそう声を上げる。

 すでに魔力の光は消えていたが、暗黒の世界の中でその瞳はきらきらと輝いて見えた。


「あちらで戦われています!」


 その指の向こう、小さな村近くで、ホルガーは単身剣を振るっていた。

 背に庇う村の人々は避難を始めているが、まだ多くの人が取り残されている。


「焦らないで! 落ち着いて避難してください!」


 襲い来るゴーレムの拳を叩き落とし、安全な方向へと誘導する。

 走り去っていく人並みの中で、一人の子どもがつまずき、転んだ。

 そこへ容赦なく向けられた攻撃は、しかし咄嗟に回避された。


 片腕で子どもをひょいと持ち上げると、抱きかかえ、くるりと受け身をとり、そのまま返す刀で一撃を与える。

 子どもは腕の中でぽうっとその様子を眺めていた。


「おじさん、強いねぇ」

「おじさ……いや、ぼく、お母さんはどこに?」

「あそこ」


 指さされた方角にいた女性が血相を変えて走ってきた。


「ほら、お迎えだ」

「うん。またね。おじさんも早く逃げてね」

「……あぁ」


 ぺこぺこと涙目で頭を下げる母親を見送り、ホルガーは再び剣を構える。

 そのとき、背後から自分のものではない剣戟が聞こえてきた。

 振り返るとそこには――


「たいしょーう!」

「無事ですか!?」

「これで百人力ですよ!」

「だいじょぉぉおあいたがっだぁ」

「おい、泣くのはこいつら倒してからにしろ」


 ホルガーは驚いたように目を見開き、「待ってたぞ」と笑う。


「それにしてもお前たち、こんな一気にどうやって……」

「竜に乗ってきたんですよ!」

「……竜?」


 そのときになってようやく、ホルガーは砂塵の向こうの巨大な影に気づいた。

 一見すると山のように見えるそれには、一面にびっしりと鱗が並んでいる。

 立派に伸びた両翼に、どこまで続くのかも見えない尻尾。

 そして、


「キュエッ」


 思いのほか近くにその顔はあった。

 言葉は通じないはずなのに、愛嬌たっぷりに笑っていることが伝わってくる。


 そして、その翼の付け根。

 そこに、彼女はいた。

 逃げ遅れた人々を竜の背の上に誘導している。もはやその辺りに安全な場所はないと判断したためだった。


「……彼女に出会ってから、俺は信じられないものばかりを目にしている気がする」


 きっと、一人で生きていれば、生涯目にすることはなかったであろうものばかりだ。


「……まさか、生きているうちに竜に出会うとは」


 彼女は、心に焦がれ続けた少女は――他のものには一切目もくれず、民の安全に全力を注いでいた。

 真剣な眼差し。

 力強く発せられる声。

 てきぱきと動き回る足。


「……すべて、あの日の殿下のままだ」


 彼女は、何も変わらない。

 あの瞳の輝きは、心の通った声は、澄んだ心映えは。

 ずっとあの日のままだ。


「嘘だろ大将。ルコットさん、あんなに綺麗になったのに」

「何を言う。殿下は昔から、誰より一等お綺麗だっただろう」


 あの頃より少し伸びた、ウェーブのかかったアンティークブラウンの髪。

 白くなめらかな肌。

 笑顔をいっそう愛らしくするえくぼ。

 白桃色の頬。

 日が差すと透明に光るアーモンドブラウンの瞳。

 紺碧のロングワンピースが風にはためき、淡雪色のジャケットは、体の曲線を際立せる。


「……訂正しよう。殿下の美しさは、一日いちにち増すものらしい」


 部下たちは一斉にため息をつき、苦笑した。


「まったく……」

「相変わらずの殿下バカですね、大将は」

「まぁ、これでこそ俺たちの大将だ」

「よし! お前たち! 蹴散らすぞ!」


 のろけに中てられた男たちは、空高く雄たけびを上げた。




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