第九十九話 ホルガーの居場所
「ダンラス王!? 何故ここに!?」
ルイさまとオルトさまが叫ばれると、その方は、「説明している暇はない! 早く奴を助けに行かねば!」と返されました。
ハントさまが呑気に腕を組まれます。
「どうする? ルコットちゃん」
「早く拾って差し上げてください! あの方の足元も崩れかかっています!」
ハントさまは「本当にお人好しだなぁ」などと呟かれながら、銀竜の耳に何かを囁かれました。
銀色の竜は小さく鳴くと、地面すれすれまで舞い降りて行きました。
* * *
「狼煙の灯を見、ここへ向かう途中、我らは一人の女に出会ったのだ」
その女は行く手を遮るように、道の真ん中に立っていた。
金色の髪に赤い瞳を持つ、一目で人ならざるモノだとわかる女だった。
しかしホルガーは彼女を恐れる様子を見せなかった。
「戦いに行くのか?」
「いや、違う。戦いを止めに行くのだ」
常と変わらない調子で平然と答える。
女は眉を寄せ、しばし沈黙した後「どうやって?」と問うた。
ホルガーは女をまっすぐに見返し、答える。
「わからない。だが、話せばきっとわかるはずだ」
その瞬間、女の目が怒りに燃えた。
「そんなことで人間の争いが止むものか!」
ごうっと突風が吹きすさび、女の長い髪が顔にかかる。
美しい顔が歪められ、唇から新たな言葉が出んとしたそのとき、国境沿いから乾いた銃声が聞こえてきた。
「とうとう銃を放ったか……! もはや我慢ならぬ!」
女が両手を広げると、周囲の砂が盛り上がり、たちまち人型のゴーレムとなった。
「今一度世をやり直すべし。万年前の平らな世界を取り戻す」
「万年……?」
呆然としているダンラス王に、ホルガーが耳打ちした。
「ダンラス王、ここは俺が引き受けます。国境へ赴き、俺の部下たちを連れてきてください」
驚きに目を見開く王に、ホルガーは頷く。
「……この魔物たちの相手をそなた一人で致すと言うか」
「ご安心を。しばらくはもちます」
ダンラス王は、腰の剣へ手を伸ばしかけたが、結局その柄を握ることはなかった。
「……わかった。すぐに連れてくる。待っていろ」
仮にここに残ったとして、自分では冥府の悪魔の足手まといにはなれ、助けにはなれない。
プライドの高い王が受け入れるにはあまりに酷な事実だったが、賢王は判断を誤らなかった。
再び馬に跨り、ゴーレムの集団を迂回して、国境沿いへと向かう。
女は、追ってはこなかった。
* * *
「……とても、ホルガーさまらしいですわ」
ルコットが両手を握りしめ呟く。
その声はしっかりとしていて、瞳の中に動揺は見られなかった。
「……ルコットちゃん」
ロゼ夫人が青ざめた顔で問いかける。
心配では、不安では、ないのかと。
ルコットは首を振った。
「ホルガーさまが『しばらくもつ』と仰ったなら、大丈夫ですわ」
ハントがうっすらと微笑を浮かべ、問いかけた。
「さて、ルコットちゃん、どうする?」
ルコットは、紺碧のスカートを翻し、微笑み返した。
「もちろん、ホルガーさまを助けに行きますわ」
竜の背に乗る人々が一斉に歓声を上げる。
「よっしゃ! 待ってろ大将!」
「すぐに助太刀しますからね!」
銀色の竜も心なしか晴れ晴れとした表情をしていた。
* * *
そこは、一面砂色の世界だった。
豊かな緑も、水路の中も、辺り一帯ゴーレムの集団に埋め尽くされている。
「……増えている」
王が硬い表情で歯噛みする。自国の変わり果てた姿は、堪えるものがあった。
ルコットは、微動だにしなかった。
じっと両目を見開き、砂粒一つ見落とさないような緻密さで、地上を見下ろす。
そのアーモンドブラウンの瞳は、無意識のうちに魔力をまとい、金色に光っていたが、誰も言葉を発することなどできなかった。
「……いましたわ!」
とうとう、彼女がそう声を上げる。
すでに魔力の光は消えていたが、暗黒の世界の中でその瞳はきらきらと輝いて見えた。
「あちらで戦われています!」
その指の向こう、小さな村近くで、ホルガーは単身剣を振るっていた。
背に庇う村の人々は避難を始めているが、まだ多くの人が取り残されている。
「焦らないで! 落ち着いて避難してください!」
襲い来るゴーレムの拳を叩き落とし、安全な方向へと誘導する。
走り去っていく人並みの中で、一人の子どもがつまずき、転んだ。
そこへ容赦なく向けられた攻撃は、しかし咄嗟に回避された。
片腕で子どもをひょいと持ち上げると、抱きかかえ、くるりと受け身をとり、そのまま返す刀で一撃を与える。
子どもは腕の中でぽうっとその様子を眺めていた。
「おじさん、強いねぇ」
「おじさ……いや、ぼく、お母さんはどこに?」
「あそこ」
指さされた方角にいた女性が血相を変えて走ってきた。
「ほら、お迎えだ」
「うん。またね。おじさんも早く逃げてね」
「……あぁ」
ぺこぺこと涙目で頭を下げる母親を見送り、ホルガーは再び剣を構える。
そのとき、背後から自分のものではない剣戟が聞こえてきた。
振り返るとそこには――
「たいしょーう!」
「無事ですか!?」
「これで百人力ですよ!」
「だいじょぉぉおあいたがっだぁ」
「おい、泣くのはこいつら倒してからにしろ」
ホルガーは驚いたように目を見開き、「待ってたぞ」と笑う。
「それにしてもお前たち、こんな一気にどうやって……」
「竜に乗ってきたんですよ!」
「……竜?」
そのときになってようやく、ホルガーは砂塵の向こうの巨大な影に気づいた。
一見すると山のように見えるそれには、一面にびっしりと鱗が並んでいる。
立派に伸びた両翼に、どこまで続くのかも見えない尻尾。
そして、
「キュエッ」
思いのほか近くにその顔はあった。
言葉は通じないはずなのに、愛嬌たっぷりに笑っていることが伝わってくる。
そして、その翼の付け根。
そこに、彼女はいた。
逃げ遅れた人々を竜の背の上に誘導している。もはやその辺りに安全な場所はないと判断したためだった。
「……彼女に出会ってから、俺は信じられないものばかりを目にしている気がする」
きっと、一人で生きていれば、生涯目にすることはなかったであろうものばかりだ。
「……まさか、生きているうちに竜に出会うとは」
彼女は、心に焦がれ続けた少女は――他のものには一切目もくれず、民の安全に全力を注いでいた。
真剣な眼差し。
力強く発せられる声。
てきぱきと動き回る足。
「……すべて、あの日の殿下のままだ」
彼女は、何も変わらない。
あの瞳の輝きは、心の通った声は、澄んだ心映えは。
ずっとあの日のままだ。
「嘘だろ大将。ルコットさん、あんなに綺麗になったのに」
「何を言う。殿下は昔から、誰より一等お綺麗だっただろう」
あの頃より少し伸びた、ウェーブのかかったアンティークブラウンの髪。
白くなめらかな肌。
笑顔をいっそう愛らしくするえくぼ。
白桃色の頬。
日が差すと透明に光るアーモンドブラウンの瞳。
紺碧のロングワンピースが風にはためき、淡雪色のジャケットは、体の曲線を際立せる。
「……訂正しよう。殿下の美しさは、一日いちにち増すものらしい」
部下たちは一斉にため息をつき、苦笑した。
「まったく……」
「相変わらずの殿下バカですね、大将は」
「まぁ、これでこそ俺たちの大将だ」
「よし! お前たち! 蹴散らすぞ!」
のろけに中てられた男たちは、空高く雄たけびを上げた。




