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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第五章 南国 エメラルド
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第九十五話 今行きます


 いつものドレスを脱ぎ、深呼吸をします。

 そして、代わりに軍用ズボンを履き、ジャケットを羽織ろうとしたそのとき、扉がノックされました。


「ルコット、いる?」


 ヘレンさんの声でした。

 「どうぞ」と促しながらボタンを留めます。

 

 あれから、私たちは王宮に間借りして生活していました。

 奪還作戦に備えて各地に呼びかけを始めたのが一週間前。

 各所から次々と「応」の返事が届く中、いまだセントラインの王さまからの返答はありません。

 とうとう昨日、スノウ姉さまが「これ以上は待てないわ」と決断されました。

 出発は今日の午後一時。

 今は各々旅装の支度を始めています。


 入室されたヘレンさんとリリアンヌさま、ターシャさまは、私の服装を目に入れると「まぁ!」と驚かれました。


「ルコット、その服どうしたの?」

「動きやすい服が良いと思って軍からお借りしたんです」


 少々生地は重く固いですが、サイズが大きいため動きやすさはばっちりです。

 そう言うと、ヘレンさんとターシャさまは「そうなの……」と顔を見合わせました。

 何かおかしなことを言ったでしょうか。

 そのとき、リリアンヌさまが肩をふるふると震わせて、ビシッと私の服を指さされました。


「ルコット! あなたやる気あるの!?」

「え! も、もちろんですわ」


 何としてもホルガーさまを取り戻す。

 その意気込みだけは誰にも負けません。

 こぶしを握ってそう熱弁すると、リリアンヌさまは「そうではなくて!」と首を振られました。


「数年ぶりにあの人に会うのよ!?」

「は、はい、そうですね」

「そんな恰好で会うつもりなの!?」


 私は姿見で自分の姿を確認しました。

 ありふれた軍服姿です。

 ホルガーさまにとっては特に、見慣れた格好でしょう。

 どこかおかしいでしょうか。

 しいていうなら、鍛えられた体ではないので若干布が余っていました。


「……少し、肩幅をつめた方が良いでしょうか?」


 リリアンヌさまはがっくりと肩を落とされました。


「もう、そこじゃないわよ!」


 しびれを切らされたリリアンヌさまは、輝く金髪を揺らし、後ろのお二人に呼びかけられました。


「ターシャ! ヘレン!」

「任せて!」

「お任せください!」


 お二人は息ぴったりに頷かれると、扉の向こうへ飛んで行かれました。

 どうやらわかっていないのは私だけのようです。


「あの、お二人はどこへ?」

「おとなしく待ってなさい! お節介を焼いてあげるの!」


 リリアンヌさまは「私たちに任せなさい!」と気持ちの良く笑われました。



* * *



「こ、こんな格好で遠征するんですか?」


 ひらひらと揺れる紺碧のワンピース。

 厚みのある柔らかい生地は、くるぶしまで美しいドレープを描き、上質な光沢を放っています。

 その上に羽織るのは淡雪色のジャケット。

 一見するとただの婦人用上衣なのですが、内側には細かな隠しポケットがたくさん付いていました。

 生地も、伸縮性がある割に、一定以上に伸ばそうとするとびくともしません。


「変わった生地ですね。初めて見ました」

「そりゃそうよ。お父さまの新発明だもの」

「まあ、ハップルニヒ侯爵さまは発明もされるんですか?」

「ええ、勉学と政務の合間にだけど」


 リリアンヌさまは誇らしげです。


「この衣装は特殊な素材でできているの。耐寒熱温度はマイナス五千セシから三万セシ。氷河に流されても火山に投げ込まれても傷一つつかないわ。もちろん言うまでもなく、防弾性、防刃性は完璧だから安心して。銃で打たれても剣で斬られても槍で突かれても、絶対に通さない」


 私はもう一度スカートを摘んで、まじまじと見つめました。どう見ても、シルクや獣毛などの高級生地にしか見えません。


「こんなに薄いのにですか?」

「そう! そこがポイントなのよ!」


 リリアンヌさまが興奮気味に手を打たれました。


「元々お母さまの園芸着用に開発されたものなの。だから質感は一級品。その上快適な着心地を追求したから、吸湿性、抗菌性、防塵性、保温性、通気性までばっちり。どんな染色にも耐えられて、加工もしやすいから、デザイン性も抜群」

「……すごいですね」


 私はしばし言葉を失いました。

 何故諸侯の皆さまがリヒシュータにだけはちょっかいを出さないのか、わかった気がします。

 こんなものを片手間に開発してしまうなんて。


「こんなにすごい生地なのに、どうして商品化されないのですか?」


 ふと浮かんだ疑問を口にすると、リリアンヌさまはどこか決まり悪そうに腕を組まれました。


「……コスパがね、圧倒的に悪いのよ」


 一般的な婦人用ドレスの十倍以上の価格。

 無駄に多い機能。

 ハップルニヒ夫人ご本人にさえ、「そんな園芸着いらないわ……」と言われてしまったそうです。


「『それなら軍用に!』とも考えたみたいなんだけど、質感が女性的過ぎるのと、コストがネックでやっぱりボツ。で、泣く泣くお蔵入りしてたの。もうその落ち込みようといったら……」


 ターシャさまが暗い表情で、「……奥さまにいらないと言われたのがこたえたんでしょうね」と頷かれました。


「……まぁ、そういうわけで、まったく使い道のないハイスペックな布だったのよ。需要があるとしたら戦に出る貴婦人くらいだろうけど、そもそも貴婦人は戦に出ないし」


 ヘレンさんがおかしそうに小さく笑われました。


「私の主人を除いてはね」


 リリアンヌさまもつられたように笑われます。


「そう、あなたを除いては。お父さまに奪還作戦の話をしたら、ぜひ皆で使ってほしいって押し付けられたのよ」

「では、皆さんの衣装も?」

「ええ、同じ素材。ちなみに、デザインは私よ」


 ヘレンさんの衣装は、黒地に白い襟と繊細なレースの施されたミステリアスなロングワンピース。

 ターシャさまのドレスは、ダークチョコレートとローズブラウンのフリルが幾重にも重なった落ち着いた意匠。

 そしてリリアンヌさまは、濃紫色エレガントラベンダーの細身なストレートドレスでした。常になくシンプルですが、深い紫に金糸の御髪がよく映えています。


「皆さんとてもよくお似合いですわ」


 心からそう言うと、リリアンヌさまの頰が微かに赤く染まりました。


「……ありがと。あなたもすてき。よく似合ってるわ」


 私は改めて、自分の姿を見つめました。

 ロイヤルブルーのふわりと広がるロングワンピースは優雅な曲線を描き、パウダースノウのジャケットは、肌の色を明るく際立たせています。

 ダークブラウンの長い髪はハーフアップに編み込まれ、背に柔らかく揺れ、上気した頰と唇は薔薇色。

 深いアーモンド色の瞳は、陽の光を受けきらきらと輝いていました。


「きれいよ、ルコット」


 ふと発せられた言葉に驚いて振り返ると、そこにはいつのまにか、スノウ姉さま、サファイア姉さまを始め、十九人のお姉さまが整然と並ばれていました。


 驚きに目を見開く私に、お姉さまが順番に口を開かれます。


「本当は、ずっと昔から、きれいだった。今までそれがどうしても認められなかったの。ごめんなさい」

「王に唯一愛された寵妃の子。そんなあなたが羨ましくて、なんとか優位に立ちたくて」

「私たちはあなたを出し抜くように、世間に好まれる見目を、必死で研究して真似ていたの。……本当に愚かだった」


 そう仰って、お姉さまは力なく微笑まれました。


「本当は、末の妹のあなたが気になって、……可愛くて仕方がなかったのに」


 私は驚きに言葉を失いました。

 どうして今更、そんなことを謝られるのでしょう。

 そんなこと、とっくに、知っていたのに。


「……そんなこと、わかっていましたわ、お姉さま。みんな、伝わっていました」


 「子熊みたいね」そう仰って私の頭を撫でてくださった温かな手の温度。優しい眼差し。

 そっと窓に置かれる「ごめんなさい」の花。

 余った貰い物だからと差し出されるお菓子が、実はお姉さまの手作りだったこと。

 一人暮らしを始めてから、ほとんど毎日日替わりで王女付きの騎士が様子を見に来ていたこと。

 私は、全て気づいていました。


「大好きですわ、お姉さま」


 そう言って笑うと、十九人のお姉さまがぽろぽろと細かな涙を落とされました。


「……私たちの子熊ちゃんが、こんなに大きくなるなんて」


 

* * *



「レオ、立ち聞きはいささか趣味が悪い」

「仕方なかろうハント。娘たちの感動の瞬間だ。邪魔はできない」

「両目を潤ませて何を言ってるんだか」


 廊下にうずくまる王に、ハントが胡乱な視線を投げた。


「いい加減立ち上がってくれないか。私まで侍女に不審な目で見られる」


 王はつれない魔術師に恨みがましい目を向けた後、「こうしてはいられない」と立ち上がった。


「行くぞ、ハント。何としても義息子を取り戻さねば」


 ハントは肩をすくめ「はいはい」と後に続く。


「日頃の政務にもそのくらいの気概があればね」


 そんな皮肉をこぼしながら、口元は穏やかに微笑んでいた。






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