第九十四話 エメラルドの王さま
「あ! 王さまだ!」
「陛下! これ持ってってくださいよ!」
「王さま、こんにちはー!」
城下の大通りを歩いていると、両側の屋台から次々呼び止められた。
その度にダンラス王は気さくに受け答えしている。
果物屋から受け取った果実を、一つホルガーの方へ差し出した。
「ポルルという果物だ。知っているか?」
赤紫色のこぶし大の果実だった。
ホルガーが「知らない」と答えると、王は得意げにシャクッと頬張り、「うまいぞ、食え」と笑った。
みずみずしく甘みの強いそれは、エメラルドの名産品なのだとか。
見たことのない毒々しい色合いに、恐る恐る一口かじると、口中に新鮮な甘みが広がる。
まるで花の香りを食べているかのようだ。
「……うまい」
そう言うと、王はふん、と満足げに破顔した。
ここエメラルドの都は、太陽と自然と海の恵みに溢れた豊かな土地だった。
いたるところに屋台が立ち並び、色とりどりの果物や野菜、新鮮な魚や肉を売っている。
中には安価な宝石を出品している者もいた。
料理を出している店も多く、串焼き肉の香ばしい香りが漂っている。
家々は開放的で、ござで横になっている姿が大通りから丸見えだが、気にする者もいないようだ。
寝ころびながら、道行く知人にのんびりと挨拶している者もいる。
ヤシの葉で葺かれた屋根が、青空に照り映えていた。
「どうだ、余の治める国は」
ホルガーは王に向き直ると、興奮を隠しきれない様子で「良い国です」と呟いた。
「民の表情が明るい。治世に不安のない証拠です。食べ物も豊かで、民家もこまめに手入れされている」
王はホルガーの観察眼に内心驚いたが、そんなことはおくびにも出さず、「そうだろう」と遠くを指さした。
「見よ」
言われてホルガーはそちらへ目を向ける。
民家と民家の間に青い線がのぞいていた。
「あれが水路だ」
目を凝らすと、確かにそれは水路のようだった。
青い水が、太陽の光を受けて宝石のように輝いている。
ホルガーの目が大きく見開かれた。
王はその様子を盗み見て小さく笑う。
それから、少々もったいぶって問いかけた。
「近くで見るか」
「もちろん!」
一瞬の間もおかず、ホルガーは頷く。
少年のような雰囲気に、王の心もまた浮足立つ。
久しく忘れていたその気持ちは、思えば即位から感じたことのないものだった。
* * *
「すごいな! この水路はどこまで続いているんですか」
横幅およそ十メートルほどの水路をのぞき込み、頭を上げるとその先に目を凝らす。
王は「落ち着かぬか」と苦笑した。
「無論、海まで続いておる。海にたどり着くまでいくつか町を通るがな」
ホルガーはまた感心したように「そうだった」と頷く。
「国中に張り巡らされているんですよね」
「あぁ、蜘蛛の巣状にな」
見回せば、確かに全方位に同様の青い線が伸びていた。
「これだけの事業を何年で?」
「八年だ。なるべく負担をかけぬよう、当初は三十年の計画だったのだが、民のやる気が余の予想を上回った」
そう言って、王はどこか嬉しげに笑った。
そのとき、一艘の船が水路上をすいすいと進んで来て、近くの桟橋に到着した。
そこにいた人物に大きな包みをいくつも渡すと、またすぐに進み始める。
「あれは?」
不思議そうなホルガーに王は「魚と隣村で採れた穀物だ」と説明する。
「水路は水を運ぶだけではない。こうして船で国中を行き来することもできる。いわばエメラルドのライフラインだ」
ホルガーはもう一度、じっと水路を見つめた。
これだけの水路を八年で。
それは、到底不可能なことのように思われた。
それでも、この国の民はやり遂げたのだ。
「もはや、民が日照りに怯えることもない。食料に困ることもないだろう」
ダンラス王の暗褐色の瞳は喜色に満ちていた。
ここにきてようやく、ホルガーは確信した。
この王は、決して冷酷な策士などではない。
民を思い、困難に立ち向かい、国を治める、正真正銘の賢王だ。
「……偏見など持っていないつもりだったんだがな」
「何か言ったか?」
ダンラス王は首を傾げた。
少々無防備にも見える年齢相応なその表情は、もはや敵国の陸軍大将に見せるものではなかった。
公式の場では、険しい表情と雰囲気で三十以上年かさに見えていた王は、今や同年代の青年だった。
「……いや、会ってみなければわからないものだと思っただけです」
ホルガーの言葉に思うところがあったのか、王もまた、ふっと和らいだ表情で呟いた。
「その通りだな」
二人はもう一度顔を見合わせると、小さく笑った。
先ほどの船が、軽快に進み、王都から出ようとしている。
青い水路の果てのフレイローズを、王は思案気に見つめていた。




