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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第五章 南国 エメラルド
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第九十話 王都の民


「レインヴェール伯が人質に取られたというのは本当なのですか!?」


 スノウとハルが王宮に戻ると、真っ先に宰相が駆け寄ってきた。

 顔を青くした侍女、顔をしかめた近衛兵。

 城中が慌ただしく、どこか戦時のような緊張感が漂っている。


「……落ち着きなさい。ルイとオルトはどこにいるの」

「若草の間に。スノウ殿下、どうか皆にご説明を! 私ではもう彼らを御しきれません」

「それは二人に話を聞いてからだよ」


 ふわり、とハルが宰相の肩に手を置く。

 その春風のような声に、周囲の空気が一瞬のうちに和らいだ。


「皆も、落ち着いて。大丈夫だよ。スノウ殿下が何とかしてくださるからね」


 ハルの微笑みに、侍女はもちろん、近衛兵も高官も、誰もが息をつき、惚けた。

 何故だか本当に大丈夫だという気がしてくる。

 何の根拠もないというのに。


「おたくのお坊ちゃんは稀有な人誑ひとたらしですな」


 アーノルドが茶化すと、サクラスが苦笑した。


「冗談言ってないで、さっさと行くわよ」

「はいはい」


 さっと身をひるがえし、若草の間へと向かう。

 皆、先ほどより幾分安心した顔をして、各々の仕事へ戻っていった。


 速足で廊下を進むスノウは、道中、ハルにのみ聞こえる程度の声で囁く。


「……助かったわ」


 そのぶっきらぼうな感謝の言葉に、ハルは小さく笑った。



* * *



「ルイさま! オルトさま!」


 私たちが案内された若草の間に駆け込むと、室内には既にスノウ姉さま、ハルさま、ハントさまにアスラさま、マシューさまも揃われていました。


 悄然とした表情で俯くルイさまとオルトさま。

 その正面で、皆さまも険しい表情で腕を組まれています。


「……ルコットちゃん」

「本当なのですか」


 頭が働くより先に、唇が動きます。

 ほとんど無意識に、私はルイさまに詰め寄っていました。


「本当、なのですか。ホルガーさまが、お一人で……」


 ルイさまは今にも泣きだしそうな表情で眉を寄せられると、乾いた声で囁かれました。


「……本当だよ」


 言葉が出てきませんでした。

 どうして、そんなことに。

 彼は無事なのですか。

 頭の中をたくさんの疑問が回って――それなのに、喉が震えるばかりで、うまく考えがまとまりません。


 そのとき、後ろから、ぽん、と肩が叩かれました。

 反射のように振り向くと、そこにはヘレンさんと、リリアンヌさま、ターシャさまが立っていました。


「落ち着きなさい、ルコット」


 ヘレンさんの力強い声に、はっと我に帰ります。

 リリアンヌさまが一歩前に出で、強く私の手を握りました。


「今あなたが取り乱して、一体誰が彼を助けるの」

「そうですよ、ルコットさん」


 ターシャさまの優しい声にも決意が混じっています。

 隣のエドワードさんもまた、「その通りです」と冷静に仰いました。


「もっとも、あなたさまが取り乱されるのは、旦那さまが絡んだときだけだと、わかってはいるのですがね」


 にやり、と意地悪なお顔で微笑むエドワードさん。

 私はここにきてようやく、少しだけ冷静になれた気がしました。


「……ええ、そうですわ」


 エドワードさんがきょとんとされます。

 赤くなって誤魔化すと思われていたのでしょう。

 他の方々も目を丸くされています。

 でも、構いません。

 だって、もう、自分の気持ちを誤魔化すのはやめようと決めたのですから。


「彼は、私の逆鱗ですわ。――絶対に、傷つけさせはしません」


 ぽかんとされるルイさま、オルトさま。

 いえ、お二人だけでなく、まるで時間が止まってしまったかのように、皆さま唖然とされていました。

 ハントさまだけが、懐からハンカチを取り出し、そっと額の汗を拭われています。


「……絶対にルコットちゃんだけは怒らせないようにしよう」

「……恋する乙女は強いね」


 一体どういう意味でしょう。

 私が問い返す前に、お姉さまが心底可笑しいと言わんばかりに笑い出されました。

 それから、不敵に、静かに、口角を上げられます。


「ええ、必ず取り返すわ。……首を洗って待っていなさい、ダンラス王」


 アスラさまもまた、立ち上がられ、「やるぞー!」と腕を回されました。

 

「……この国の女性はたくましいね」

「……一部の方々は特にね」


 活気の戻った室内で、ハルさまが穏やかに口を開かれます。


「さて、それじゃあ、作戦を練ろうか。正攻法では戦争になってしまうから、あくまで穏便に。ね、ターシャ姫?」


 視線を向けられたターシャさまは意外そうな顔をされます。


「まさかあなたがそんなことを仰るなんて。すっかり牙を抜かれてしまったのですね」


 そしてどこか嬉しそうに笑われました。


「ええ、こんなときのための同盟国です。すぐ父に手紙を書きましょう。じきにフュナ姫とシス皇子もいらっしゃるでしょうし」


 そのとき、バタンッと重厚な扉が荒々しく開かれました。

 さすがのお姉さまも驚き、慌てて振り向かれます。

 そこにいらっしゃったのは、息を切らした宰相さまでした。


「皆さま! 大変でございます! 民が、噴水広場に!」



* * *



「悪名高いダンラス王が、我らの英雄ホルガー=ベルツ大将を人質に取った! 我々は、断固としてこれを許してはならない!」


 王城のバルコニーから噴水広場を見下ろされたお姉さまは、顔に手を当て深いため息をつかれました。


「また面倒なことになったわね」

「言ってる場合ではございません。民がエメラルドに攻め入る前に、何とか怒りを押さえ込まなくては」


 お姉さまは「はいはい」と手を振られると、私の方を振り向かれました。


「行くわよルコット」


 え?

 そう問い返す間も無く、お姉さまに手を引かれた私は、気づくとバルコニーの上にいました。

 遥か階下には、数え切れないほどの人々が、じっとこちらを見つめています。

 先ほどまでの演説も止み、しんと辺りが静まり返りました。


「皆、よく聞きなさい」


 不安げな民一人ひとりに聞かせるように、お姉さまは全体を見渡されます。


「憎しみに任せて力に訴えてはいけません。皆知っているはずです。かのレインヴェール伯が、誰より平和を望んでいることを」


 鋤や斧を掲げていた人々が、顔を見合わせ、やがてそろそろと武器を下ろしました。


「焦る気持ちはわかります。しかし、今はまだ、時間が必要です。十全に、安全に、彼を救い出すだけの時間が」


 そして、お姉さまは私に目配せされました。


「安心なさい。我らが英雄ホルガー=ベルツは、私たちが、必ず取り戻します」


 お姉さまに促され、私は一歩前に出ます。

 自分の言うべきことはもう、わかっていました。


「……皆さま、どうか、私に彼を救うだけの時間をください。……私に、愛する人を、守らせてください」



* * *



 広場から散り散りに帰って行く民衆の中、一人の少年が母親の顔を見上げ、首をかしげた。


「ねぇ、お母さん、どうして笑ってるの?」


 よく見ると、周囲の人たちもまた、どこか嬉しそうだ。

 母親は、「あなたにはまだ早いかなぁ」と歌うように呟くと、王城のバルコニーを振り返った。


「ようやく春が来ると思うとね」

「……もうとっくに春なのに。変なの」


 母親はくすりと笑うと、「そうね」と少年の手を引いた。





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