第九話 王室魔導師団
「まさか弟の結婚を吟遊魔鳥の口から聞くことになるとは思わなかったよ」
「……まさか数時間で駆けつけて来るとは思わなかった」
ホルガーが苦々しげに呟くと、アスラはからからと笑った。
「それはとんだ誤算だったな」
華厳の間にほど近い応接室。
そこでアスラによる、ホルガー夫婦への事情説明が行われていた。
「もしかして、結婚のこと、ご家族に黙っていらしたのですか?」
「ほら、ルコット殿下も驚かれてるじゃないか」
ホルガーは心底うんざりした顔を隠そうともしない。
「あなたが姉だと知られたくなかったんですよ」
「実の姉になんだその言い草は」
不穏な気配を察知したルコットは慌てて話題を逸らす。
「本日はお義姉さまお一人でいらしたのですか?」
「おねえさま…私にもとうとう義妹ができたのだな……ホルガー、よくやった」
首を傾げ曖昧に笑うルコットが見えているのかいないのか、アスラは構わずに話し続ける。
「長男も次男ももういい歳なのに、結婚のけの字も無い」
「…オルト兄上は真面目な方ですし、ルイ兄上は気の多い方ですから」
故郷の兄達を思い出したのか、ホルガーの目に疲労の色が浮かんだ。
「何故私たちに結婚を黙っていたんだ」
「…婚礼期間が終わったら、書簡でお知らせするつもりでした」
「それでは遅いだろう!」
姉の怒りは尤もだと思いながらも、この姉を、そしてあの家族を結婚式に呼びたいとはどうしても思えなかった。
「…そんなことより、義兄上はどうしたんですか」
「マシューなら、今頃皆と一緒にこちらに向かっている頃だろう」
「何故一緒に転移して来なかったんですか」
「スノウ殿下の身代わりになる予知夢を伝えたら、『危険だ行くな』と騒ぎ出したのでな。置いてきた」
どう考えてもこの姉に危険が及ぶことはなさそうだが、万が一を心配するあたり、二人はどうやら睦まじく暮らせているらしい。
元々、モア夫婦の交際は、アスラからの熱烈なアプローチから始まったものだった。
* * *
アスラの夫マシュー=モアは当時、王室魔導師団、薬事室室長であった。
薬事室というのは、医務に特化した軍の部隊であり、魔力をもって人を治療する専門家集団だ。
魔力による治療は、古くは民間療法と伝えられたものが基礎になっている。
自身の魔力を変化させ直接患部に流し込む法や、魔石や薬草を用いる法、果ては精霊の力を借りる法。
実に様々であったが、いまだに解明されていない方法も無数にあるという。
それらを解き明かし、民に寄与することが、彼らの至上命題であった。
故に薬事室は、軍属といえど研究色が強く、実際現場へはほとんど出ず、研究に明け暮れている者もいるという。
無論、軍の所属である限り、彼らも基礎訓練は受けており、有事の際には戦えるだけの気概も身につけている。
しかし、アスラの所属していた、師団長直轄の第一魔導特務司戦部隊に比べれば、非常に気性の穏やかな、頭脳派部隊であった。
そして、マシュー=モアは、その中でも驚くほどに軍人然としていない男だった。
元よりフレイローズでは、魔力を持つ者に、軍への所属が義務付けられていた。
例外は王族くらいのものだった。
これは、貴重な戦力を確保するための国策だったのだが、魔力を持って生まれた子どもたちにとっても、そう悪いことではなかった。
第一に、当人は元より残された家族にも、莫大な謝恩金が支給された。
王族からの謝恩という栄誉と、食うに事欠かないだけの給金は、やはり大抵の国民にとって有難いものだった。
そして何より、魔導師団では子供たちの安全が保障されていた。
伝説によれば、かつてこの世界に住む者は皆、多かれ少なかれ魔力を持って生まれてきた。
よって親は子へ、子は孫へ、必要な知識を自然と授けることができていた。
しかし、国同士が争い、多くの血が流れ、卑怯も卑劣もない世に転じる中で、人々は戦神サーリの怒りを買った。
そして彼女は人の子から魔力を奪ったのである。
その後サーリはフレイローズを建国し、武を以って世を泰安へと導いたとされるが、結果として人間に魔力が還ることはなかった。
よって、世界中どの国においても、魔力を持つ者はそう多くはない。
そして、魔力を持つ者も大半は、齢十を数える前にその生涯を終える運命にあった。
それはひとえに、自身で魔力を制御することができないためである。
魔力というものは、言わば体内を滞りなく流れるエネルギーの塊だ。
体内で合成する者、空気中に漂う魔力を蓄積させる者、様々であったが、大抵の者は双方を知らず知らずのうちに行なっていた。
ただし、無意識に正しいバランス、適切な速度で魔力を製成できる者は、皆無だと言っても良い。
体内で魔力を爆発的に作り出せば、寿命を急速に燃やしてしまう。
空気中の魔力は、一度期に取り込めば体にとっては異物だ。
いずれにしても、体内で魔力が急速に増えれば体がもたない。まだ幼い子どもの体なら、尚更だ。
しかし、魔導師団には、その魔力を制御するための方法、道具が、無数にあった。
そしてそこでは、正しい知識が平等に与えられた。
だからこそ、魔力を持つ子の親は、涙を飲んで大切な子を送り出していたのである。
それは、アスラも例外ではなかった。
確かに、今現在「伝説の魔導師」と謳われているだけのことはあり、幼少期から、魔力の扱い、センスは抜群のものだった。
幼いホルガーの記憶の中でも、彼女は自在に炎を操り、木々を跳ね回り、鉛のような重い蹴りを飛ばしていた。
しかし、ある日突然、一家六人を集めた父が、こう言った。
「アスラ、お前は軍に入らなければならないよ」
戸惑う三兄弟をよそに、母と姉は妙に落ち着いていた。
「姉さんは、軍になんか入らなくても大丈夫でしょう、父さん」
「姉さんは、女の子なんだ」
戸惑う兄弟たちの声がまるで聞こえていないかのように、若き領主は娘をじっと見つめた。
「アスラ、お前、もう何年眠っていない?」
静かな声だった。
姉は否定も肯定もせず、ただそこに座っている。
ホルガーはそのとき、何時に「眠れない」と訪ねても、窓際に静かに腰掛けている姉の姿を思い出していた。
日頃溌剌としているだけに、月光下雪景色を見下ろす姉は、まるで別人のようだった。
目が合うと嬉しそうに笑い、「おいで」と手招きし、ともにベッドに入り、眠るまで歌を聴かせてくれる。
あの綺麗な子守唄を歌う姉が、人を屠るのか。
そんな馬鹿げた話があってたまるかと思った。
しかし、いやに冷静な父の一言で、何も言えなくなってしまった。
「このままでは、あと一年生きられまい」
行かなければ、姉は死んでしまう。
自分たちでは、何をしてあげることもできない。
それを急速に理解した三兄弟は黙って俯くより他なかった。
「子どもの間は戦いに出ることはないの。魔導学校に通ってお勉強するのよ」
そんな母の精一杯の強がりなんて、大した慰めにはならない。
そのとき、姉がぽつりと呟いた。
「何も言われなければ、このまま、この地で息絶えようと思っていたのに」
そうして、困ったように笑った。
およそ十やそこらの娘が浮かべる表情ではなかった。
その顔を見た瞬間どうしようもなく泣けてしまって、うわ言のように「俺も軍に入る」と言いながら姉に縋り付いた。
父は後ろを向き、母は両手で顔を覆った。
こうして、姉弟四人で抱き合い号泣し、泣き疲れて眠り、目が覚めたときにはもう、姉は、そこにはいなかった。