第八十五話 砂漠の料理
ダヴェニスにほど近いテス村。
リヒシュータ領西部の中で最もセントライン国に近い、小さな村集落です。
約一年半ほど前、この村に初めて学舎が完成しました。
以来、全国に先駆けて、試験的な稼働が始まりました。
生徒の年齢は、村の実情に合わせ、下は赤ちゃん、上は二十歳ほどまで。
よって、クラス分けがなされ、個々人に応じた教育が受けられる体制を整えています。
託児所としての意味合いも持つ幼稚部、そこから初等部、中等部、高等部と続き、高等部を卒業すると、大学への編入資格が与えられます。
また、テス村の学舎には、ターシャさまの先導で、セントラインの子どもたちも通っていました。
初等部のナラくん、セナちゃん、そしてお二人のお姉さまで高等部のジョゼさんです。
先生を務めてくださっているのは、魔導師団員のカタリナさまとノルドさま。
大学職員の方々や有志で募ったシッターさんたちも活躍されています。
また、ターシャさまとリリアンヌさまもお手伝いされていました。
私は今日、ちょうどひと月ぶりに、このテス学舎にやってきたのです。
* * *
「あ! ルコットさんだ!」
学舎の門をくぐると、生徒の皆さんはちょうど前庭でお昼ご飯を食べていました。
そういえば、この時間帯に伺うのは初めてかもしれません。
初等部の元気な子どもたちが、「こっちにおいでよ」と手招きしてくれます。
ほほえましく歩みを進める途中で、ふと何気なく前庭の外れにある木に目が行きました。
その下では、ナラくん、セナちゃん、ジョゼさんが三人でお弁当を囲んでいます。
目が合うと、三人は控えめに手を振ってくれました。
何故あんな離れた場所で食べているのでしょう。
不思議に思いながらも、最初に手招いてくれた子のところへ行きました。
「ねえルコットさんこれ食べなよ、おいしいよ」
「食べ終わったらまた絵本読んでよ」
「いいですよ」
差し出されたパンをありがたく頂戴しながら、さりげなく三人の方へ目を向けました。
どうやらまだ食べ始めたばかりのようです。
「ルコットさん、あの三人が気になるの?」
初等部の男の子がきょとんとしています。
私は素直にうなずきました。
「ええ、どうして一緒に食べないのかな、と」
すると、周囲の子たちが気まずげに顔を見合わせました。
「……気を悪くさせちゃったの」
「わざとじゃなかったんだよ」
「でも、本当に変なの食べてるんだもん」
何でも、初めてのお弁当の時間、見慣れない三人のお弁当を見て、思わず「変なの」と言ってしまったのだそうです。
以来三人は、決して一緒にお弁当を食べようとはしないのだとか。
「謝っても、『大丈夫、気にしてないよ』って言うの」
「でもちょっと悲しそうなの」
「『一緒に食べよう』って言うと『ありがとう、また今度ね』って」
「怒っちゃったのかな」
「でもお弁当の時間以外はふつうだよ」
皆沈んだ表情で自分のお弁当を見つめています。
本当に悪気はなかったのでしょう。
もしかしたら、何かすれ違っているのかもしれません。
「どんなお弁当だったんですか?」
「うーん……」
「何か、べちょっとしたのとか」
「薄い固いパンみたいなのとか」
「でも、いい匂いだったよね」
「うん、おいしそうな匂いだった」
見慣れないお料理に興味津々だったようで、口々に特徴を教えてくれます。
「食べてみたい」と言う子までいました。
「ちょっと私、三人のところに行ってきますね」
立ち上がった私の背中には、たくさんの期待の眼差しが向けられていました。
* * *
皆さんが教えてくれた料理の特徴には覚えがあります。
全て典型的な「砂漠の料理」、いうなればセントライン国の郷土料理でした。
「ジョゼさん、ナラくん、セナちゃん、お久しぶりです」
三人は嬉しそうな笑顔で私を迎えてくれました。
今年十六歳のジョゼさんはとても大人びていて、六歳のナラくんと五歳のセナちゃんにしっかり食べ物を取り分けています。
私が座ると、控えめに果物を分けてくださいました。
「ルコットさん、本当にお久しぶりです」
「寂しかったよ」
「元気?」
「私も寂しかったです。元気ですよ。あ、お構いなく、どうぞ食べてください」
今日のお弁当は、薄いパンに白いソース、緑のソース、串焼きのお肉、赤い煮込み料理に、コロッケみたいな揚げ物のようです。
本で読むよりずっと美味しそうでした。
「ルコットさん、もしかして食べたい?」
いけません。お構いなくと言っておきながら、視線はお料理に釘付けでした。
「……とても美味しそうでつい。すみません」
正直に謝ると、三人は驚いたように目をパチパチとさせました。
「本当に? みんな『変なの』って言ってたよ?」
「べちゃっとしたものばかりだって」
「それは……」
「……気にしないでください。確かに我が国の料理はそういうものが多いですから。皆さんの食欲を減退させたら悪いと思って、ここで食べているんです」
どうやら本当にお互い誤解し合っているようです。
私は思わず「そうではないのです」と首を振りました。
「ここではセントライン国のお料理は珍しいですから……でも皆、『美味しそうだった』と言っていました」
ジョゼさんが小さく「え」と呟かれました。
「本当に?」
「はい、本当です」
悪気はなかった。それは確かに事実です。
でも、と私は言葉を続けました。
「無理して一緒に食べたり、そんなことはしなくても良いのです」
無理して許したり、我慢したり。
そんなことをする必要はないのです。
「だって、私たちは対等な隣人なのですから」
そのとき、セナちゃんが私の前にコロッケのお皿を置いてくれました。
パンを手に握らせ「こうやって挟んで食べるのよ」と教えてくれます。
サクッジュワッ。
ガーリックや香辛料の効いた塩気と、そら豆の甘みが口の中で弾けます。中は綺麗な緑色でした。
「美味しい……とっても美味しいです」
そのとき、ふっとジョゼさんが微笑みました。
「彼らに悪気がないことくらい、わかっていたんです。何度も謝ってもらいました。もう、許せているはずなんです。ただ……」
――変なの。
「あの一言が、どうしてもこたえたんです。私たちの命を繋いできたのは、他でもないこの『砂漠の料理』でしたから」
私の手の中のパンを見つめ、ジョゼさんはもう一度、柔らかく笑いました。
「ですが……誤解し合ったままというのは、悲しいですよね」
彼女がそう言うのと同時に、背後から、「……あの」と声をかけられました。
振り向くとそこには、たくさんの子どもたちが。
恐らく学舎の生徒全員が集まっていました。
「僕たちがしたことを、代わりにルコットさんに謝ってもらうのは、違う気がして……」
すると、ジョゼさんがさっと立ち上がりました。
「もうこれ以上、謝罪は必要ないわ」
「……でも」
戸惑う面々に、ジョゼさんが首を振ります。
「むしろ、ここまで意固地になってしまった自分を恥じているの」
そう言うと、ナラくんとセナちゃんも頷きました。
「……これ、パンとゴマのペーストなんだけど」
ジョゼさんの手のひらにのせられたパンを、一同は食い入るように見つめました。
「……もしよければ、少し食べない?」
「食べる!!」
間髪入れずに、眼前の子はそれを口いっぱいに頬張りました。
「うまい!!」
花開くように笑うジョゼさん、ナラくん、セナちゃんに、今度はピーナッツバターののったフワフワのパンが差し出されました。
「よければ、お返しにどうぞ」
三人は迷いなくそれを口に含むと、満面の笑みで頷き合いました。
「おいしい!」
それから、授業が始まるまで、互いの料理に目を丸くしながらも、和やかに昼食は進んでいきました。
レンズ豆とトマトの煮物は特に人気で、あっという間になくなりました。
代わりに差し出されたソーセージのポトフに、ナラくんとセナちゃんが破顔しています。
隣に座っていたジョゼさんが、小さく呟きました。
「我が国の古い言葉にこういうものがあります。『良き隣人とパンを分け合え』」
セントラインでは、食べ物は体だけでなく、魂を作ると言われています。
同じ食べ物を食べると、魂に同じ部分ができる。
だから、互いを深く理解し合えるようになる。
……良き友人になれる。
ジョセさんは、ぽつりぽつりとそんなお話をしてくれました。
「みんなで食べるごはんって、こんなに美味しかったんですね」
「はい」
学舎のお昼はその日から、もっと賑やかに楽しくなったのだとか。
後日ジョゼさんからの手紙には、
――こんな何気ない思い出を、大人になってから懐かしく思い返すこともあるのでしょう。
と書かれていました。




