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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第四章 知の都 リヒシュータ領 ダヴェニス
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第八十話 夢の鉄道


 私が本で読んだ「鉄道」とは、文字通り鉄の塊が決まった道を走る移動手段です。

 随分昔の小説で、描写も「主人公が親友の危篤に駆けつけるために乗り込んだ」部分だけでした。

 作者の方は数百年前に他界されているので確かめようがないのですが、架空の乗り物の可能性が高い気がします。

 まさか自分の小説の乗り物が数百年後に実用化されるとは、思ってもみなかったでしょう。


「詳しい描写はないから、詳細は考えないといけないけれど。燃料、走行方法、外装、内装、その他諸々ね」


 それらはこれから詰めていくとのことです。

 今現在考えられているのは、魔石と魔源石を用いて走らせる方法とのことでした。

 

「原理は船と同じだよ。まぁ十中八九上手くいくだろう。何たってこの国一番の魔術師と魔術研究者が手を取り合っているんだからね」


 胸を張るハントさまに、マシューさまが「また大口を叩いて」と苦笑されていました。


「それで、どこに鉄道を走らせるのですか?」


 財務長官さまが金のモノクル越しに冷静に問われます。

 走行距離によっても予算は変わってくるでしょうから、彼の懸念は至極当然でした。

 お姉さまはにやりと少しだけ人の悪い笑みを浮かべられます。


「全域よ」

「……は」

「この国全域」

「……ご冗談でしょうか」


 長官だけでなく円卓中がざわつきます。

 お姉さまはその様子に慌てるでもなく、どこか楽しげでさえありました。


「ねぇルコット、異議はある?」

「ありません」


 私の迷いのない断定に、ざわついていた場がにわかに静まります。

 私はもう一度念を押すように「鉄道は全域に必要ですわ」と重ねました。


「そう、そして鉄道と各国を繋がないといけない。他国から子どもたちが学びに来れるように」

「国交を開くのですか」


 今度は外務大臣さまの口があんぐりと開かれました。

 不満、というよりは戸惑いの方が大きいようです。

 なんといってもフレイローズは周囲を四カ国に囲まれて歩んできた国です。

 これまで幾度となく侵略を受け、その度に軍事力を高め、他国を撃退してきた歴史がありました。

 いくら和平を結んだとはいえ、他国に対する警戒心はそう簡単に消えるものではないのでしょう。


 しかし、そこで諦めてはいけないのです。

 それではいつまでも、この国のあり方は変わりません。


「皆さま」


 静かに口を開くと、円卓中の視線が集まりました。

 不安と戸惑いと微かな警戒。

 その全てを受けてもなお、私は落ち着いていました。


(私はもう、恐れません)


 ここには、皆さまの想いを背負ってきているのです。

 ハップルニヒ侯爵ご夫妻、リリアンヌさま、ターシャさま、ヘレンさん、エドワードさん、ばあや、青空教室の皆さん、ダヴェニスの街の人々。

 そして――自身を犠牲にしてでもこの国を守ってきたかの人。


 私は皆さまを代表して、この想いを伝えねばなりません。


「ご不安はごもっともです。私たちの歩んできた歴史を思えば、他国との関係に慎重になられる気持ちもわかります」


 どんな歴史書を読んでも、そこに連なるのは延々戦いの記録ばかりでした。


「私たちは戦うことでしか、この国を守れなかった。他国を威圧することで、この国を維持してきたのです。今更それが間違いだったとは言いません。しかし――」


 お一人おひとりの瞳に訴えかけます。

 いつのまにか、皆さまの目が綺麗なガラス玉のように澄んでいる気がしました。


「後の世代の方が同じように苦しむ必要はないのです。もし教育が広まれば、我が国の産業はもっと発達するでしょう。全ての人にあらゆる門戸が開かれる。そして――誰も、戦の影に怯えることがない」


 誰も奪わず、誰も奪われない。

 

「そんな世界を、見てみたくありませんか?」


 皆さまの表情は真剣そのものでした。

 真剣に、そんな途方も無い未来を思い描き、考えてくださっているようでした。


「……本当に、そんなことが可能なのか」

「可能ですわ。決して諦めない覚悟さえ決めてしまえば」


 迷いなく、そうお答えします。

 質問された方は、じっと目線を合わせたまま、「そうですな」と力強く頷かれました。


「しかし、他国の子どもの教育を、何故我が国で受け入れねばならないのですか?」


 外務大臣さまが再び声をあげられます。

 それは不満ではなく、純粋な疑問のようでした。


 私は、青空教室のこと、そしてターシャさまのことをお話ししました。


「西国セントラインは砂漠の国です。教育を行うだけの余力がありません。だから彼女は王女でありながら教育者を目指しているのです」


 「そんな王女が」と呟かれた大臣さまに、私は力強く告げました。


「幸いフレイローズは豊かな国です。余力がある面を互いに補い合いましょう。――私たちは、敵国ではなく、隣人なのですから」

「……隣人」


 場の空気が柔らかくなった気がしました。

 大臣さまも、「そうか……隣人か」と頷かれています。

 どうやら皆さまのお心は決まったようです。


 スノウお姉さまが晴れやかに口を開かれました。


「もちろん他国との調整や取り決めは必要よ。そのために今現在、陸軍があちこちを駆け回っているわ。あ、あとあなたの部下のルイ=ベルツもね」


 その瞬間、外務大臣さまが「何!」と刮目されました。


「あのちゃらんぽらん、次はどこをほっつき歩いとるのかと思っていたら、仕事をしておったのか!」


 スノウお姉さまが苦笑されながら、耳打ちしてくださいます。


「彼、普段はともかく、やるときはやる人なのよね」


 我に帰った外務大臣さまも、「まぁ、あやつが動いておるなら心配いらんか」と納得されていました。

 

「さて、それで」


 いかにも好々爺といった雰囲気の宰相さまが、口を開かれます。


「計画満了期限はいつ頃ですかな。鉄道を走らせるとなると、早くても二十年は必要かと思いますが」


 二十年。

 それはこの計画の規模を思えば至極真っ当な数字でした。

 しかし、今学びたい子どもたちに「あと二十年待て」というのは、あまりに酷です。


「……そんなに、待てませんわ」

「ほう」


 宰相さまの目の奥がキラリと光ります。

 スノウお姉さまも同じお考えのようで、深く頷かれました。


「二年よ」


 しん、と会議室が静まります。

 異議を唱えた私でさえ、耳を疑いました。

 しかしお姉さまははっきりとこう繰り返されます。


「鉄道は、二年で完成させるわ」

「そんなばかな」


 さすがの宰相さまも慌てていらっしゃるようです。

 しかしお姉さまはあくまで冷静でした。


「学舎の建設は一年、鉄道の建設は二年、各国との調整は鉄道完成後一年で完了させるわ」

「つまり、三年後には、他国から子どもたちがやって来ると」

「ええ」


 ぽかんとされる面々にスノウお姉さまは艶やかに笑われます。


「できるわ、私たちなら」

 

 どんな侵略にも屈さず、魔術を磨き、技術を高め、体力を培ってきた、このフレイローズなら。


 ハントさまとマシューさまも頷かれます。


「魔術を使えば建設そのものは何てことない作業だからね。物を浮かせて組み立てるだけさ」


 一気に現実味を帯びてきた話に、胸が高鳴ります。

 皆さまもまた、瞳に熱を込めていました。


「やりましょう」


 一人、またお一人とその場に立ち上がられ、決意を持って頷かれます。

 とうとう我が国のトップ全員が覚悟を固めた瞬間でした。


 少しの安堵と不安、そして不敵な自信をたたえた微笑で、お姉さまが小さく囁かれます。


「やれるわね、ルコット?」


 私と一緒に、歩いてくれるわね。

 その問いに、私は迷うことはありませんでした。


「もちろんですわ、お姉さま」


 必ず、成し遂げましょう。


(……ホルガーさま)


 お守りのように唱えると、窓の外の青空を見上げます。


 いよいよ、新たな時代の幕開けでした。






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