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軍事大国のおっとり姫  作者: 江馬 百合子
第一章 婚礼編
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第八話 アスラ=モア


 夜は異な刻。

 サーリの血を継ぎし王家の者の瞳見ること勿れ。

 常人ただびとその魔力に魅せられ夢現を彷徨う。


 この国に古くから伝わる文言だ。

 王の血を継ぐ者は皆多かれ少なかれ魔力を持って生まれてくる。

 現に、二十人の王女は皆、王室魔導師団長おうしつまどうしだんちょうの検査で魔力が認められていた。

 しかしこれまで、その魔力によって何者かが害された前例など無い。

 この文言も、恐らくはただの言い伝えなのだろう。


 それでも、多くの民は夜、王族の瞳を見ることを恐れた。

 それもありえない話ではないと思わせる何かが、彼らにはあった。

 よって、夜間行事では、王家の者は皆、ヴェールで顔を隠すことが義務付けられていたのである。


――王宮舞踏会堂・華厳けごんの間


「幾千の星の瞬くこの良き宵、こうして皆が集まったこと、とても嬉しく思う」


 天まで続くのではないかというほど高い壇上で、王は滔々と言い渡す。

 病に侵された身であっても、四人の王女とともに並び立つ様は、やはり壮観であった。

 顔の見えない五人を、色とりどりに着飾った人々は熱心に見上げる。


「陸軍大将レインヴェール伯ホルガー=ベルツ、そして、我が愛娘、ルコットの成婚、非常にめでたく思う。また、これほどの多くの者に祝福される今日この日を、私は生涯忘れぬであろう」


 ホルガーは、ちらりとルコットを盗み見た。

 彼女は、自身の父を、王を、どのように思っているのだろう。

 しかしその表情はヴェールに覆われ、全く読み取ることができなかった。


「夜を通し踊り祝ってほしい。今宵は無礼講だ」


 王が高く手を掲げる。

 淑女は次々とこうべを垂れ、紳士は深く膝を折った。まるで花が開くかのようにふわりふわりとドレスが広がっていく。

 そして、静かに音楽が流れ始めた。


 ゆったりと踊り始めた人々を脇目に、ホルガーは低く呟く。


「昼間の食事会に比べ、知らない顔も多いですね」

「お昼は内輪への紹介でしたから、国内の方しかいらっしゃらなかったのだと思います」

「この場内にはどなたが招待されているのでしょうか」

「確か、式に出席された来賓の方々は、皆招待されているはずです」


 ということは、実質どこのどいつが紛れ込んでいても不思議では無いということか。

 内心そうごちると、ホルガーはちらりと周囲を見渡した。

 わずかに緊張した空気を感じたのか、ルコットはおずおずと付け加える。


「ですが、今回カタル国の方々はいらしていないみたいです」

「式にもですか?」

「えぇ」


 妙だった。

 決して良好な関係を築けているとは言い難くとも、彼らが表立って公式な行事を欠席したことはなかったはずだ。


「季節外れの嵐の復旧に手を取られているそうです」

「…そうですか」


 杞憂だったらいい。

 半ば祈るような気持ちで、ホルガーはルコットを見つめた。

 自分にとって、この結婚は待ち遠しいものだった。

 初めて恋に落ちた相手と、まるで夢のように結ばれるのだから。

 彼女とともに歩む未来を思うと、柄にもなく心が踊るのが分かる。

 もし運命というものがあるのなら、それを定めた神にさえ、心からの感謝を捧げたいほどだった。

 勿論、それは自分の都合であり、彼女にとっては望まぬ結婚であるのかもしれない。

 しかし、夫婦として初めて迎えた今日この日を、できることなら彼女にも、幸せな記憶として刻んでほしかった。


「俺たちも踊りますか」


 彼女にだけ聞こえる程の声でそう尋ねる。


「はい」


 俯き気味に答えるその声は、とても穏やかで静かな幸せに満ちていた。


 シャンデリアや燭台に明々と照らされた場内は、宝石を散らしたように美しく、眼前の彼女の豊かな髪が光る。

 不釣合いで恥ずかしいと漏らしていたらしい金白色のドレスも、彼女の優しげな雰囲気によく合っていた。

 ヴェールをしているのが惜しまれる。できればその表情も、この日の記憶に残しておきたいのに。


 曲に合わせて柔らかそうな白い手が差し出される。

 その手を、情けなくも震えそうになる無骨な手で、羽を掴むようにそっと取った。


(なんて温かい手だろう)


 そう思った瞬間、辺り一面に爆発音が響いた。


 一拍遅れて、暴風が吹き荒れ、卓上の皿も杯も瓶も全て吹き飛ぶ。

 倒れた蝋燭の炎は今にも床に落ちたテーブルクロスに燃え移らんとしている。

 腰を抜かし言葉も出ない女。震える男。警備の兵もあまりの出来事に呆気にとられている。


 そんな中、いの一番にルコットが叫んだ。


「お姉さま!」


 これまで聞いたことのない、ガラスの破片のような声だった。

 はっとして、ホルガーも壇上に目を向ける。

 そこには、斬りかかる男の刃を王の聖杖で受け止めるスノウの姿があった。


 真白の法衣を目深に被る男は二人組だったようで、少し離れたところで何かを呟いていた男が、さっとスノウに掌を向けた。

 その瞬間、男の周囲に剣のような鋭い氷が無数に浮かび、身動きの取れない彼女に襲いかかる。


 反射的に、ホルガーは駆け出していた。しかし、数歩も進まぬうちに、再び爆風に襲われ足が止まる。


 男の氷に串刺しにされる前に、スノウは早口で何かを呟き、体中に炎を纏ったのである。

 急激に熱された大量の氷が爆発し、会場中に吹き荒れる嵐となっていた。

 しばらく競り合っていた刃の男も、よほど熱かったのか、一度間合いを取るため下がる。

 ホルガーは男たちが次の一手を繰り出す前に、再び走り出した。


 後ろから部下たちが追走してくる気配がする。

 魔術師相手の訓練も行なっていないわけではなかったが、専ら王室魔導師団おうしつまどうしだんの管轄だった。

 魔力を持たない常人では圧倒的に分が悪い。

 できて足留め。魔導師団の者が駆け付けたら、その後は援護に回る。

 それが魔術師を相手に陸軍ができる、最善の戦いだった。


 だが、ホルガーは違う。

 彼には、桁外れの胆力と豪腕、機敏さ、智があった。

 未熟ながらも大将という任に当たっている、自負もある。

 そして何より、幼少時より魔術師と相対してきた経験値があった。


「殿下!」


 走り込んできたホルガーに真っ先に気づいた男が、スノウへ放とうとしていた氷の切っ先を変える。

 目にも留まらぬ速さで全方位から襲い来る鋭氷。


 ホルガーは、剣の柄に手をかけると、渾身の力で抜いた。

 その瞬間、先ほどと同等か、それ以上の爆風が起こった。


 何が起こったのか分からず茫然とする人々。

 男たちでさえ、動きを止めホルガーを凝視している。

 彼は、全方位の氷を、一つ残らず打ち落としていた。

 摩擦で溶けた氷が、周囲の絨毯に大きな染みを作っている。


「陛下と殿下をお守りしろ!」


 駆け付けた兵に檄を飛ばす。

 平時は軽口ばかり叩いている彼らも、今宵ばかりは瞬時に王と王女らを背に庇い剣を構えた。


「…化け物か」


 氷の魔術師がぼそりと呟くと、スノウに刃を向けていた男もはっとして、援護に向かおうとする。

 しかし、それはスノウが許さなかった。


「貴様の相手は私だろう」


 聖杖を投げ、ドレスを捲り上げ、脚に仕込んだ小型銃を左手に、剣を右手に構える。

 そして、その勢いのまま、背を向けかけた相手の横腹に蹴りを入れた。


「……ぐっ」


 思いもよらぬ重い一撃によろめきながら、男は何とか体勢を整える。


「ほっそいナリしてる割にはやるじゃない」


 からかうようなその口調、そして何より彼女の左手に握られた銃に、ホルガーは刮目する。

 あんなものを持っている人物は、恐らくこの世に二人といない。


「姉上!何故ここに!」


 空気をつんざくような声に、困惑と微かな怒りを感じた女は、素早く振り返りホルガーを視界に収める。


「…ばれてしまったか」


 もはやこれ以上隠すことはできないと、銃を持った手で顔のヴェールを剥ぎ捨てる。

 すると、美しく纏められていた白銀の長髪が、虹色の粉になり散っていく。

 そして粉が全て落ちる頃には、肩にも届かぬ程の黒い短髪になっていた。

 不敵に笑う顔に化粧っ気は皆無だが、内面から溢れ出す光を感じる、大きな黒い瞳と長い睫毛が印象的な女性だった。


「…おい、誰だあの派手な美女」

「…大将の姉君みたいだな」


 有事であるというのに、場内は戸惑いに包まれ、ひそひそと言葉を交わし合う声がそこら中から聞こえてくる。

 そんな中でも全く動じる様子を見せない女は、輝かんばかりの笑顔で告げた。


「私はそこのホルガー=ベルツの実姉、アスラ=モアだ。今宵はスノウ殿下の身代わりをしていた。殿下なら今頃安全な所で待機されている」


 それを聞いた男たちは、見るからに戦意を失っていた。

 討ち取るべき目標はおらず、辺りは兵卒に囲まれ、眼前には冥府の悪魔、そして、その姉と名乗るアスラ=モア。


 かつて、紅蓮の暴れ龍と世界中に名を馳せた一人の女魔導師がいた。名をアスラ。


 王室魔導師団に属しながらも、その素性は明らかならず、戦に出れば灼熱の炎を身に纏い、全てを燃やし尽くす。

 身近な敵は刷いた剣で、まるで舞を踊るように斬り伏せていった。


 しかし、五年前、女は突如姿を消した。

 本来ならば捜索部隊が設置されるほどの人物であったのに、それすらなされなかった。

  何故なのか。消えた美貌の魔導師は何処へ行ったのか。

 噂が噂を呼び、その謎は今だに人々の関心の渦中にあった。

 彼女に憧れ、独自に行方を探っている者も少なくないという。

 それが、まさか陸軍大将の実姉であったとは。

 

「…サクラス、僕たちはここまでみたいだ」


 小さな凪いだ声だった。

 細身の男は構えていた剣を静かに下ろす。

 氷の男は、何か言いたげに逡巡したが、結局「…はい」と呟くと僅かに俯いた。

 そして二人ほとんど同時に、素早く懐を探る。

 しかし、そこに目当てのものはなかった。

 絶望に包まれる男に、アスラは楽しげに問いかける。


「お探しのものはこれか?」


 その手には、液体の入った小瓶が二つ握られていた。


「死なせやしないよ。牢でゆっくり話を聞かせてもらうからね」


 その笑顔に、幼少期の鍛錬を思い出し、ホルガーの背を冷たい汗が伝った。





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